2018.02.17

源頼朝 旗揚げ 韮山 小田原 真鶴 湯河原 熱海に

源頼朝の父 義朝 京都にて 保元の乱 天皇相続問題で
義朝 平清盛 父 為朝 分かれて戦い 為朝は敗れ
処刑される その後 平治の乱では 平清盛は義朝と対立
戦いの結果は 平清盛に敗れ 義朝は若いころ住んでいた
東国に逃げる 途中 尾張 知多半島でだまし討ちで
殺害される 頼朝は捕まり 清盛の元に送られ 伊豆
蛭ヶ小島に流罪 東国平氏の戦いに敗れるが 房州に逃げ
るが 勢いを盛り返し 鎌倉に源氏の幕府を創る

所縁の地 小田原 真鶴 湯河原 熱海に見に行きました

201802171

① 鎌倉 ② 石橋山古戦場 ③ 真鶴半島 頼朝脱出の岩海岸
④ 湯河原駅 土肥実平の居留地 ⑤ しとどの窟 ⑥ 土肥城址
⑦ 伊豆山神社 ⑧ 秋山郷跡 ⑨ 三島大社 ⑩ 蛭ヶ小島 頼朝
流刑地 ⑪ 北条時政 屋敷 政子生誕地 ⑫ 頼朝 上陸地 安房
鋸南町竜島 

2018021721

静岡県伊豆の国市 伊豆箱根鉄道駿豆線 韮崎駅 東側に蛭ヶ小島
平治の乱で敗れた 清盛に死刑は免れ 1160年 13歳で流刑される
流刑地の近くに 地方豪族 平氏 北条家があり 北条時政の長女 
政子と知り合う 頼朝との結婚に反対し 代官 山本兼隆に政子
を嫁がせようとするが 後白河天皇の第三皇子 以仁王より命旨で
代官 山本家を襲い 1180年 挙兵 流刑生活 20年

2018021722

線路の反対側 北条時政の屋敷跡 政子の産湯の井戸なども近く
にあります 頼朝 流刑地 蛭ヶ小島まで歩いて1時間位の場所

時政 鎌倉幕府 創設後 初代執権になるのだが 内部分裂が原因
で 晩年 鎌倉から伊豆に隠居させられる
墓は 北条屋敷近くの 願成就院にあります

201802172

石橋山古戦場

代官 山本兼隆を襲った後 多分 韮山峠を越え 熱海方面に
目指すのは 父 義朝の屋敷がある 鎌倉に 途中 湯河原
土肥郷に 土肥実平 三浦一族 和田義盛らが加わるが
小田原 石橋で 頼朝軍 300人に対して 平家軍 大庭景観 伊東
祐観 3000人と戦うが敗れ 山中に逃げる

201802173

敗戦後 頼朝軍は 多分 土肥城に逃げようとしたのか不明
途中 近くにあった しとどの窟 洞窟に逃げ込む
当時 平家軍だった 梶原景時 付近に来た時 梶原が知って
いたと思うのですが この付近には頼朝はいないと発言
窮地を救った この様なリアルな状況 吾妻鏡に書かれていた
おかげ 梶原その後 源氏 鎌倉幕府に使える 
義経の活躍をよく思わず 頼朝に告げ口 御家人からは嫌われ
その後 鎌倉を追い出され 駿府で親子共々最期を遂げる

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しとどの窟近く 海抜536M 城山 土肥氏の土肥城址

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湯河原駅 土肥実平夫婦の像 この付近が 土肥氏の邸宅跡地
この北側に 土肥城が

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土肥氏 菩提寺 湯河原駅裏側 城願寺 一族の墓が
土肥氏 土肥実平 その後の源平合戦に転戦 惣追捕使として
瀬戸内海等を管理 鎌倉幕府創立後 長男 遠平と広島三原市
に移住 毛利元就の三本の矢の一つ 小早川家の創始者とは
驚きです

2018021711

頼朝軍 石橋山敗戦後 しとどの窟に隠れたり 多分 土肥氏
の誘導で 湯河原駅の隣 真鶴駅近く 真鶴半島付け根
岩海岸に 此処から 相模湾を横切り 安房 鋸南町竜島に上陸
正面の橋は真鶴道路です

その後 上総 千葉一族と合流 武蔵国では 葛西 足立 畠山重忠
河越 江戸氏などと合流 鎌倉に入り 幕府を創る

その後は義経の活躍する 木曾義仲と源平合戦となる 

201802178

蛭ヶ小島で旗揚げ前 頼朝と政子が良く通った 伊豆山神社
神社から 熱海越しに 伊豆の山々がみえますが 三島大社も
通ったそうですが こちらは平地ですが伊豆山神社は遠いな

隣にMOA美術館が見えます 以前訪れましたが 山の中が
くり抜かれエスカレーターで上部に 立派な美術館です
境内 アベック多いな 頼朝 政子の関係でしょうか

201802179

頼朝 政子の腰掛岩 説明文では 蛭ヶ小島に配流されていた
頼朝は当神社を崇敬しており 頼朝と政子が恋を語らった場所

これか アベックが多い原因

2018021723

熱海に来たので 久しぶりに 日帰り温泉 日航亭 大湯に
過去に お宮の松の前ある ミクラスに泊まりました
食事は フランス料理でした 窓から熱海港に入る大島からの
高速船見えました現役時 大島出張10数回泊りで行きました
なぜか大島出張 以前赴任した 沖縄を思い出しし 夜 下田の町
の光を見ると もの悲しくなります
強風があると 飛行機 高速船は欠航になり 帰りは大型船のみ
東京 竹芝 熱海港など4時間ぐらいかかります

熱海に出長から帰った場合 さすがに 東海道線で藤沢駅から
自宅に帰りました 島の生活きつい

温泉は 熱海銀座街を通りぬけ 源泉がある近く隣に湯前神社
があり 間欠泉もあります 徳川家康 熱海の湯を気に入り
本陣もあり 湯を江戸まで運び東京で 熱海の湯を楽しんで
いました

有馬 草津の様なきくような湯ではありませんが 源泉かけ流し
良い湯でした

何故日航亭 JALと関係あるのかな?

