2018.01.13

みなとみらい 海上保安庁 工作船資料館

昨年末から日本海岸に 北朝鮮の漁船が多数漂着
北朝鮮の核 ミサイル問題で アメリカが北朝鮮
を攻撃する話題も 韓国はおろか日本も北朝鮮の
攻撃目標に

平成13年12月22日 奄美大島沖で不審船を発見
海上保安庁の巡視船と不審船が銃撃戦 不審船は
自爆 沈没 

九州南西海域工作船事件 youtube

九州南西海域工作船事件 ウィキペディア

後日 日本政府はこの不審船が北朝鮮に関する証拠確認の為
に引き上げられた船 不審船見る為に 海上保安庁がある
横浜港 みなとみらい 工作船資料館に展示
見に行って来ました

201801131

三十数年前横浜に引っ越ししてきた時は 横浜駅は
現状で みなとみらいは埋め立てが終わったばかり
で 横浜博が開催 東口よりロープウエーが掛けられ
みなとみらに見に行きました 現在は空き地はほとんど
なく 未来のような街に 名古屋転勤中にランドマーク
タワーが建設され変わりようにびっくりしました

赤レンガパークに 数年前 オクトーバーフェストでビール
飲みに行った時以来 横浜港対岸は 大桟橋 ベイブリッジ

その時は みなとみらい駅から歩いて行きましたが
遠い 今回は桜木町駅から あかいくつ巡回バスで
赤レンガ館に

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隣に 工作船資料館が 隣には海上保安庁の巡視船が
接岸していました でかいです

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館内 工作船(母艦) 長さ30メートル 44トン 日本海に
打ち上げられた漁船は 木造船ですが鋼鉄船 銃撃の跡が多数
見られます

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工作船後方に観音開きのDOORが 小型舟艇が収納されています
過去の拉致事件に使われたか不明ですが

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収納されていた 小型舟艇 長さ11.21メートル 母船の半分
の面積 これにスエーデン製の300馬力のエンジンが3基
搭載されています 時速90km出るそうです

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母船上部より 操舵室は自爆で無くなっていますが 前方は
エンジン室 1100馬力のロシア製のエンジンが4基 船の前方
半分はエンジン室 燃料タンク バラストタンク 小型船
の収納などはで 実質 乗務員のスペースは操縦室のみに
限られます 昔の日本軍見ている様で怖いです

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搭載されていた武器 機関銃 ロケットランチャー 二連装機銃
無反動砲 自動小銃 

日本製の携帯電話 自爆前に海に何かを捨てている画面も見ました
麻薬の密輸か

現在 平昌オリンピックで 韓国 北朝鮮が参加の意思
平和の交渉中は 米大統領は 攻撃は実施しないと公言
していますが 現大統領 何をするか不明だけに
不気味です


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2018.01.04

2018年 正月 皇居 箱根駅伝に

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2018年 正月 近所の畑越しの 富士山
手前にある 建物 区内の警察署です この付近まで
10年前 自宅近くの大通り やっと開通 権太坂和泉線
箱根駅伝で有名な 二区 保土ヶ谷区 権太坂
最近 その先 環状4号線までの道路工事が河川工事が
終わり 3月には開通予定 東西の道路狭くやっと4号線
に行ける 20年以上かかっています 3号線など工事など
始まる様子はありません

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年末から娘が 元日には息子夫婦が 久しぶりの家族が
揃いました

2日には 皇居に 皇室一般参賀に 来年 200年ぶりに天皇
が退位して上皇に 過去には天皇の権威を残し 子孫に位を
譲事は多数ありました 今回の平成天皇は 良い決断だと
思います 崇徳上皇の様に 怨念になる事も

東京駅から二重橋に 丸の内 観光バス 街宣車がいっぱい
です 5回の年賀があるのですが 一回目 10時10分に合わせて
皇居前広場方面に 堀近くで大行列が 考えていることは同じ
来年 4月退位なので 来年来る事で 参賀諦めました
本日 平成になり 最大 12万7000人が参賀

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3日は箱根駅伝 復路8区9区 戸塚中継所に
駅前からバスで戸塚駅に 中継点 戸塚警察前交差点に
右側は鶴見中継所に 信号のない横浜新道に通じる道路
途中 右に回り国道一号 不動坂に これが吉田茂が
東京から別荘 大磯に行く途中 東海道線 戸塚駅 大踏切
で渋滞 命令で出来たのが 吉田茂の線路高架したワンマン
道路

時々裏道で来る スーパー LIFE ホームセンター
コーナン その先 ホンダの販売店が復路の中継点
携帯テレビで見ていましたが 到着時 藤沢 遊行寺の坂
なので大丈夫なかと思いましたが 交差点通行禁止になり
ました 下り道路通行可なので 撮影が心配です

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往路二位 青山学院 此処では1位 やはり強い

隣の方は 一眼レフで連写 デジカメで撮ったら 通り過ぎ
ました

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前日 5区 箱根の登り 法政大学の青木涼真が9人抜き、
区間新を記録した

此処では 早稲田抜き 3位に但し団子状態 結果は6位
シード権は前年同様 決めました


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2017.12.28

小田原 箱根 宮ノ下

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ネットで調べると 箱根 宮ノ下付近に 太閤岩風呂が
宮ノ下から左に行くと 芦ノ湖 関所 箱根駅伝のゴール
まっすぐ行くと 仙石原に 途中 太閤岩風呂の看板が
太閤石風呂通り その先に 太閤岩風呂の跡が 現在枯れて
いますが 温泉が出ていました 昔は石鹸などなく 風呂と
言えば 蒸し風呂です

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宮ノ下交差点 左に行くと 箱根駅伝のゴール まっすぐ
行くと 仙石原 左側に 竜宮城の様な 富士屋ホテル

Fujiyahotel01

秀吉 後北条 小田原城攻め 三島から中山城攻め 小田原に
1590年 石垣城に一夜城築城 東北の雄 伊達政宗 秀吉の
上洛の命令に答えず 秀吉の怒りをかい やっとの事で
小田原に 一夜城築城の間に 此処 底倉に岩風呂を造る
兵士の療養 正宗の帰順を祝い 家康 淀姫を同行祝宴を

