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2008.07.07

腰越状 満福寺

080707

先日 新・平家物語の鎌倉を見たくて 鎌倉に下見
相変わらず 鎌倉は観光客が多く又 観光地の雰囲気

此処は次回にまわします。

今日の目的は 腰越 満福寺 江ノ電 腰越駅から
海側に歩いた途中にあります。

平家討伐の 義経 一の谷 屋島 壇ノ浦の合戦で勝利
その後京都に 頼朝の疑惑は解けません 

良く考えると 天皇から 官位を受けた事が原因では
武家社会を作る 頼朝の思想から許されなかったか?

新・平家物語14に腰越での義経の腰越状の詳細が

平宗盛親子を護送し腰越に 此処腰越で北条時政は
待てとの言葉 その後 義経 腰越状を許しの文書を書き
大江広元に託すが 頼朝は許さず 義経は 再び京都に
その後 暗殺計画 西国に逃げようと思うが 屋島では
上手くいった 四国にへの逃亡 此処で九州あたりに
逃げていれば その後の足利尊氏のように盛り返せたのだが

その後 雪の吉野山 静御前も此処での別れ 鎌倉に送られ
義経の子供が 男の子だったので 由比が浜で殺され悲惨

その後近江から平泉に 有名な安宅の関跡での 
弁慶の勧進帳 北陸を経由して
以前 お世話になった 平泉に 藤原三代 秀衡が
信頼して その後を託すが 嫡男 泰衡が義経を
攻め 自害させる。

以前 平泉に行きました 中尊寺の金堂も見ました
義経堂 最後の場所も 裏側には 北上川も
松尾芭蕉が読んだ 夏草や  兵共が 夢の跡が
そのものの様に感じました

平泉 世界遺産に登録されず 残念

後日 鎌倉に 幕府が 三箇所もあったのは驚き

何故か 源頼朝と織田信長がダブルこの頃

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