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2008.12.30

大河ドラマ 篤姫 総集編

昨日は 約7時間かけ 大河ドラマ 篤姫 総集編 2、3を観る
1は 寒い伊豆大島の旅館で見て 感激し その後の録画を
奥さんに頼み 7時間いっきに観てしまいました。

歴史ドラマは 脚本で決まる
ストーリーは 島津家 分家 今泉家 一子 後の天璋院 篤姫
家定次期将軍候補 島津斉彬等の一橋派はこの困難な次期に 慶喜を
押し 一方 井伊直弼等が押す 紀州派は 幼い 喜福を
その様な時代背景時 斉彬は 篤姫を養女にし 家定の正室に
薩摩を出て 江戸城大奥に入る 

家定はうつけでは無く 将来を見て 喜福(家茂)が14代将軍に
選ぶ 家定亡き後 天璋院と改め 家茂正室は 公武合体も基に
公明天皇の妹 和宮が 最初 天皇家と徳川家 嫁姑で対立するが

家茂 第二次長州征伐途中大阪城で亡くなると 同じ境遇の
皇女和宮と天璋院は親しくなる。

15代将軍には 慶喜が

あれだけ 斉彬に密命をうけた 篤姫 慶喜を嫌っていたとは
解るな 鳥羽伏見の戦いで破れると 皆を大阪城に置き去り
江戸城に逃げ帰るとは許せない。

慶喜は上野寛永寺で謹慎するが 西郷隆盛率いる 官軍の
江戸城総攻撃は避けられず 天璋院は西郷宛に懇願書を
書くが許されず 又 和宮も天皇家宛てに懇願書も
最後は 西郷宛に 尊敬する亡き斉彬の手紙?で
勝海舟と西郷の会見で 江戸城の無血開城が決まる。

その後 天璋院は 今泉家の実母からの 薩摩に帰らないか
手紙で 拒否し江戸に残る 和宮も天璋院の京都に帰れば
との申し出に残る 天璋院は徳川の心を残す為に尽力
天璋院が大奥に入り 一度の旅行 和宮が最後の地 享年33歳
箱根 塔ノ沢のみ

薩摩を出て 亡くなるまで江戸に20数年 一度も薩摩に帰らず
大河ドラマで 宮崎あおいさん(篤姫)が薩摩から上京する
時 桜島に有難うとのシーン 再び桜島観れなかった。

ドラマでは 地元で親しかった 小松帯刀とのほのかな恋風
に描かれいましたが フィクションだと思います。

このドラマに幕末の出来事が凝縮されている。

そうだ 今度は鹿児島に 桜島観るぞ!

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2008.12.28

冬の伊豆大島

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先日 伊豆大島に 冬は富士山も綺麗に見えます
相模湾をはさんで 又 今日は 伊豆半島も
伊豆高原の大室山も

1月31日~3月29日まで 大島 最大のイベント
椿祭りがあるみたいです。

それにしても 旅館のエアコン 暖房がきかず寒い
来月 2回行く予定 不安 宿変えようかな。

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2008.12.24

横浜FC ストーブリーグ

ホームページの更新止めましたが
やはり 横浜FCのストーブリーグが気になります。

しゅりんぷとさんが まとめてくれました。

やはり 都並監督に問題あり 過去の監督実績から
して 当然だと思います、よく3年契約結んだのか
社長も問題 交代当然  

監督 一時 反町監督に期待していたのですが 湘南に
残念 結局監督は 樋口さん

まだ 契約更新していない選手 太田選手の去就が気になり
ます、ブラジル選手 二人もさり 得点は誰が。
GK大丈夫?