秀吉にとっては 北条攻め 埼玉 多摩 伊豆の北条の城は
配下の大名により攻め 兵站などは 小田原港に余裕の戦い
兵士に 戦争が飽きない様に 遊郭まで建設 

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早雲寺 後北条 北条早雲の遺言で二代 氏綱が創建
箱根湯本駅 箱根湯本富士屋ホテルの裏側 歩いて行くと
距離はあります 小田原征伐時 秀吉 本陣に 石垣一夜城
建設後 早雲寺 付近は焼き払われました

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後北条五代供養塔 右から 一代北条早雲 二代 氏綱 三代 氏康
四代 氏政 5代 氏直

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久しぶりに 小田原駅前 4代 氏政 弟 八王子城主 氏照
墓所 落城後 家臣の屋敷で切腹 その後この場所に埋葬
5代 氏直は 高野山に追放 

北条氏 上杉謙信 武田信玄の攻めに耐えた 小田原城 囲んだ
総構え
 豊臣秀吉軍に自信もっていたか

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念願の 太閤湯 二日前 小田原駅まで藤沢駅から湘南ライナーで
その後 箱根湯本駅 そこから箱根登山鉄道で宮ノ下駅まで
外人がいっぱい 大きな荷物 スイッチバック3回 疲れます

今回は 車で 自宅から 厚木 小田原経由で箱根に 駅伝前ですが
何故か 東海道に謎のランナー 歩道がないので渋滞が

太閤湯 ネットでは 水曜日 第三火曜日は休み
当日 第四火曜日も休みに リベンジで二日後に車で
行きは 小田原 厚木道路 帰りは 箱根駅伝のルート
西湘バイパスで

太閤湯 源泉は 富士屋ホテルと同じ 太閤岩風呂付近です
源泉 かけ流し 70度近 良い湯でした

秀吉 有馬の温泉もお気に入り 此処にも太閤の湯があります
以前 有馬 向陽閣 草津同様良い湯でした

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宮ノ下付近 箱根駅伝 5区6区 弾幕がいっぱいです
正月 2日 3日は人がいっぱいで見るのも大変です

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帰って来ました 宮ノ下から 戸塚中継所 50km 車で一時間
花の二区 来年も見に行こうかな


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2017.12.22

尾張 美濃に

名古屋転勤から戻り 20数年になりますが 過去に1-2回
名古屋に行きましたが 三河の歴史的場所訪れましたが
尾張は当時歴史的な興味なかったので 今回改めて 尾張
美濃を訪れました

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① 長久手古戦場 小牧 長久手の戦い  名古屋城
③ 大須 万松寺 ④ 豊國神社 秀吉 清正 誕生地?
⑤ 名古屋駅  清州城址 ⑦ 岩倉城址 
⑧ 聖徳寺跡 織田信長 斎藤道三 会見場所
 小牧城址 ⑩ 犬山城 ⑪ 各務原飛行場
⑫ 生駒屋敷跡 信長 側室 吉乃 実家
⑬ 県営名古屋空港 ⑭ 墨俣一夜城祉  岐阜城
⑰ 関ケ原戦い 東軍 集合場所 家康本陣 安楽寺

信長 移動ルート ②那古屋城→⑥清州城→⑨小牧城→⑯岐阜城
→安土城

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② 那古屋城址 現 名古屋城 二の丸庭園に那古屋城址の看板
信長が生まれた場所 文章には 誕生が勝幡城が有力との説
育ったのは 那古屋城です

信長 年表

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③ 今川家が尾張守護の斯波義達を破り、那古屋の地を奪い
そこに城を築いたのが 織田信秀は、この今川家を尾張から
追い出し新たな戦略拠点として那古屋城を選んだのである。

1551年 信長 18歳の時 父、信秀の死により、家督を相続
葬儀が行われた 寺 大須観音で有名な 万松寺で行われる
信長が葬儀の席で父親の位牌に焼香を投げつけたのは有名で
世間では うつけものと噂される
ビルですが 寺は残っていました

名古屋時代 パソコンをwin 3.1で初め ソフト 周辺機器を
近くの アメ横ビルに買いに来ました フライトシュミレーター
のソフト 無知でマック版のソフト購入 良い勉強になりました

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⑥ 那古屋城の西側 信長 二番目の城 清州城 立派な観光城が
多分 当時は砦の様な城だと思う 1405年 尾張 遠江 越前
守護 斯波義重が築城 応仁の乱により地方大名」は没落
その後 織田大和守家 守護代 下四郡(海東、海西、愛知、
知多)を支配する 織田信友が入城 信長の身分はその下
織田弾正忠家 清州三奉行の一人

1555年 信長22歳 伯父 守山城主 織田信光が信長と共謀
城主 織田信友を殺害 清州城を奪う

その後の清州城ではいろいろな舞台に

1) 反旗を翻した二歳下の弟 信行を城内で殺害
2) 今川義元との桶狭間の戦い 此処より出陣
3) 本能寺の変後 信長の後継者選ぶための会談 清州会議
4) その後 福島正則が城主になり 関ケ原の戦い 東軍の拠点に

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⑧ 聖徳寺跡 織田信長 斎藤道三 会見場所

信長 15歳の時 美濃 岐阜城主 斎藤道三娘 正室 濃姫と
父 信秀 同盟の為に 政略結婚

その後 道三 娘婿 信長を見る為に 20歳の時
木曽川河畔 尾張側 聖徳寺で会見 会う前は相変わらず
の服装でしたが 会見の場では正装で 道三 信長の器量を見直す

道三 最後 岐阜城を嫡男 義龍に譲るが その後攻められ死亡
信長 尾張より岐阜に向かうが間に合わず 
信長 岐阜城攻めまで 長良川が横たわり 攻略には時間がかかる

正室 濃姫 信長との子供なく その後の消息不明
信長なので殺されたかな?