最近 古事記と日本書紀を購入 古事記は神話を書いていますが
理解しないと 日本の成り立ち理解できない様に感じます

日本書紀はこれからです

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2018.02.03

麺屋 吉左右

201801318

以前より行きたかった 麺屋 吉左右  門前仲町近く
10年ぐらい前はつけ麺では高位でした 待ち時間が長いとの
噂で 開店20分前に 2人の並び 帰る時は20人位の行列
動物系と魚介のWスープ マイルドですが 大勝軒などと
明らかに違います 麺を含め 特徴を決めずらい まずまず

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2018.02.02

東京湾岸市場 東京オリンピック選手村

豊洲市場 土壌汚染問題で建物は2016年に建物は完成していたが
その後 都知事交代 都議会の与党敗北により 築地市場から
移転が延期されていましたが 2018年10月の移転が決定
東京オリンピック 選手村の道路の建設が築地市場が 邪魔で
移転が避けられない状態でした

東京湾沿岸の市場を訪ねました

201801319

① 太田市場 ② 品川食肉市場 ③ 築地市場 ④ 豊洲市場
⑤ 東京オリンピック 選手村 ⑥ 浜離宮恩賜庭園
鳥羽伏見の戦いで幕府軍敗戦後 大阪城にいた 最後の将軍 徳川慶喜 
会津藩主 松平容保 桑名藩主 松平定敬 大阪城を脱出 大阪湾
より海路 此処 江戸 浜離宮に逃げ帰り 上陸した場所 徳川慶喜
はその後 上野 寛永寺に入り謹慎 江戸城は無血開城
⑦ 選手村より都内に抜ける道路 朝日新聞社近く 築地市場を
取り壊さないと建設出来ない場所

201801311

大田区 モノレール 流通センター駅近くの太田市場
青果の旧神田市場・荏原市場、水産の大森市場を統合した市場
青果 水産物 花の市場があります 敷地は広く 築地市場
より広い 豊洲市場の移転が遅れ 此処に移る計画もあった

201801312

品川駅 港南口 京急 プリンスホテル側は行きますが
港南口は初めて 駅前に 食肉市場が と殺場もあるようです
8時頃で通勤する方が行列 厚木IC近くにもと殺場があり
二度ほど トラックに乗せた豚見ました 複雑

リニア新幹線の東京の始発駅 駅の工事が始まっていました

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築地市場 関東大震災で 日本橋河岸にあった 市場が崩壊
昭和10年に埋め立て地 築地に市場を再建 歴史的には80年
近くに歴史があります 場内に入るのは 三度目です 
仲卸に行こうと 外人の後について行きましたが
見学は10時以降 写真も禁止だそうです

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場外は残るようです 築地魚河岸 魚を販売する店が新しく
出来ていました

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場内 魚がし横丁 6号館 寿司大 大和寿司には 外人を含め
朝から大行列です

201801316

今年10月 築地市場から移る豊洲市場です 最寄り駅 新橋から
豊洲まで運行している ゆりかもめ 市場前駅 
築地市場には 地下鉄2路線 築地 築地市場の2駅があり
アクセスに問題があるようです

建物は新築で衛生的ですが 土俵に問題あり いかに遮断出来るか
石原元都知事 罪深いな

途中 勝どき橋の先 航空級 無線通信士 試験会場 試験で
訪れました 帰りは 同僚と築地場外で宴会 無事1回で合格
出来ました

201801317

豊洲より一つ築地より 埋立地 晴海 晴海ふ頭から 東京
オリンピック時 選手村になる場所 工事は始まっていますが
建物らしきものありません 豊洲以上に 交通アクセスは
ありません 専用道路作りバス輸送に?

前回 東京オリンピック 選手村 明治神宮近く 米軍居住地域
を改修した 施設で新入社員教育で三か月生活しました

まもなく 平昌冬季オリンピックが韓国で開催されますが
2020年 東京オリンピック盛り上がりますかね


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2018.01.23

輪島 和倉温泉 氷見 高岡

退職前 会社に旅行での補助制度があり 和倉温泉の
加賀屋 プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」で常に
上位に名を連ねており、調べると シーズンで高価です
その為 現役時能登に行くことは出来ませんでした

正月時 娘が来ており 行きたいとの事で 家族三人で
和倉温泉に やはり オフシーズンでも加賀屋は高く
姉妹館 あえの風を予約して能登半島に

201801211

行は のと里山空港に ふるさとタクシーで輪島朝市に
三大朝市 千葉 勝浦 佐賀 呼子 輪島 11時頃到着
開催は12時までですが 店は10店舗あまり 買いたい
ものもなく のと鉄道 穴水駅に