磐田の中山選手 もー勘弁してもらいたい 41歳が
二人もいると 将来の構想が出来ません。

あれだけ大口した 監督で結果が J2で10位
とても J1に復帰は難しい。

来年度は J2 15-18チームに増え 3位以内が
J1に自動昇格 此処はチャンス 

是非来年度は J1昇格出来る メンバー構成を
将来JFLが待っている。

頑張れ 横浜FC。

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2008.12.23

次回 大河ドラマ 楽しみです。

NHK大河ドラマ 篤姫終わり 高視聴率
次回は 直江兼続の 天地人 が 1月4日から

篤姫は あまり真剣に見ませんでしたが
今回は 見ようと思っています。

直江兼続はどの様な人でしょうか 私的の印象は
上杉景勝に若くしてから 使え 上杉家が 戦乱の
関が原後の上杉家を 領地は少なくなりましたが
米沢で その後の上杉家を守った武将との印象

秀吉 織田信長 本能寺変後の 柴田勝家との賤ヶ岳の戦いで
勝利後 直江兼続と石田三成と接触があったと思います

圧倒は 関が原前 上杉景勝が自国を装備 これに対して家康
釈明の申しを出したが 有名な 直江状 直江兼続の真骨頂
まるで バカにした返信 家康は怒る 此処に 上杉征伐
途中 小山まで来た東軍 一路方針転換して 関が原に

此処まで 西軍に加担して 残ったのは 毛利 島津 上杉
だけでしょうか?

その意味で 此処まで 徳川家にたてつき生き残ったのは
直江兼続の力量 次回の大河ドラマ 地味ですが見てみようかな
関わりのある 人物 が多数。 

現在 喪中 年末年始の 時代劇テレビ楽しみです。

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2008.12.19

ぶらっと 広島に

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宮島の厳島神社 観たくなり ふらっと広島に
創建は古いのですが 平清盛が現在の規模に
平家全盛期 平家でなかずんば人にあらずと
言われた時期に 再建 鳥居も見事です。
宝物館で 平家納経も 拝見 レプリカでしたが
平家の繁栄が感じられます。

この場所の裏では 毛利元就が西国の大名になる
戦い 宮島厳島合戦が 大内義隆の家老 陶 晴賢が
謀反し その後 この地で 元就が奇跡的な勝利
三本の矢で有名な 三兄弟も参戦

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厳島神社の近くに 豊臣秀吉が慰霊の為に 安国寺恵瓊
に命じて建てた 千畳閣があります、秀吉らしく豪快な
建物です、秀吉の建物は 大阪城 伏見城 聚楽第等々
ありますが 現物を見れるのは 此れだけでしょうか?
秀吉の死後 建設は中止され 壁等は未完成

朝鮮出兵で 秀吉は何度か 佐賀の名護屋城に行って
います、途中で立ち寄ったのでしょうか?

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宮島から広島電鉄の路面電車で市内に
広島の世界遺産二つ目の原爆ドーム 以前此処は訪れた
事はあるのですが、改めて見ると 戦争の悲惨さが
感じられます

目の前の広島市民球場は閉鎖されていました、広島駅
近くに移ったのでした。

サッカー サンフレッチェ広島 早々とJ1復帰 羨ましい
昇格のポスター あちこちに。

最後は 広島名物 牡蠣とお好み焼き

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厳島神社参道 はやしで 焼き牡蠣 ビールに合う

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八丁堀の みっちゃん総本家で お好み焼き 広島の
お好み焼き 初体験 ソバだけでは無く うどんも
トッピングあるのは驚き 焼いているのを 見ていると
キャベツ もやし ソバが山のようにあるのに 裏返し
の技 驚愕 美味しかった。

帰りは 土産で もみじ饅頭購入 広島パーフェクト。

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2008.12.17

千歳でジンギスカン

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昨日 三泊四日の北海道から 帰宅
寒かった 千歳は最低温度 -14度です。

北海道と言えば カニ 海産物 ラーメン等美味しい
食べ物の宝庫ですが、やはり私は ジンギスカンが
お気に入りです。

最初の写真は 札幌ジンギスカン千歳
泊まっている 千歳駅前のホテルから遠く
市役所の前に ありました。
メニューは ジンギスカンのみ 生肉です。
目の前で 塊を切り分けてくれます。
話では 道内産だそうです、野菜は玉葱のみ
別メニューで もやしもありましたが 高い
もやしが 500円 止めました
牛肉に近い食感 漬けたれで食べます まずまず。

北海道では 羊肉に 味付け 後付けか地域で
分かれているようで 私は 味付けが好みです。

松尾ジンギスカン発祥の地 滝川は 味付け
やはり 帰りは 何時もの様に空港 まつじん
ジンギスカン 最近は少食になり ラム 二人前
はきつい サッポロビールとの相性良い