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⑦ 岩倉城祉

名鉄 犬山線 岩倉駅近く 名古屋6年在住で 残り1年 単身で
犬山線 3駅名古屋より 西春駅に住んでいました 懐かしい

1555年に守護代織田信友を討って清洲城を手に入れ、1556年に

丹羽、葉栗、中島、春日井の尾張上四郡を支配する 伊勢守家
岩倉城主 織田信安 清州城 守護 斯波氏を追放

信安の跡を継いだ 嫡男 信賢 浮野の戦いで敗れ 信長により
岩倉城は落城 その後 犬山城主 織田信康 敗れ落城

信長が 尾張を平定

桜で有名な 五条川が清州から流れています

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名鉄 犬山線 岩倉駅より犬山側に二つ目 布袋駅
生駒屋敷跡 元は 大和 奈良生駒山 この地で運送業で財を
三代家宗の娘 吉乃 信長に見染められ 側室に 嫡男 信忠
本能寺の変で自害 次男 信雄 徳姫 家康 嫡男 信康の妻

信長 子供が多い 正室 濃姫 側室は8人もいました

秀吉 三河 遠江に放浪後 生駒屋敷に信長に仕える機会に
此処には 蜂須賀小六 等が訪れ美濃攻略の相談に

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1563年 尾張を平定した信長 美濃攻めの為に清州より小牧に築城
パソコンソフト フライトシュミレーターで名古屋県営空港から
北側に離陸すると すぐに左下に 濃尾平野の中に 小牧山が

美濃攻め 斎藤道三の孫 斎藤龍興を攻めるのに その後4年
かかりました

小牧城 秀吉と家康の戦い 小牧 長久手の戦いでは 家康の本陣
になりました 秀吉は 犬山城に

木曽川河畔 犬山城 当時 個人所有 国宝 犬山城でしたが
到着時 午後5時 閉館 見る事が出来ませんでした 
名古屋在住時 子供が小さく 明治村 モンキーパーク リトル
ワールド 行きました もちろん 犬山城も 雰囲気が良い

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小牧 長久手の戦いで 長久手古戦場に 以前 トヨタ博物館に
自動車見に行った時 長久手古戦場があるのは知りました
又 以前 愛知 万博もこの近くで開かれました

小牧 長久手の戦いがあった場所 本能寺の変で信長 亡き後
秀吉は天下を納めつつある中 故信長の次男 信雄が家康に頼み
秀吉を討つために 連合軍で挙兵 家康は小牧山城を占拠
池田恒興が犬山城を占拠 家康と秀吉 小牧城と犬山城で対陣
野戦の強い家康を警戒して秀吉は 無用な手出しを避け膠着状態

その前の羽黒の戦いで 池田恒興 森長可が敗北 汚名挽回で
秀吉に 家康無き三河 岡崎城の攻撃を申し出る

小牧 長久手の戦い 布陣図

秀吉軍 池田 森 堀 秀次 2万人で岡崎城に この状況を知った 
家康軍 追撃 長久手で激突 秀吉軍の大敗北 秀吉初めての負戦

負けても 秀吉 織田信雄と和睦 馬鹿らしくなった家康 終戦に

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名古屋駅 太閤口 中村区 その先に 大鳥居 豊國神社
豊臣秀吉 生誕の地 碑もあります 秀吉 出生は不明だけに
信じられません 隣の常勝寺に これも 加藤清正の出生の地?

秀吉 出生が良くないので 子供の頃は記録に残っていません

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信長 生誕地 那古屋城 跡地に 関ケ原の戦い以後 家康が
豊臣秀頼 大阪城包囲網として築城 久しぶりに来ました 
本丸に熊本城と同じく本丸御殿が築城されていました
時間なき為 天守閣 御殿 見学できず

天守閣 耐震性に問題あるので 河村名古屋市長が木造で建て替
えると言ってます

名古屋 三英傑祭 信長 秀吉 家康があります
信長 滋賀 安土城 秀吉 大阪城 京都 伏見城 家康 江戸城
静岡 駿府城 それで 誰も愛知には残っていません

久しぶりに名古屋の道走りました 改めて道幅は広い
栄 テレビ塔 意外と小さいな

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美濃攻略の為に 長良川 秀吉が西岸に築いた 墨俣一夜城
これも立派ですが 実際は砦の様だと思います

信長 美濃攻略 清州城からさらに美濃に近い小牧城移り 4年
斎藤家は道三が嫡男 義龍に滅ぼされ 5年で死亡 その後
龍興に移る

尾張と美濃の間には 木曽川 長良川 揖斐川の大河があり
地元に詳しい 蜂須賀小六の協力で 上流に木材を準備
木曽川 境川の水運を利用して 馬柵 櫓を三日で建設
一夜城と呼ばれる その後 稲葉山城(岐阜城)を落城させる

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関ケ原の戦いの前 家康 東軍は上杉征伐の為に 会津に
西軍が 大阪 伏見で攻撃 東軍 家康は小山で会談 方針を
西軍を攻める事に決定 東軍は 福島正則の清州城に集結 家康は
江戸城に帰り 動かず 家康は東軍の協力度を示させる為に
岐阜城攻撃を命ずる それに応え 家康 中山道 赤坂宿に
その時 家康が本陣とした 安楽寺 大垣城に布陣した 西軍と
赤坂宿 抗瀬川で交戦 西軍についた島津義弘 大垣で夜戦を
言ったが 石田三成に却下され それが 関ケ原の戦いでは
島津軍 戦わず 西軍敗戦後 的中突破で薩摩に帰る事に

意外と近い 大垣城と赤坂宿

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信長が地名 井野口から岐阜に変更 1567年 秀吉の活躍など
あり 斎藤道三の孫龍興から奪う 
道三 元々 土岐頼芸が主君であるが 稲葉山城(岐阜城)を
奪い 土岐頼芸を追放 元は 京都で油売り 謀略を駆使して
美濃を奪い取る まむしの道三と言われる 戦国時代の初めの
人物 経済的には楽市楽座(経済の自由化)を実行 この制度は
信長が受け継ぐ