201801212

朝市で見つけた 珍しいもの ふぐの卵巣 糠漬け
二年以上糠漬けで毒が消えるそうです

先日 愛知のスーパーでふぐが内蔵と共に売られており
問題になりました 

和倉温泉には 穴水駅からのと鉄道で 輪島~穴水駅は
10年以上前に廃線に バスで行きます

冬なので 千枚田も見られず レンタカーがベストです

201801213

穴水駅よりのと鉄道 JR七尾線で和倉温泉駅に 
金沢からは直通で和倉温泉駅に行けるようです

和倉温泉駅より旅館に電話 すぐに迎えのバスが
到着時 旅館で10人以上の従業員の迎え なれていないので
戸惑いました

201801214

ロビーより 七尾湾が一望 部屋 大浴場からも湾が一望
出来ます 

夕食はかにのバイキングでしたが いまいちでした
此処まで来たら 寒ぶり食べたかった

201801215

旅館の先が 姉妹店 加賀屋 夜8時以降は 加賀屋の風呂に
入れるので バスで送ってもらいました
湯は宿泊の宿と同じ

皇族が泊る宿なので 豪華かなと思いましたが それなり
但し 客は多かった リッチな人多い

201801216

和倉温泉から氷見に 此処も鉄道ないので 高岡行 バスで
途中 富山湾から蜃気楼らしき影が 立山連山曇りで見えず

ひみ番屋街 漁港近くの道の駅らしき施設に 12月2日、
ひみ寒ぶり宣言が出ました 昨年度は不漁で出ませんでした
この日は100本近く捕獲

それほど寒ぶり大きくないですが 3万円以上するのです
10時頃氷見到着 旅館では朝食食べ 番屋街の回転寿司で
寒ぶり食べました まーまーです
付近は食べる所もなく 民宿に泊まらないとだめでしょうか

寒ぶり 佐渡沖でも捕れるので新潟の方が良いかな 

201801217

JR氷見駅から氷見線で 高岡に富山まで行く電車時間があるので
南口 駅前大通り 途中 参道 八丁通り 東西に 加賀前田家
二代 前田利長 菩提寺 瑞龍寺 反対側に 利長 墓所があります
時間を考えて 墓所に 

加賀前田家 100萬石 柴田勝家 前田利家 織田信長により
北陸制覇の為に 柴田勝家 福井 北ノ庄 前田利家 福井
府中に 明智光秀による信長 本能寺の変 その後 柴田と
秀吉が対立 琵琶湖北側 賤ケ岳の戦いで 激突 柴田の部下
前田利家の戦線離脱が原因で勝利 戦後 秀吉 利家に 能登
石川 福井の領地を贈る 金沢城は利家が築城

秀吉亡き後 五大老 利家 家康は秀吉 跡継ぎ 秀頼の扱いに
ついて対立 利家死後 家康の勧めで 利家と正室まつとの間に
生まれた 嫡男 利長 金沢に帰る事を勧められ帰郷
前田家は徳川家から外様大名で 家康は謀反の疑いをかけられる
徳川時代 秀吉 譜代で 加藤清正 福島正則などは 取りつぶし
にあっている 話し合いで徳川からの要求で利長 母 まつが江戸に
人質として送られ 又 徳川秀忠の娘 珠姫を 利長は子供が
無く 利家の側室 4男 利常を養子にし 珠姫を正室に
利常は加賀藩 二代藩主 前田家3代になる
二代 利長は 引退し高岡に築城 加賀前田家 100萬石を
守る 

近くには 菩提寺 国宝 瑞龍寺 高岡駅北側には 高岡古城
公園には 高岡城祉があります

201801218

高岡駅から富山駅に 北陸新幹線が開通したので 在来線は
第三セクター あいの風とやま鉄道になっています

富山駅は退職後初めてなので四年ぶりです 当時は駅は新幹線用
の高架駅を建設中なので初めて見ました 路面電車も駅 南北に
開通していました

建設中の富山駅

冬に良く見える 立山連山 今回曇りで見られなかった

テレビでよく見る 路面バスの旅になりました

富山空港から羽田空港に 

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2018.01.13

みなとみらい 海上保安庁 工作船資料館

昨年末から日本海岸に 北朝鮮の漁船が多数漂着
北朝鮮の核 ミサイル問題で アメリカが北朝鮮
を攻撃する話題も 韓国はおろか日本も北朝鮮の
攻撃目標に

平成13年12月22日 奄美大島沖で不審船を発見
海上保安庁の巡視船と不審船が銃撃戦 不審船は
自爆 沈没 

九州南西海域工作船事件 youtube

九州南西海域工作船事件 ウィキペディア

後日 日本政府はこの不審船が北朝鮮に関する証拠確認の為
に引き上げられた船 不審船見る為に 海上保安庁がある
横浜港 みなとみらい 工作船資料館に展示
見に行って来ました

201801131

三十数年前横浜に引っ越ししてきた時は 横浜駅は
現状で みなとみらいは埋め立てが終わったばかり
で 横浜博が開催 東口よりロープウエーが掛けられ
みなとみらに見に行きました 現在は空き地はほとんど
なく 未来のような街に 名古屋転勤中にランドマーク
タワーが建設され変わりようにびっくりしました

赤レンガパークに 数年前 オクトーバーフェストでビール
飲みに行った時以来 横浜港対岸は 大桟橋 ベイブリッジ

その時は みなとみらい駅から歩いて行きましたが
遠い 今回は桜木町駅から あかいくつ巡回バスで
赤レンガ館に

201801132

隣に 工作船資料館が 隣には海上保安庁の巡視船が
接岸していました でかいです

201801133

館内 工作船(母艦) 長さ30メートル 44トン 日本海に
打ち上げられた漁船は 木造船ですが鋼鉄船 銃撃の跡が多数
見られます

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工作船後方に観音開きのDOORが 小型舟艇が収納されています
過去の拉致事件に使われたか不明ですが

