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2008.12.01

お袋が亡くなりました 残念!

先月26日 午後2時28分に 母が永眠しました。
享年 85歳

当日 兄の嫁さんより 午後2時半頃 自宅に電話
あり 入院中の病院に連絡 ただ今 心臓が停止
したとの電話の内容でした。

折り返し兄の家に連絡し 私の奥さんは 名古屋時代の
友達と鎌倉に 携帯電話で連絡し 友達には 神奈川
まで来ていただいたのに悪いと思いましたが
早急に帰ってこいと連絡

覚悟はしていましたが 突然 母の死は 気が動転
10日位前に ホームの方から 血圧が220近くになり
救急車で この病院に 当日は勤務で直ぐに行けなく
兄嫁が 病院に赴いて 状態を確認し とりあえず
大丈夫との印象で 29日に病院に行く予定でした。

奥さん帰宅後 子供には後で連絡する事で
その時 最近一人暮らしを始めた 息子から電話が
状況を説明し、後で娘を連れて 来いと連絡
その後 羽田空港に 兄夫婦は 最初 新幹線で行く
予定でしたが 午後7時過ぎの 関空行き飛行機に
空席あるとの事を 知らせ 空港で待ち合わせ。

病院には 午後11時過ぎに到着 母の病室に
穏やかに まるで眠っている様な 母の姿が
但し 母の顔を触ると 冷たくなって 死を実感
やはり 涙が止まりません。

当直の先生に死亡時の状況を 聞き 苦しまずに最後
は眠る様に 心臓が停止した話を聞き 少し安心しました。

母は5-6年前より 痴呆に状態が現れ 但し関西で親父が
亡くなってから一人暮らし 横浜に連れて来る話も
ありましたが、母は横浜には行けないとの話で 川崎の痴呆の
権威 聖マリアンヌ病院に行きましたが 病気の進行を止める
手段も見つからず そのままに

流石に ホームヘルパーを頼み 最低限の自立生活 にも
近所よりの 話が 電話で 火でも出したら どの様に
してくれるとの 話 結局 ホームにお世話が いいかな
との結論でケアーマネジャーには 大変感謝しています。

ホームに行く時は 私は 行けませんでした、兄夫婦が
ホームに連れて行きました。

ホームに行き 三年間 月一度のホーム通い 段々様態の悪化が
実感として感じられます、一年前には 言葉も話せず 最後の
言葉は わかっているよ との言葉 ホームに入るのを最後まで
嫌っていた 母 何を思って 又 何を覚悟して言ったか 不明です。

話は 死亡時 病院で 病院では 出きれば 遺体を 今日中に
出して頂きたい 私の希望では 自宅に 流石に 三年も住んで
いない 自宅には 二年前 自宅に 玄関には 草が生え
裏庭は ジャングル状態 その後 兄夫婦が行き 業者を入れ
整理しましたが、はたして此処につれてかえってもの判断で
葬儀業者に決めました、その後 お袋の遺体は 業者の車で
葬祭場に この後が大変で 値段交渉は別としても お坊さんが
解らない 浄土宗は解るのですが、西 東本願寺が解らない。

通常であれば 死亡の翌日が お通夜ですが 偶々 混んでいて
お通夜が一日伸び 宿泊ホテルから翌日 家族8人で 自宅に
玄関は 草がおいしげ 醜い 早速 携帯電話で 奥さんに
電話して 釜を購入 草取り 兄夫婦が 仏壇から お袋の遺言
を発見 親父と同じ 檀家の寺にしてくれとの遺言 電話番号まで
書いていました、兄が寺に電話 無事 お袋の希望どうりの
お坊さんが見つかりました。

葬儀では、お坊さん最後の挨拶 お袋との付き合いは 親父が
死んだ時の お坊さんで その時 20歳 50年近く前
お袋の苦労も語って頂きました。

初七日まで 無事終わる事が出来ました。

お袋が残した DNA 兄 長男 慶応 娘 東京外大
私 長男 大学受験に失敗 浪人後挫折 専門学校
娘 法政 お互い 家はい近くですが ほぼ10年ぶり
お互い 直ぐに溶け合い 年齢 20代 良い機会 
このDNAは お袋が残して頂いた遺産

有難うございました、親父とあの世で一緒に

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