道三引退 隠居 嫡男 義龍に家宅を譲る
義龍 父親が道三ではなく土岐頼芸ではないかと疑い
弟を殺害 道三に挙兵 1554年 長良川を挟んで 対峙
義龍軍 17500人 道三軍 2500人 道三討死
義龍もその後病気で死亡 享年34歳

信長 岐阜城から 楽市楽座を行い 又 天下布武を宣言し
武力による天下を目指す

信長は上洛を目指し 障害となる 琵琶湖東側の北近江 
浅井長政と信長の妹 お市を嫁に出し 同盟を結ぶ
その後 浅井 同盟の越前 朝倉義景は共に信長に滅ぼされる

金華山 高度300M以上の頂上に 岐阜城 歩いて1時間以上
以前来たときは徒歩でしたが 今回はロープウエーで

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岐阜城より 右側の小山が 斎藤道三が隠居した鷲山
長良川を挟んで 道三と義龍が対峙 道三塚 長良橋を渡り
左側に葬られています 行きましたが不明でした

岐阜より横浜 新東名で5時間 欲張りすぎ 疲れました

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各務原飛行場 現在 航空自衛隊岐阜基地 1周しましたが
滑走路は見る事が出来ませんでした 途中 航空宇宙科学博物館
川崎重工の工場があり 対潜哨戒機 P3Cオライオン後継機 P-1
輸送機 C-1の後継機 C-2を製作しています

日本では最古参の飛行場で 大正6年に開港しています

三菱重工業の工場は名古屋港 大江にあり 此処で生産された

>牛車で ゼロ戦 輸送 名犬街道本当でした

ゼロ戦 大江工場→金山→鶴舞→新栄→布池→大曽根→上飯田→
三階橋→水分橋→春日井→小牧→犬山→犬山橋→鵜沼→各務原飛行場

中島飛行機 名古屋にもあった 半田工場 知多半島 中部空港
近く 中部空港には ボーイング787 胴体 翼の部品 名古屋
で多く 製作 シアトル ボーイング工場に輸送用 ボーイング
747改造機 ドリームリフター 飛来

県営名古屋空港 三菱重工では 次期国産旅客機 MRJ開発中
開発 遅れています

ドリームリフター 台湾出張時 桃園空港 エバーグリーンの整備会社
で見ました 此処でで改造していました 実際見ると圧倒されます

愛知と言えば トヨタの車のイメージですが 飛行機も凄い

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名古屋での食べたいものと言えば 名古屋駅 ホーム 住よしの
きしめん 家族は5年私はプラス1年間の単身中 横浜まで 新幹線で帰る時 
食べていました 入場券買って きしめん 懐かしい


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2017.11.22

三鷹 太宰治 吉祥寺 いせや

今年8月に 戦前 航空機メーカー 中島飛行機の工場跡 見に
群馬 太田市 東京 三鷹市 最初工場は創業者 中島知久平の
故郷 太田市でしたが 優秀な人材を求め 東京 三鷹に工場
を建設 工場は現在の武蔵野市役所 公園付近 研究所は現在
国際基督教大学に 三鷹駅の南側 途中 玉川上水 聞き覚え
ある 単語 太宰治が入水自殺した場所 若いころ 作品 斜陽
人間失格を読みました

太宰が住んだ家 自殺場所 墓は 三鷹駅の南側にありました
JR 中央線で三鷹駅に隣の吉祥寺駅と比べてビルは駅付近のみ
その先には 一戸建ての住宅が広がります

3か月ぶりに訪れました

太宰ゆかりの場所

太宰治略年表

201711221

三鷹駅から武蔵境駅側に 跨線橋 100メートルある線路橋
案内板には太宰の写真良く電車を見に来ていたのでしょうか
橋は昭和4年施工 太宰が三鷹に越してきたのは 昭和14年
最初の結婚は 昭和13年 甲府の石原美知子と見合いをし、
1月に結婚 甲府で新婚生活 富岳百景では 富士には 
月見草が よく似合ふと書いていますが

今日はビルの横に 丹沢越えに 富士山が見えます

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三鷹市の和風文化施設 井心亭 目の前が太宰治旧宅跡
昭和14年9月より 亡くなる昭和23年6月まで住んでいました
現在は 建て替えられ一般住宅になっています
玄関前に植えられていた 百日紅が此処に植えられています

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玉川上水 昭和23年6月19日 太宰治 山崎富栄と入水自殺
場所には 五所川原金木産 玉鹿石が置かれています

現在水深は浅いですが 当時は深かったそうです 享年39歳

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三鷹駅前 玉川上水 説明 入水場所はすぐその先です

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三鷹駅南口 駅前 野川家跡 現在は永塚葬儀社のビル
山崎富栄とは昭和22年9月頃から親しくなり 彼女の下宿先
入水自殺当日 ここから入水場所に向かう
現場まで200M位です 過去には3回自殺未遂 

4度目で死亡 高学歴の方は何故自殺願望なのか
芥川龍之介 三島由紀夫 川端康成 などがそうです

芥川賞に落選 本人も願望していました 芸人を選ぶなら
太宰に与えたかった

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駅から歩いて20分位 太宰治の墓 本人の希望で森鴎外の墓
近く 道を挟んで目の前が鴎外の墓

命日には 毎年 桜桃忌が行われます 参拝者が多いのだろう
かな

帰りは 玉川上水を井の頭公園に 但し此処まで18000歩
疲れの為に 電車で吉祥寺に

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井の頭公園 玉川上水は南側を流れ 四ツ谷方面に
井の頭池から 神田川が流れ都内に

吉祥寺駅南口 北口側は東町に伯父さんの家があり 大阪 池田市
から転勤で沖縄に 当然大阪に帰れるものだと思いましたが
東京に転勤 関東など縁がなく 伯父さんを訪ねて吉祥寺に
何度か訪れ その後 仲人もしていただきました 伯父さんは
その後死亡 お参りに 伯母さんの住所は亀戸になっていました