後は 寿司 ラーメン 北海道の冬 グルメがいっぱい
です。

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2008.12.08

野口英世の母シカの手紙

昨日 葬式に参加出来なかった 叔父さんより
電話がありました、家族では長寿ではなかったか
のと励ましの言葉 何せ 私夫婦の仲人です。

沖縄から 西も東もわからず 突然の東京転勤
今まで 関西しか知らない私 頼るのは叔父 吉祥寺の
自宅に 近くのアパートを紹介して頂いたのですが
高い 10万円位 住めない

叔父も 何があったのですか 最近は音信不通
今は 江東区のマンション 事情は聞けません
でした 叔父さんは 地元徳島から 大学の受験で
実家に地元国立大学受験で 自宅に居た記憶あります
合格できず その後 W大学合格で東京に

葬式でも 親戚色々事情が 何故 平々凡々の人生が
出来ないのか 人生色々です。

今日 サイトで 感激したのは

野口英世の母シカの手紙です

猪苗代湖の記念館で見ました これぞ母との印象

母が 息子を思う 素朴な 母としての思いが満ちたれて
います。

やはり 最近母の偉大さを感じます。

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2008.12.06

南大井 布恒更科

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昨日 奥さんと娘で 息子のマンションに
先日 引越し時 マンション近くの 日本蕎麦屋
が偶々 日曜日で 定休日

ビルの間に 取り残された様に 日本家屋の店が
今回 入る事が出来ました 南大井 布恒更科
口コミを見ると結構有名店 この場所で歴史もあり
蕎麦以外にも おつまみも多彩です。

車で来なければ お酒とおつまみを食べたかった
のですが、早速 蕎麦を注文
私は もり 奥さんと娘は ざる 違いは解りません
つゆは結構濃厚ですが、美味しい 蕎麦の感触も良い
蕎麦の味は ざるの方が味が出ています。

最後は つけ汁を蕎麦湯で 評判は納得です。

偶には つけめんより 蕎麦も良い

その後 息子のマンションに 息子は 本日より
泊りがけで忘年会で留守
先日 ヤマダ電機でデジカメ購入時 ポイントが
付きまして それで息子用掃除機購入 部屋は
先日引越し時 何もありませんでしたが、液晶TV
冷蔵庫 電子レンジが 備わっている。

未だに 息子 洗濯機備え付けなのですが、洗濯
奥さん任せ 古い下着持って自宅に

次は 蕎麦屋の裏の 洋食入船

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2008.12.03

レッドクリフ

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先日 母の葬儀から帰宅後 忌引き休暇
残務作業で兄夫婦が再び 帰省しています。

喪主でない私は なにもやる事無く

気分転換で 昨日 ワーナーマイカルみなとみらいに
映画も本格的な映画館で見るのは 久しぶりです。

観たのは レットクリフ PART1です。

三国志にある 赤壁の戦いです。
以前 司馬遼太郎さんの 項羽と劉邦を読みましたが
あらすじは ほぼ忘れています、又登場人物が多く
日本史の様に 理解は難しい。

時代は 紀元200年ごろの話で 史記で有名な 秦の始皇帝
後の物語 印象では 劉邦は戦争に弱く 曹操が強いとの
印象 赤壁の戦いは劉邦が前漢の皇帝になるまでの 一部の
戦い  

あらすじは

魏の曹操が北部を平定し、南部へと兵を進める。
荊州に位置していた劉備軍はこれをさけるように南下するが
、当陽県長坂にて追いつかれ、敗戦する。
劉備は諸葛亮を江南へと派遣。江南の大勢力である
孫権と同盟を結ぶ。後に孫権は数万の軍勢を派遣、
劉備とともに長江の赤壁付近で曹操軍と相対する。

観終わって あれー 赤壁の戦いは 来年4月公開の
PART2に 何故か詐欺にあった感じ

赤壁の戦い 織田信長が今川義元を破った 桶狭間の
奇跡的な戦いでしょうか?
諸葛亮は 豊臣秀吉に仕えた軍師 竹中半兵衛 黒田 如水
とダブります。

戦闘シーンも動員された兵士も多く 迫力ありました。
兵士の服装も 以前上野で観た 兵馬俑展での兵士の
服装に似ています。

来年 4月 PART2 楽しみです。

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2008.12.01

お袋が亡くなりました 残念!