201801135


収納されていた 小型舟艇 長さ11.21メートル 母船の半分
の面積 これにスエーデン製の300馬力のエンジンが3基
搭載されています 時速90km出るそうです

201801136

母船上部より 操舵室は自爆で無くなっていますが 前方は
エンジン室 1100馬力のロシア製のエンジンが4基 船の前方
半分はエンジン室 燃料タンク バラストタンク 小型船
の収納などはで 実質 乗務員のスペースは操縦室のみに
限られます 昔の日本軍見ている様で怖いです

201801137

搭載されていた武器 機関銃 ロケットランチャー 二連装機銃
無反動砲 自動小銃 

日本製の携帯電話 自爆前に海に何かを捨てている画面も見ました
麻薬の密輸か

現在 平昌オリンピックで 韓国 北朝鮮が参加の意思
平和の交渉中は 米大統領は 攻撃は実施しないと公言
していますが 現大統領 何をするか不明だけに
不気味です


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2018.01.04

2018年 正月 皇居 箱根駅伝に

201801032

2018年 正月 近所の畑越しの 富士山
手前にある 建物 区内の警察署です この付近まで
10年前 自宅近くの大通り やっと開通 権太坂和泉線
箱根駅伝で有名な 二区 保土ヶ谷区 権太坂
最近 その先 環状4号線までの道路工事が河川工事が
終わり 3月には開通予定 東西の道路狭くやっと4号線
に行ける 20年以上かかっています 3号線など工事など
始まる様子はありません

201801031

年末から娘が 元日には息子夫婦が 久しぶりの家族が
揃いました

2日には 皇居に 皇室一般参賀に 来年 200年ぶりに天皇
が退位して上皇に 過去には天皇の権威を残し 子孫に位を
譲事は多数ありました 今回の平成天皇は 良い決断だと
思います 崇徳上皇の様に 怨念になる事も

東京駅から二重橋に 丸の内 観光バス 街宣車がいっぱい
です 5回の年賀があるのですが 一回目 10時10分に合わせて
皇居前広場方面に 堀近くで大行列が 考えていることは同じ
来年 4月退位なので 来年来る事で 参賀諦めました
本日 平成になり 最大 12万7000人が参賀

201801033

3日は箱根駅伝 復路8区9区 戸塚中継所に
駅前からバスで戸塚駅に 中継点 戸塚警察前交差点に
右側は鶴見中継所に 信号のない横浜新道に通じる道路
途中 右に回り国道一号 不動坂に これが吉田茂が
東京から別荘 大磯に行く途中 東海道線 戸塚駅 大踏切
で渋滞 命令で出来たのが 吉田茂の線路高架したワンマン
道路

時々裏道で来る スーパー LIFE ホームセンター
コーナン その先 ホンダの販売店が復路の中継点
携帯テレビで見ていましたが 到着時 藤沢 遊行寺の坂
なので大丈夫なかと思いましたが 交差点通行禁止になり
ました 下り道路通行可なので 撮影が心配です

201801034

往路二位 青山学院 此処では1位 やはり強い

隣の方は 一眼レフで連写 デジカメで撮ったら 通り過ぎ
ました

201801035

前日 5区 箱根の登り 法政大学の青木涼真が9人抜き、
区間新を記録した

此処では 早稲田抜き 3位に但し団子状態 結果は6位
シード権は前年同様 決めました


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2017.12.28

小田原 箱根 宮ノ下

201712284_2

ネットで調べると 箱根 宮ノ下付近に 太閤岩風呂が
宮ノ下から左に行くと 芦ノ湖 関所 箱根駅伝のゴール
まっすぐ行くと 仙石原に 途中 太閤岩風呂の看板が
太閤石風呂通り その先に 太閤岩風呂の跡が 現在枯れて
いますが 温泉が出ていました 昔は石鹸などなく 風呂と
言えば 蒸し風呂です

201712283

宮ノ下交差点 左に行くと 箱根駅伝のゴール まっすぐ
行くと 仙石原 左側に 竜宮城の様な 富士屋ホテル

Fujiyahotel01

秀吉 後北条 小田原城攻め 三島から中山城攻め 小田原に
1590年 石垣城に一夜城築城 東北の雄 伊達政宗 秀吉の
上洛の命令に答えず 秀吉の怒りをかい やっとの事で
小田原に 一夜城築城の間に 此処 底倉に岩風呂を造る
兵士の療養 正宗の帰順を祝い 家康 淀姫を同行祝宴を

秀吉にとっては 北条攻め 埼玉 多摩 伊豆の北条の城は
配下の大名により攻め 兵站などは 小田原港に余裕の戦い
兵士に 戦争が飽きない様に 遊郭まで建設 

201712281

早雲寺 後北条 北条早雲の遺言で二代 氏綱が創建
箱根湯本駅 箱根湯本富士屋ホテルの裏側 歩いて行くと
距離はあります 小田原征伐時 秀吉 本陣に 石垣一夜城
建設後 早雲寺 付近は焼き払われました

201712282

後北条五代供養塔 右から 一代北条早雲 二代 氏綱 三代 氏康
四代 氏政 5代 氏直

201712286

久しぶりに 小田原駅前 4代 氏政 弟 八王子城主 氏照
墓所 落城後 家臣の屋敷で切腹 その後この場所に埋葬
5代 氏直は 高野山に追放 

北条氏 上杉謙信 武田信玄の攻めに耐えた 小田原城 囲んだ
総構え
 豊臣秀吉軍に自信もっていたか

201712285

念願の 太閤湯 二日前 小田原駅まで藤沢駅から湘南ライナーで
その後 箱根湯本駅 そこから箱根登山鉄道で宮ノ下駅まで
外人がいっぱい 大きな荷物 スイッチバック3回 疲れます