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井の頭公園入口 いせや公園店に総本店は二度ほど訪れたの
ですが 此処は初めて 本店同様 コスパが良くロケーションも良い

総本店は 同じ 吉祥寺駅南口にあります 儲かっているのか
昔のいせやの雰囲気を残し ビルに建て替えています

高田渡さんのDVD タカダワタル的ゼロ 持っているのですが 画像では
いせや 総本家で飲んでいる画像が出てきます

高田渡さん 京都には住んでいなかったのですね
年齢的には 同世代です

好きな曲 コーヒーブルース 三条堺町 イノダに良く行きました

キリスト教の信者なのか 葬式はいせや 総本店先の教会で葬式が
行われました 享年56歳

帰りは 京王 井の頭線 東急 東横線で横浜に

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2017.11.10

実朝 首塚 秦野 鎌倉に

神奈川県 秦野市 ダムで有名な 宮ケ瀬に抜ける道
ヤビツ峠の途中に 源実朝 首塚 波多野城址があるので
見に行って来ました

201711091

波多野城址 平安末期から鎌倉時代にかけて現 秦野市を本拠
とした豪族 河内源氏 源頼義の家人として任え 頼義が相模守
に 佐伯経範がこの地に定住 苗字を波多野とする
五代目の子孫 義通は頼朝の父 義朝に仕え 保元の乱 平治の乱
で 義朝に仕え従軍 その後頼朝が伊豆で挙兵 頼朝に追手され
自害 波多野有常は許され 鎌倉幕府の御家人となる
その後 盛通が1213年 和田合戦で 和田側についた事で滅ぶ
波多野は 義常の弟 忠綱が継ぐ

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近くに 鎌倉幕府 初代将軍 源頼朝の次男 三代将軍 実朝の
首塚 実朝 二代将軍 頼家の子 親の仇として 公暁により 
鶴岡八幡宮の階段途中でで暗殺される
二代将軍 頼家は北条家との争いで 伊豆修善寺に幽閉 その後
暗殺されています

初代将軍 頼朝 弟 源平合戦で活躍した 範頼 義経など
殺害されています

公暁は実朝の首を持ち 三浦家に向かう途中 家臣 長尾定景に
より命を受けた 武常晴により公暁は討ち取られ 首を 和田義盛
と仲の良かった 波多野忠綱を頼り 首塚に埋葬される

鎌倉 寿福寺には 北条政子 実朝の墓があるが 実朝の墓
首のない 遺体が埋められているのでしょうか?

実朝 首塚 元の木製の五輪塔 鎌倉国宝館に寄託されたので
再度 鎌倉訪問

201711093

ヤビツ峠 丹沢縦断する峠 無料駐車場が15台位
他府県ナンバーが多い
右側が大山 左側が 丹沢 最高峰 塔ノ岳 鍋割山に
モー無理 丹沢でも結構 登山ハードです

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鎌倉 鶴岡八幡宮階段 将軍 実朝 暗殺の為に公暁が隠れていた
大イチョウ 平成22年3月10日未明 強風により倒壊 現在二代目

201711095

鎌倉国宝館 鶴岡八幡宮何度か訪れていますが 訪れたのは
初めて 鎌倉駅から初めて 小町通り歩き 鶴岡八幡宮に
通りは 修学旅行生 若い女子で原宿 竹下通りの様です

館内は 鎌倉時代の仏像 20体位展示されています
有りました 実朝 首塚の五輪塔 木製でしたが 風化はなく
綺麗な状態でした 五輪塔で木製は珍しい

併設展示で 鎌倉公方足利基氏展 基氏没後 650年記念
足利基氏 足利尊氏 4男 初代鎌倉公方 公方が良くわからず
室町幕府 将軍が設置した 関東10か国の出先機関 室町幕府は
京都に創設したので 関東の監視機関? 北条の六波羅探題みたいな
もの 四代で1455年下総国古河に移り 鎌倉ではなくなる

昨年 11月に長寿寺に 年に何回しか 足利尊氏の墓公開に
見に行きました

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比企一族の墓 妙本寺内

比企能員の変

初代 北条時政 執権 源頼朝の正室 北条政子の父
鎌倉幕府創設時 家臣はほぼ北条の陰謀により 没落

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和田塚 鎌倉駅から次の江ノ電の駅 和田塚駅前

北条時政の次男 二代執権:北条義時と和田義盛との
戦い 和田合戦 一族滅亡

201711098

秦野に 国道246号 厚木経由で行く途中 吉村家の家系列
厚木家に ページでは 神奈川 吉村家 杉田家 厚木家のみ 
書いていませんが六角橋 ラーメン 末廣家は系列のようです
環2家などは系列を離れ 別会社に 厚木家は 吉村さんの
息子が経営スタップは4名いましたが 息子 すぐわかりました
顔はそっくり 味はまずまずでした 末廣家の方が美味しい

吉村家系以外にも レベルが高い店が多くあります

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2017.11.01

久しぶりに 横浜駅に

長かった 管理組合の理事 一年ぶりに終わりました
今回で三回目 今回が最悪でした

退職後は宮使いの会社努めが終わり 怖いものなしで
不満が前面に出て早く 終わりかった 
メールのみで150件以上疲れました
きれる老人わかる

気分転換で 久しぶりに 横浜駅に 半月ぶりです

201711011

横浜駅 東口 そごう隣 スカイビル11階 回し寿司 活
横浜スカイビル店
11時オープンで到着しましたが 40人位の人が 店舗大箱
なので すぐに入店出来ました

いつもは スシロー くら寿司ばかりなので ネタの種類
大ぶりのネタで 人気なのは納得

201711012

根岸線 石川町駅 中村川わたりすぐのミントン ハウスに

今は 放送していませんが 以前放送 崎陽軒のCMで放送していた
山下町のジャズ喫茶 ミントン ハウス
オープンして40年 オーナー おいどんさん CM同様 店のドアー
は開けっ放し 人柄どうりの雰囲気 客は私だけでした
ビール飲み退散 桜木町 ジャズ喫茶 ちぐさも久しく行って
いません