先月26日 午後2時28分に 母が永眠しました。
享年 85歳

当日 兄の嫁さんより 午後2時半頃 自宅に電話
あり 入院中の病院に連絡 ただ今 心臓が停止
したとの電話の内容でした。

折り返し兄の家に連絡し 私の奥さんは 名古屋時代の
友達と鎌倉に 携帯電話で連絡し 友達には 神奈川
まで来ていただいたのに悪いと思いましたが
早急に帰ってこいと連絡

覚悟はしていましたが 突然 母の死は 気が動転
10日位前に ホームの方から 血圧が220近くになり
救急車で この病院に 当日は勤務で直ぐに行けなく
兄嫁が 病院に赴いて 状態を確認し とりあえず
大丈夫との印象で 29日に病院に行く予定でした。

奥さん帰宅後 子供には後で連絡する事で
その時 最近一人暮らしを始めた 息子から電話が
状況を説明し、後で娘を連れて 来いと連絡
その後 羽田空港に 兄夫婦は 最初 新幹線で行く
予定でしたが 午後7時過ぎの 関空行き飛行機に
空席あるとの事を 知らせ 空港で待ち合わせ。

病院には 午後11時過ぎに到着 母の病室に
穏やかに まるで眠っている様な 母の姿が
但し 母の顔を触ると 冷たくなって 死を実感
やはり 涙が止まりません。

当直の先生に死亡時の状況を 聞き 苦しまずに最後
は眠る様に 心臓が停止した話を聞き 少し安心しました。

母は5-6年前より 痴呆に状態が現れ 但し関西で親父が
亡くなってから一人暮らし 横浜に連れて来る話も
ありましたが、母は横浜には行けないとの話で 川崎の痴呆の
権威 聖マリアンヌ病院に行きましたが 病気の進行を止める
手段も見つからず そのままに

流石に ホームヘルパーを頼み 最低限の自立生活 にも
近所よりの 話が 電話で 火でも出したら どの様に
してくれるとの 話 結局 ホームにお世話が いいかな
との結論でケアーマネジャーには 大変感謝しています。

ホームに行く時は 私は 行けませんでした、兄夫婦が
ホームに連れて行きました。

ホームに行き 三年間 月一度のホーム通い 段々様態の悪化が
実感として感じられます、一年前には 言葉も話せず 最後の
言葉は わかっているよ との言葉 ホームに入るのを最後まで
嫌っていた 母 何を思って 又 何を覚悟して言ったか 不明です。

話は 死亡時 病院で 病院では 出きれば 遺体を 今日中に
出して頂きたい 私の希望では 自宅に 流石に 三年も住んで
いない 自宅には 二年前 自宅に 玄関には 草が生え
裏庭は ジャングル状態 その後 兄夫婦が行き 業者を入れ
整理しましたが、はたして此処につれてかえってもの判断で
葬儀業者に決めました、その後 お袋の遺体は 業者の車で
葬祭場に この後が大変で 値段交渉は別としても お坊さんが
解らない 浄土宗は解るのですが、西 東本願寺が解らない。

通常であれば 死亡の翌日が お通夜ですが 偶々 混んでいて
お通夜が一日伸び 宿泊ホテルから翌日 家族8人で 自宅に
玄関は 草がおいしげ 醜い 早速 携帯電話で 奥さんに
電話して 釜を購入 草取り 兄夫婦が 仏壇から お袋の遺言
を発見 親父と同じ 檀家の寺にしてくれとの遺言 電話番号まで
書いていました、兄が寺に電話 無事 お袋の希望どうりの
お坊さんが見つかりました。

葬儀では、お坊さん最後の挨拶 お袋との付き合いは 親父が
死んだ時の お坊さんで その時 20歳 50年近く前
お袋の苦労も語って頂きました。

初七日まで 無事終わる事が出来ました。

お袋が残した DNA 兄 長男 慶応 娘 東京外大
私 長男 大学受験に失敗 浪人後挫折 専門学校
娘 法政 お互い 家はい近くですが ほぼ10年ぶり
お互い 直ぐに溶け合い 年齢 20代 良い機会 
このDNAは お袋が残して頂いた遺産

有難うございました、親父とあの世で一緒に

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