今回は 車で 自宅から 厚木 小田原経由で箱根に 駅伝前ですが
何故か 東海道に謎のランナー 歩道がないので渋滞が

太閤湯 ネットでは 水曜日 第三火曜日は休み
当日 第四火曜日も休みに リベンジで二日後に車で
行きは 小田原 厚木道路 帰りは 箱根駅伝のルート
西湘バイパスで

太閤湯 源泉は 富士屋ホテルと同じ 太閤岩風呂付近です
源泉 かけ流し 70度近 良い湯でした

秀吉 有馬の温泉もお気に入り 此処にも太閤の湯があります
以前 有馬 向陽閣 草津同様良い湯でした

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宮ノ下付近 箱根駅伝 5区6区 弾幕がいっぱいです
正月 2日 3日は人がいっぱいで見るのも大変です

201712288_2

帰って来ました 宮ノ下から 戸塚中継所 50km 車で一時間
花の二区 来年も見に行こうかな


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2017.12.22

尾張 美濃に

名古屋転勤から戻り 20数年になりますが 過去に1-2回
名古屋に行きましたが 三河の歴史的場所訪れましたが
尾張は当時歴史的な興味なかったので 今回改めて 尾張
美濃を訪れました

201712191

① 長久手古戦場 小牧 長久手の戦い  名古屋城
③ 大須 万松寺 ④ 豊國神社 秀吉 清正 誕生地?
⑤ 名古屋駅  清州城址 ⑦ 岩倉城址 
⑧ 聖徳寺跡 織田信長 斎藤道三 会見場所
 小牧城址 ⑩ 犬山城 ⑪ 各務原飛行場
⑫ 生駒屋敷跡 信長 側室 吉乃 実家
⑬ 県営名古屋空港 ⑭ 墨俣一夜城祉  岐阜城
⑰ 関ケ原戦い 東軍 集合場所 家康本陣 安楽寺

信長 移動ルート ②那古屋城→⑥清州城→⑨小牧城→⑯岐阜城
→安土城

201712193

② 那古屋城址 現 名古屋城 二の丸庭園に那古屋城址の看板
信長が生まれた場所 文章には 誕生が勝幡城が有力との説
育ったのは 那古屋城です

信長 年表

201712192

③ 今川家が尾張守護の斯波義達を破り、那古屋の地を奪い
そこに城を築いたのが 織田信秀は、この今川家を尾張から
追い出し新たな戦略拠点として那古屋城を選んだのである。

1551年 信長 18歳の時 父、信秀の死により、家督を相続
葬儀が行われた 寺 大須観音で有名な 万松寺で行われる
信長が葬儀の席で父親の位牌に焼香を投げつけたのは有名で
世間では うつけものと噂される
ビルですが 寺は残っていました

名古屋時代 パソコンをwin 3.1で初め ソフト 周辺機器を
近くの アメ横ビルに買いに来ました フライトシュミレーター
のソフト 無知でマック版のソフト購入 良い勉強になりました

201712195

⑥ 那古屋城の西側 信長 二番目の城 清州城 立派な観光城が
多分 当時は砦の様な城だと思う 1405年 尾張 遠江 越前
守護 斯波義重が築城 応仁の乱により地方大名」は没落
その後 織田大和守家 守護代 下四郡(海東、海西、愛知、
知多)を支配する 織田信友が入城 信長の身分はその下
織田弾正忠家 清州三奉行の一人

1555年 信長22歳 伯父 守山城主 織田信光が信長と共謀
城主 織田信友を殺害 清州城を奪う

その後の清州城ではいろいろな舞台に

1) 反旗を翻した二歳下の弟 信行を城内で殺害
2) 今川義元との桶狭間の戦い 此処より出陣
3) 本能寺の変後 信長の後継者選ぶための会談 清州会議
4) その後 福島正則が城主になり 関ケ原の戦い 東軍の拠点に

201712196

⑧ 聖徳寺跡 織田信長 斎藤道三 会見場所

信長 15歳の時 美濃 岐阜城主 斎藤道三娘 正室 濃姫と
父 信秀 同盟の為に 政略結婚

その後 道三 娘婿 信長を見る為に 20歳の時
木曽川河畔 尾張側 聖徳寺で会見 会う前は相変わらず
の服装でしたが 会見の場では正装で 道三 信長の器量を見直す

道三 最後 岐阜城を嫡男 義龍に譲るが その後攻められ死亡
信長 尾張より岐阜に向かうが間に合わず 
信長 岐阜城攻めまで 長良川が横たわり 攻略には時間がかかる

正室 濃姫 信長との子供なく その後の消息不明
信長なので殺されたかな?