201711013

根岸線 関内駅に 昨日は 何年ぶり 横浜ベイスターズが広島に
勝ち 日本シリーズに 福岡ヤフオクドームでソフトバンクに
二連敗 3戦目は横浜スタジアムで 昼頃行きましたが 
応援団はいませんでした 昨日も 3-2で負け 今日負ければ 
ソフトバンクが日本一です

野球も何十年も見に行っていません

201711014

自宅近く 駅前 ショッピングセンターが解体 建設で一年ぶりに
先月24日にオープン 以前に比べ 店舗の空きも多く 魅力的
ではありません 駅までの脇道が使え 駅まで少し近くなったかな

右側にスーパーがあるのですが オープンまで 裏側の旧店舗で
営業 この後 解体 マンションが建設予定
空き店舗 オープン出来るのかな?
以前は 飲食店 3店舗ありましたが なくなりました

ブログ 太平記関係は カテゴリー 太平記 その他歴史場所
集約しました


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2017.10.26

鎌倉 太平記 見に行く

先日 後醍醐天皇と足利尊氏との戦い 太平記の場所
鳥取に 船上山 後鳥羽上皇 後醍醐天皇が壱岐に流された
港 美保関に結局 壱岐諸島には行きませんでしたが

舞台になった場所 福島から福岡まで行きました
この後 太平記 歴史的場所に行くのは止めました

近場で 再度 鎌倉に 色々な場所があります
神奈川では足柄峠 近くで 新田義貞兄弟と
足利尊氏兄弟が戦った 箱根 竹ノ下の戦いがありました

2017102411

① 葛原ヶ岡神社内 日野俊基 最後の場所 ② 日野俊基の墓
③ 護良親王閉じ込められた土牢 ④ 護良親王の墓
⑤ 洲崎古戦場 ⑥ 化粧坂切通し ⑦ 稲村ケ崎
⑧ 極楽坂切通し ⑨ 北条高時腹切りやぐら
⑩ 御霊神社

鎌倉 太平記 年表

1316年 北条高時 14代執権に
1324年 日野俊基 正中の変にて逮捕
1331年 倒幕計画失敗 元弘の変 楠木正成 河内赤坂城で挙兵
    後醍醐天皇 壱岐に流刑
1332年 日野俊基 鎌倉 葛原ヶ岡神社付近で処刑
    後醍醐天皇第三皇子 護良親王 吉野で挙兵
1333年 後醍醐天皇 壱岐より脱出 諸国に倒幕の決起を
    呼びかける
    新田義貞 上野国で挙兵 武蔵分倍河原で北条軍
を破る
新田義貞 鎌倉攻略 北条高時自害 31歳
    建武の新政 後醍醐天皇 天皇が自ら行う政治
1334年 京都で足利尊氏暗殺計画で露見し護良親王 鎌倉に
    送られる
1335年 北条高時 遺児 北条時行 足利尊氏 弟 直義を
    鎌倉にて破る 
足利尊氏 兄弟 箱根 竹ノ下の戦いで 
新田兄弟軍 破る
北条時行 鎌倉乱入の混乱で 足利直義 護良親王を
殺害
1336年 足利尊氏 福岡に逃亡 その後盛り返し 兵庫県湊川
    で 楠木正成 敗北 自害
1337年 後醍醐天皇 吉野で南朝を開き 南北朝に分裂
1338年 新田義貞 斯波高経と越前藤島で戦い 敗死 38歳
    北朝 足利尊氏 室町幕府征夷大将軍となる

1336年 足利尊氏 敗北 原因は 北畠顕家が陸奥下向 霊山より
    攻め上がり これが原因で 尊氏 九州に逃れる

太平記の場所を見る為に鎌倉 源氏山に 麓は寿福寺 頼朝 正室
北条政子 鎌倉幕府第3代征夷大将軍 源実朝の墓があります 
頼朝の父 京都で保元の乱で 平清正に敗れ関東に逃げる途中 
中部 知多半島で家臣の裏切りにより殺害される
のですが 逃げ延びるさきが 寿福寺ではないかと?
源氏山には頼朝の銅像があります

源氏山には 北鎌倉駅より大仏ハイキング コースで行くのですが
今日は スクーターで 銭洗弁天は車が通る道があった記憶 鎌倉駅
西口付近より銭洗弁天に道は狭く 車では厳しいかな
無事 源氏山公園まで行けました 近くに葛原ヶ岡神社が 

201710241

葛原ヶ岡神社内 後醍醐天皇による北条倒幕計画で六波羅探訪に
より露見 計画の罪をかぶり 日野資朝 日野俊基は鎌倉に送られ
日野資朝はその後 佐渡島に流刑 その後殺害される
日野俊基はその後 葛原ヶ岡神社付近で処刑 
神社内には 俊基終焉の地の石がありました

201710242

神社近く 日野俊基の墓

201710243

1333年 新田義貞 足利尊氏 同じ 源氏が祖 新田義貞が群馬県
新田荘 生品神社で倒幕の挙兵 鎌倉に 同じく京都に在住していた
足利尊氏は 京都府
亀岡市 篠村八幡宮で 六波羅探訪を攻める為に
挙兵

自宅近くにも 鎌倉道があります 各地にあり鎌倉詣での為に
出来た道です この道の先に 大船駅があり ひょっとして 新田軍
通ったのかな?

鎌倉攻めでは 足利尊氏 子 二代将軍 義詮 千寿王が参加 
わざとらしい源氏の家筋では 新田家 足利家では 足利家が
位が高い

湘南モノレール 湘南深沢駅から大船駅よりに 洲崎古戦場の碑
左側が 鎌倉方面です
分倍河原の戦いで敗れた 北条軍 鎌倉にもどり この地で
立て直す 北条軍 赤橋守時と新田軍 堀口貞光軍が激突
6万ちかくあった 幕府軍が300人位になる

201710244

鎌倉 中心部 大倉幕府? 鶴岡八幡宮の隣 に入るは
鎌倉7口 切通しを通らなくてはいけないのですが 八幡宮
近く 巨福呂口は突破できず 源氏山公園近くの化粧坂口も
突破できず 激戦に

201710245

幕府内突入方法を 海側 由比ガ浜と七里ガ浜の間にある
稲村ケ崎に変更 伝説では新田義貞が 黄金の太刀を投げ入れると
潮が引き 由比ガ浜方面に新田軍が通過出来た あくまでも
伝説です

201710246

江ノ電 極楽寺駅近く 極楽寺坂切通しより 激戦でしたが
幕府内に侵入が出来た 中心部に攻め込む

以前 極楽寺坂の碑を見ている時 若い人が来て 移動して下さい
との話 何を言っているか不明で スタイルの良い人が坂から
降りて来ました 綾瀬はるかさんでした カメラは見えず
多分 アジサイで有名な 成就院から遠望で撮影していたか
後で調べると 映画 海街diary の撮影でした

201710247

鶴岡八幡宮近く 宝戒寺 奥 東勝寺跡 北条高時腹切りやぐら
鎌倉に新田軍が侵入すると 14代執権 北条高時 一族が
菩提寺 東勝寺に退き 自害 享年 31歳 鎌倉幕府消滅

太平記はその後舞台は 京都に移り 1333年~1338年 
室町幕府が出来るまで 戦いが続く

201710248

鶴岡八幡宮から金沢街道 途中に鎌倉宮

明治2年 明治天皇により護良親王を祭る神社を造営
土牢があった場所に 本殿を造営

1334年 京都で足利尊氏暗殺計画で露見し護良親王 鎌倉に
    送られ 本殿後方にある 土牢に9か月 幽閉

1335年 北条高時 遺児 北条時行 足利尊氏 弟 直義を
    鎌倉にて破る その混乱の中 直義の命で殺害される

201710249

鎌倉宮近く 護良親王の墓 階段が凄い

2017102410

番外 御霊神社に 極楽坂から長谷方面に 途中 京都らしい
力餅家を曲がり 江ノ電の踏切の先にありました

最近 初詣 混雑が嫌で 近場の 中田 御霊神社に
一度 総本山 鎌倉 御霊神社に 鎌倉権五郎景政を祭る

東北 平泉 藤原家が出来るきっかけ 源義家が平定した
後三年の役に 鎌倉権五郎景政 17歳で参戦


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2017.10.20

島根 富田城 三保 鳥取 船上山 鳥取城

島根 鳥取に行って来ました

目的は 尼子氏再興 尼子勝久 中山鹿介の城
月山 富田城 後醍醐天皇 鎌倉幕府討伐計画が露見
過去に 承久の乱で後鳥羽上皇が 隠岐に流罪
後醍醐天皇も 先例に従い 壱岐に流罪 後鳥羽上皇は
壱岐で死亡 不屈の後醍醐天皇は 壱岐を抜け出し
名和長年の助けで 壱岐島を抜け出し 船上山にたてこもり
北条軍に挙兵 打ち破り その後は 太平記の世界
足利尊氏が 京都 六波羅探題を攻撃 東国では 新田義貞
が 鎌倉幕府を攻撃 鎌倉幕府を崩壊させる

鳥取城に 江戸時代は 備前岡山城の分家 池田氏の城
戦国時代は 羽柴秀吉の中国攻めになった城 秀吉 播磨
三木城で兵糧攻め落城後は 秀吉 鳥取城を攻撃
毛利家の家臣 吉川経家を城主に迎え 三木城以上の徹底的な
兵糧攻めを実施 経家は 自決と引き換えに開城

秀吉 兵糧攻め 水攻め 大返し何度か実施しています

201710191

① 月山 富田城址 
② 後鳥羽上皇 後醍醐天皇 壱岐に流罪 汐待の寺 仏谷寺
③ 後醍醐天皇 壱岐を脱出後 上陸した 腰掛岩
④ 名和氏と北条軍が戦った 船上山
⑤ 鳥取城址

201710192

以前 夫婦で 島根に 足立美術館 松江城 出雲神社に皆生温泉
に泊まり 今回 月山富田城 足立美術館で看板見ました 訪れると
すぐ近くでした 尼子氏の歴代の城 毛利に敗れ 尼子が没落
お家再興で 悲運の武将 中山鹿介が有名です
晴久が最後の守護 毛利に滅ぼせられました

月山富田城奪還を目指す 中山鹿介に擁立され尼子勝久は 中国攻め
を目指す 秀吉に援軍を求めるが 信長が秀吉に三木城の攻撃を優先
させ 援助は中止 中山鹿介は捕虜になるが 毛利に移送中に殺害
される

山城甘く見ていました 山全体が富田城址 麓には中山屋敷も
頂上は本丸 後のことを考え 登るのを中止

201710193

中山鹿介の像 富田城 麓

201710194


鳥取県側 境港 島根県側  美保関 境水道を結ぶ
境水道大橋 

壱岐諸島に行こうと思いましたが 美保関側から 高速船で3時間
フェリーで4時間 行くのを諦めました

今回で 鎌倉幕府崩壊から室町幕府誕生 皇室の南北朝分裂
この様なストーリーを描いた 太平記

北は福島県から福岡県まで 訪れました 壱岐はいけませんでしたが

201710195

後鳥羽上皇 北条氏を倒すべき 挙兵 その後敗れ 1221年に
壱岐に流刑 1332年 後醍醐天皇 鎌倉幕府に反逆し壱岐に流刑
京都から此処まで来て 壱岐に 上皇と天皇は流された島は
違うようです 出発まで潮待ちした 寺 仏谷寺

201710196

美保関漁港 多分此処から 上皇 天皇は壱岐に

以前泊った 皆生温泉から 美保湾沿いに 漁火が見え 島が見え
あの付近から 後醍醐天皇 壱岐に流されたかなと感傷的に
此処から 複雑な 室町幕府誕生の 太平記が始まるのです