201712197

⑦ 岩倉城祉

名鉄 犬山線 岩倉駅近く 名古屋6年在住で 残り1年 単身で
犬山線 3駅名古屋より 西春駅に住んでいました 懐かしい

1555年に守護代織田信友を討って清洲城を手に入れ、1556年に

丹羽、葉栗、中島、春日井の尾張上四郡を支配する 伊勢守家
岩倉城主 織田信安 清州城 守護 斯波氏を追放

信安の跡を継いだ 嫡男 信賢 浮野の戦いで敗れ 信長により
岩倉城は落城 その後 犬山城主 織田信康 敗れ落城

信長が 尾張を平定

桜で有名な 五条川が清州から流れています

201712198

名鉄 犬山線 岩倉駅より犬山側に二つ目 布袋駅
生駒屋敷跡 元は 大和 奈良生駒山 この地で運送業で財を
三代家宗の娘 吉乃 信長に見染められ 側室に 嫡男 信忠
本能寺の変で自害 次男 信雄 徳姫 家康 嫡男 信康の妻

信長 子供が多い 正室 濃姫 側室は8人もいました

秀吉 三河 遠江に放浪後 生駒屋敷に信長に仕える機会に
此処には 蜂須賀小六 等が訪れ美濃攻略の相談に

201712199

1563年 尾張を平定した信長 美濃攻めの為に清州より小牧に築城
パソコンソフト フライトシュミレーターで名古屋県営空港から
北側に離陸すると すぐに左下に 濃尾平野の中に 小牧山が

美濃攻め 斎藤道三の孫 斎藤龍興を攻めるのに その後4年
かかりました

小牧城 秀吉と家康の戦い 小牧 長久手の戦いでは 家康の本陣
になりました 秀吉は 犬山城に

木曽川河畔 犬山城 当時 個人所有 国宝 犬山城でしたが
到着時 午後5時 閉館 見る事が出来ませんでした 
名古屋在住時 子供が小さく 明治村 モンキーパーク リトル
ワールド 行きました もちろん 犬山城も 雰囲気が良い

2017121913

小牧 長久手の戦いで 長久手古戦場に 以前 トヨタ博物館に
自動車見に行った時 長久手古戦場があるのは知りました
又 以前 愛知 万博もこの近くで開かれました

小牧 長久手の戦いがあった場所 本能寺の変で信長 亡き後
秀吉は天下を納めつつある中 故信長の次男 信雄が家康に頼み
秀吉を討つために 連合軍で挙兵 家康は小牧山城を占拠
池田恒興が犬山城を占拠 家康と秀吉 小牧城と犬山城で対陣
野戦の強い家康を警戒して秀吉は 無用な手出しを避け膠着状態

その前の羽黒の戦いで 池田恒興 森長可が敗北 汚名挽回で
秀吉に 家康無き三河 岡崎城の攻撃を申し出る

小牧 長久手の戦い 布陣図

秀吉軍 池田 森 堀 秀次 2万人で岡崎城に この状況を知った 
家康軍 追撃 長久手で激突 秀吉軍の大敗北 秀吉初めての負戦

負けても 秀吉 織田信雄と和睦 馬鹿らしくなった家康 終戦に

2017121914

名古屋駅 太閤口 中村区 その先に 大鳥居 豊國神社
豊臣秀吉 生誕の地 碑もあります 秀吉 出生は不明だけに
信じられません 隣の常勝寺に これも 加藤清正の出生の地?

秀吉 出生が良くないので 子供の頃は記録に残っていません

201712194

信長 生誕地 那古屋城 跡地に 関ケ原の戦い以後 家康が
豊臣秀頼 大阪城包囲網として築城 久しぶりに来ました 
本丸に熊本城と同じく本丸御殿が築城されていました
時間なき為 天守閣 御殿 見学できず

天守閣 耐震性に問題あるので 河村名古屋市長が木造で建て替
えると言ってます

名古屋 三英傑祭 信長 秀吉 家康があります
信長 滋賀 安土城 秀吉 大阪城 京都 伏見城 家康 江戸城
静岡 駿府城 それで 誰も愛知には残っていません

久しぶりに名古屋の道走りました 改めて道幅は広い
栄 テレビ塔 意外と小さいな

2017121910

美濃攻略の為に 長良川 秀吉が西岸に築いた 墨俣一夜城
これも立派ですが 実際は砦の様だと思います

信長 美濃攻略 清州城からさらに美濃に近い小牧城移り 4年
斎藤家は道三が嫡男 義龍に滅ぼされ 5年で死亡 その後
龍興に移る

尾張と美濃の間には 木曽川 長良川 揖斐川の大河があり
地元に詳しい 蜂須賀小六の協力で 上流に木材を準備
木曽川 境川の水運を利用して 馬柵 櫓を三日で建設
一夜城と呼ばれる その後 稲葉山城(岐阜城)を落城させる

2017121917

関ケ原の戦いの前 家康 東軍は上杉征伐の為に 会津に
西軍が 大阪 伏見で攻撃 東軍 家康は小山で会談 方針を
西軍を攻める事に決定 東軍は 福島正則の清州城に集結 家康は
江戸城に帰り 動かず 家康は東軍の協力度を示させる為に
岐阜城攻撃を命ずる それに応え 家康 中山道 赤坂宿に
その時 家康が本陣とした 安楽寺 大垣城に布陣した 西軍と
赤坂宿 抗瀬川で交戦 西軍についた島津義弘 大垣で夜戦を
言ったが 石田三成に却下され それが 関ケ原の戦いでは
島津軍 戦わず 西軍敗戦後 的中突破で薩摩に帰る事に

意外と近い 大垣城と赤坂宿

2017121911

信長が地名 井野口から岐阜に変更 1567年 秀吉の活躍など
あり 斎藤道三の孫龍興から奪う 
道三 元々 土岐頼芸が主君であるが 稲葉山城(岐阜城)を
奪い 土岐頼芸を追放 元は 京都で油売り 謀略を駆使して
美濃を奪い取る まむしの道三と言われる 戦国時代の初めの
人物 経済的には楽市楽座(経済の自由化)を実行 この制度は
信長が受け継ぐ