201710197

1333年 流罪一年後 名和一族を頼って 壱岐より脱出
山陰線 名和駅 大山町役場近くの漁港に上陸 後醍醐天皇
腰掛岩 名和長年などが出迎えたのでしょうか?
凄い精神力です

最後は 京都に戻れず 北側 京都を向いた 
吉野の後醍醐天皇陵

残念ながら 後鳥羽上皇は京都に戻れず 壱岐で死亡

似たような話 ナポレオンは二度島流しになっています
最初は地元近くの エルバ島 脱出し復活 二度目は
アフリカ セントヘレナ島 二度と脱出出来ませんでした

201710198

名和神社 名和駅近く 名和長年を初め 一族42名をまつる神社
後醍醐天皇を 船上山に迎え鎌倉幕府軍を破る
鳥居の先は 壱岐島を向いているそうです

201710199

日本海から 大山方面 途中に 後醍醐天皇を船上山迎えた
凄く奇妙な山 まるで南米のミニ ギアナ高地風の山
良くこの様な場所見つけたな 名和一族 その後の 楠木正成の
戦い 千早城より 防御は良い

2017101910

此処でも 登山は中止 頂上には 船上神社 後醍醐天皇上宮跡
があります 登山口から 往復で三時間位かかるようです

2017101911

往路は 米子鬼太郎空港 米子は 退職前多分 10回以上宿泊して
います 泊りは何時も ANAクラウンプラザ 米子でした
隣には 米子城址があり 部屋からもライトアップされた城址が
良く見えます

米子城 築城は 応仁の乱後滅亡した 山名氏?
改築は 毛利三本の矢の一つ 吉川広家 城址のみ残っていますが
不明です

吉川経家像 鳥取城 秀吉による食料攻めにあい 開城を条件に
自害した 経家像

2017101912

鳥取県庁裏 久松山に本丸 戦国時代は 天正9年 織田信長の
中国攻めで 羽柴秀吉による 鳥取城攻め 以前 大正6年から8年
兵庫県三木市 三木城で食料攻め 城主 別所長治は 家来の開放
を条件で自害 同じ様な方法 地元の米を買い占め 鳥取城側が
毛利家臣 岩見吉川 城主 吉川経安 嫡男 吉川経家を向える
やはり 三木城と同じ様に食料攻め 経家が自害で 鳥取城を秀吉
勝利 その後 秀吉は 備中高松城 水責めに 途中 明智光秀
が 本能寺の変が起こり 信長は自害

江戸時代は 池田の城

久松山 263M 頂上が 鳥取城の本丸

本丸まで行きましたが 途中棄権 今回 山城 富田城 船上山
全て棄権 歳と共に 山城がきつい

2017101913

鳥取城より 鳥取駅方向の風景 下の洋風の建物は 明治40年
皇太子 後の大正天皇の山陰行啓で 藩主 池田仲博が命じ
宿泊場所として建設 仁風閣

鳥取は 資格の関係で訪れたのは何十年ぶり 米子より少し都会
但し 米子では使えた JR系 ICカード 鳥取は 福井と同様に
使えませんでした すなば珈琲がありスターバックスも
駅の隅にありました

復路は 鳥取砂漠コナン空港から羽田に 時間があるので
山陰線で 1時間に1本 鳥取大学前駅まで 空港まで歩いて 20分
鳥取駅から二つ目次の駅で 電車待ちで6分停車 やはり地方は車で
ないと移動が困難


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2017.10.13

上野 東京国立博物館 運慶展

今月再び 上野に来ました

先日 歳のせいか 9時前に眠ってしまいます
午前 3時頃 起きてしまい 暇なので 録画した
BSテレビ番組 仏像ミステリー 運慶とは何者かを
見て 現在 東京国立博物館で開催中 運慶展
見に行きました

最近 民間所蔵の レオナルド・ダ・ヴィンチの絵が
オークションのかけられる凄い高額になる予定
レオナルド・ダ・ヴィンチの絵は 20点位しか存在しません
ルーブルとフィレンチェで見ましたが 国宝です

今回 運慶 存在も不明な部分があり 実在の仏像も31体
しかありません 今回そのうち 22体が展示されます

無知な私は 運慶の仏像は 東大寺 南大門の金剛力士像
しか思いあたりません

201710131

上野恩賜公園 正面が 東京国立博物館 噴水かあるあたり
江戸時代 徳川家の菩提寺 寛永寺 根本中堂が建っていました
本当に広大です 寛永寺は現在 芸大の奥にひっそり残って
います

201710132

東京国立博物館 平成館に 此処は以前来ました 兵馬俑展に
そんなに混でいませんでしたが 奥さんが以前 阿修羅像展に
来た時は 入場制限で大混雑だったそうです

阿修羅像は 奈良 興福寺は訪れ 感動しました
今回も 運慶 藤原氏の氏寺 興福寺の仏師なので 
多く出展されています

入場者 ほとんどがシニアです 日本人口比でいけば
26%以上が65歳以上 私も含め 年金生活で 平日に来るのですね

201710133

運慶は仏師集団なので 弟子 子供の作品も展示されています
仏像に 義眼が埋め込まれ本当の人間のようです

平重衛の平氏軍が反抗的な 東大寺 興福寺を焼き討ち
再建の為に 運慶集団が再建

東大寺の焼き討ちはその後 戦国時代 松永久秀により実施
されています 大仏以外残ったのかな

運慶の作品 各地にあり 高野山 金剛峯寺 八代童子立像
は阿修羅像と似てる

静岡 伊豆 韮崎 願成就院 北条政子の父親 時政の墓が
あるのですが 二度ほど訪れました 時政の依頼で 運慶の
作品が二点 出展されていました
神奈川には 鎌倉幕府の依頼で何点か展示されていました

凄く良かった 良い展示でした

その後 上野 立ち飲み屋 今回は 肉の大山
大統領大箱の立ち飲み屋ですが 昼間から満員です
カドクラで飲んで 自宅に

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