道三引退 隠居 嫡男 義龍に家宅を譲る
義龍 父親が道三ではなく土岐頼芸ではないかと疑い
弟を殺害 道三に挙兵 1554年 長良川を挟んで 対峙
義龍軍 17500人 道三軍 2500人 道三討死
義龍もその後病気で死亡 享年34歳

信長 岐阜城から 楽市楽座を行い 又 天下布武を宣言し
武力による天下を目指す

信長は上洛を目指し 障害となる 琵琶湖東側の北近江 
浅井長政と信長の妹 お市を嫁に出し 同盟を結ぶ
その後 浅井 同盟の越前 朝倉義景は共に信長に滅ぼされる

金華山 高度300M以上の頂上に 岐阜城 歩いて1時間以上
以前来たときは徒歩でしたが 今回はロープウエーで

2017121912

岐阜城より 右側の小山が 斎藤道三が隠居した鷲山
長良川を挟んで 道三と義龍が対峙 道三塚 長良橋を渡り
左側に葬られています 行きましたが不明でした

岐阜より横浜 新東名で5時間 欲張りすぎ 疲れました

2017121915

各務原飛行場 現在 航空自衛隊岐阜基地 1周しましたが
滑走路は見る事が出来ませんでした 途中 航空宇宙科学博物館
川崎重工の工場があり 対潜哨戒機 P3Cオライオン後継機 P-1
輸送機 C-1の後継機 C-2を製作しています

日本では最古参の飛行場で 大正6年に開港しています

三菱重工業の工場は名古屋港 大江にあり 此処で生産された

>牛車で ゼロ戦 輸送 名犬街道本当でした

ゼロ戦 大江工場→金山→鶴舞→新栄→布池→大曽根→上飯田→
三階橋→水分橋→春日井→小牧→犬山→犬山橋→鵜沼→各務原飛行場

中島飛行機 名古屋にもあった 半田工場 知多半島 中部空港
近く 中部空港には ボーイング787 胴体 翼の部品 名古屋
で多く 製作 シアトル ボーイング工場に輸送用 ボーイング
747改造機 ドリームリフター 飛来

県営名古屋空港 三菱重工では 次期国産旅客機 MRJ開発中
開発 遅れています

ドリームリフター 台湾出張時 桃園空港 エバーグリーンの整備会社
で見ました 此処でで改造していました 実際見ると圧倒されます

愛知と言えば トヨタの車のイメージですが 飛行機も凄い

2017121916

名古屋での食べたいものと言えば 名古屋駅 ホーム 住よしの
きしめん 家族は5年私はプラス1年間の単身中 横浜まで 新幹線で帰る時 
食べていました 入場券買って きしめん 懐かしい


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2017.11.22

三鷹 太宰治 吉祥寺 いせや

今年8月に 戦前 航空機メーカー 中島飛行機の工場跡 見に
群馬 太田市 東京 三鷹市 最初工場は創業者 中島知久平の
故郷 太田市でしたが 優秀な人材を求め 東京 三鷹に工場
を建設 工場は現在の武蔵野市役所 公園付近 研究所は現在
国際基督教大学に 三鷹駅の南側 途中 玉川上水 聞き覚え
ある 単語 太宰治が入水自殺した場所 若いころ 作品 斜陽
人間失格を読みました

太宰が住んだ家 自殺場所 墓は 三鷹駅の南側にありました
JR 中央線で三鷹駅に隣の吉祥寺駅と比べてビルは駅付近のみ
その先には 一戸建ての住宅が広がります

3か月ぶりに訪れました

太宰ゆかりの場所

太宰治略年表

201711221

三鷹駅から武蔵境駅側に 跨線橋 100メートルある線路橋
案内板には太宰の写真良く電車を見に来ていたのでしょうか
橋は昭和4年施工 太宰が三鷹に越してきたのは 昭和14年
最初の結婚は 昭和13年 甲府の石原美知子と見合いをし、
1月に結婚 甲府で新婚生活 富岳百景では 富士には 
月見草が よく似合ふと書いていますが

今日はビルの横に 丹沢越えに 富士山が見えます

201711222

三鷹市の和風文化施設 井心亭 目の前が太宰治旧宅跡
昭和14年9月より 亡くなる昭和23年6月まで住んでいました
現在は 建て替えられ一般住宅になっています
玄関前に植えられていた 百日紅が此処に植えられています

201711223

玉川上水 昭和23年6月19日 太宰治 山崎富栄と入水自殺
場所には 五所川原金木産 玉鹿石が置かれています

現在水深は浅いですが 当時は深かったそうです 享年39歳

201711224

三鷹駅前 玉川上水 説明 入水場所はすぐその先です

201711225

三鷹駅南口 駅前 野川家跡 現在は永塚葬儀社のビル
山崎富栄とは昭和22年9月頃から親しくなり 彼女の下宿先
入水自殺当日 ここから入水場所に向かう
現場まで200M位です 過去には3回自殺未遂 

4度目で死亡 高学歴の方は何故自殺願望なのか
芥川龍之介 三島由紀夫 川端康成 などがそうです

芥川賞に落選 本人も願望していました 芸人を選ぶなら
太宰に与えたかった

201711226

駅から歩いて20分位 太宰治の墓 本人の希望で森鴎外の墓
近く 道を挟んで目の前が鴎外の墓

命日には 毎年 桜桃忌が行われます 参拝者が多いのだろう
かな

帰りは 玉川上水を井の頭公園に 但し此処まで18000歩
疲れの為に 電車で吉祥寺に

201711228

井の頭公園 玉川上水は南側を流れ 四ツ谷方面に
井の頭池から 神田川が流れ都内に

吉祥寺駅南口 北口側は東町に伯父さんの家があり 大阪 池田市
から転勤で沖縄に 当然大阪に帰れるものだと思いましたが
東京に転勤 関東など縁がなく 伯父さんを訪ねて吉祥寺に
何度か訪れ その後 仲人もしていただきました 伯父さんは
その後死亡 お参りに 伯母さんの住所は亀戸になっていました

201711227

井の頭公園入口 いせや公園店に総本店は二度ほど訪れたの
ですが 此処は初めて 本店同様 コスパが良くロケーションも良い

総本店は 同じ 吉祥寺駅南口にあります 儲かっているのか
昔のいせやの雰囲気を残し ビルに建て替えています

高田渡さんのDVD タカダワタル的ゼロ 持っているのですが 画像では
いせや 総本家で飲んでいる画像が出てきます

高田渡さん 京都には住んでいなかったのですね
年齢的には 同世代です

好きな曲 コーヒーブルース 三条堺町 イノダに良く行きました

キリスト教の信者なのか 葬式はいせや 総本店先の教会で葬式が
行われました 享年56歳

帰りは 京王 井の頭線 東急 東横線で横浜に

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2017.11.10

実朝 首塚 秦野 鎌倉に

神奈川県 秦野市 ダムで有名な 宮ケ瀬に抜ける道
ヤビツ峠の途中に 源実朝 首塚 波多野城址があるので
見に行って来ました

201711091

波多野城址 平安末期から鎌倉時代にかけて現 秦野市を本拠
とした豪族 河内源氏 源頼義の家人として任え 頼義が相模守
に 佐伯経範がこの地に定住 苗字を波多野とする
五代目の子孫 義通は頼朝の父 義朝に仕え 保元の乱 平治の乱
で 義朝に仕え従軍 その後頼朝が伊豆で挙兵 頼朝に追手され
自害 波多野有常は許され 鎌倉幕府の御家人となる
その後 盛通が1213年 和田合戦で 和田側についた事で滅ぶ
波多野は 義常の弟 忠綱が継ぐ

201711092

近くに 鎌倉幕府 初代将軍 源頼朝の次男 三代将軍 実朝の
首塚 実朝 二代将軍 頼家の子 親の仇として 公暁により 
鶴岡八幡宮の階段途中でで暗殺される
二代将軍 頼家は北条家との争いで 伊豆修善寺に幽閉 その後
暗殺されています

初代将軍 頼朝 弟 源平合戦で活躍した 範頼 義経など
殺害されています

公暁は実朝の首を持ち 三浦家に向かう途中 家臣 長尾定景に
より命を受けた 武常晴により公暁は討ち取られ 首を 和田義盛
と仲の良かった 波多野忠綱を頼り 首塚に埋葬される

鎌倉 寿福寺には 北条政子 実朝の墓があるが 実朝の墓
首のない 遺体が埋められているのでしょうか?

実朝 首塚 元の木製の五輪塔 鎌倉国宝館に寄託されたので
再度 鎌倉訪問

201711093

ヤビツ峠 丹沢縦断する峠 無料駐車場が15台位
他府県ナンバーが多い
右側が大山 左側が 丹沢 最高峰 塔ノ岳 鍋割山に
モー無理 丹沢でも結構 登山ハードです

201711094

鎌倉 鶴岡八幡宮階段 将軍 実朝 暗殺の為に公暁が隠れていた
大イチョウ 平成22年3月10日未明 強風により倒壊 現在二代目

201711095

鎌倉国宝館 鶴岡八幡宮何度か訪れていますが 訪れたのは
初めて 鎌倉駅から初めて 小町通り歩き 鶴岡八幡宮に
通りは 修学旅行生 若い女子で原宿 竹下通りの様です

館内は 鎌倉時代の仏像 20体位展示されています
有りました 実朝 首塚の五輪塔 木製でしたが 風化はなく
綺麗な状態でした 五輪塔で木製は珍しい

併設展示で 鎌倉公方足利基氏展 基氏没後 650年記念
足利基氏 足利尊氏 4男 初代鎌倉公方 公方が良くわからず
室町幕府 将軍が設置した 関東10か国の出先機関 室町幕府は
京都に創設したので 関東の監視機関? 北条の六波羅探題みたいな
もの 四代で1455年下総国古河に移り 鎌倉ではなくなる

昨年 11月に長寿寺に 年に何回しか 足利尊氏の墓公開に
見に行きました

201711096

比企一族の墓 妙本寺内

比企能員の変

初代 北条時政 執権 源頼朝の正室 北条政子の父
鎌倉幕府創設時 家臣はほぼ北条の陰謀により 没落

201711097

和田塚 鎌倉駅から次の江ノ電の駅 和田塚駅前

北条時政の次男 二代執権:北条義時と和田義盛との
戦い 和田合戦 一族滅亡

201711098

秦野に 国道246号 厚木経由で行く途中 吉村家の家系列
厚木家に ページでは 神奈川 吉村家 杉田家 厚木家のみ 
書いていませんが六角橋 ラーメン 末廣家は系列のようです
環2家などは系列を離れ 別会社に 厚木家は 吉村さんの
息子が経営スタップは4名いましたが 息子 すぐわかりました
顔はそっくり 味はまずまずでした 末廣家の方が美味しい

吉村家系以外にも レベルが高い店が多くあります

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