« ジェットストリーム | トップページ | 部分日食見れませんでした。 »

2009.07.20

最後の忠臣蔵

0907201

忠臣蔵は有名ですが、吉良屋敷に討ち入り本懐を遂げた後
四十七士が 浅野家の墓がある 泉岳寺

最後の忠臣蔵 池宮彰一郎さんを読んで
初めて 泉岳寺に行って来ました。
境内には 右側の屋根があるのが大石内蔵助 左側の屋根が
あるのが 大石内蔵助 長男十六歳 主税良金の墓
四十七士の墓が 各大名家で切腹の後 此処泉岳寺に埋葬

但し ただ一人切腹せず、泉岳寺に来る途中 大石内蔵助
の密命を受け 唯一足軽身分の寺坂吉右衛門が離脱

0907202

但し 寺坂吉右衛門の墓も 吉良上野介に一番槍をつけた
間十次郎光興の隣に 泉岳寺にあります。

最後の忠臣蔵では 寺坂吉右衛門は討ち入りの状況を
本家浅野家 関係者にその時の状況を説明し

又 四十六士切腹後 遺児男子は 15歳以上は伊豆大島
に四人遠島

吉田忠左衛門 次男伝内 二十五歳
松村喜兵衛 三男 政右衛門 二十三歳
間瀬久太夫 次男 佐太八 二十歳
中村勘助 長男 忠三郎 一五歳 

残りの十五歳に満たない遺児は 一五歳に達した時点で
遠島 十五名

四六士に切腹の判断したのは 時の将軍 綱吉
この事件は忠義として又けんか両成敗で判断が分かれていましたが
側用人柳沢吉保等の判断で切腹に決まる。
その後 四人の遠島の後 残り一五人が年をとり 特に当時
十三歳であった 大石内蔵助の次男 吉千代が一五歳にすでに
出家していましたが 幕府の判断は出ていなくてこのままでは
順次遠島となる恐れがあり そこで寺坂吉右衛門は 泉岳寺で
取調べにあたった 大目付仙石伯耆守に出頭

当時 将軍綱吉の後継者問題があり 綱吉唯一の子供 鶴姫
鶴姫は紀州中納言綱教と結婚しており 綱教が次期将軍に有望
綱教を推している 柳沢吉保 しかし鶴姫と綱教が突然死去
結局 綱吉の兄 甲府綱重の嫡子 綱豊が次期将軍に 家宣に名前
を改め 将軍に  柳沢吉保の影響力も弱くなり又綱吉が亡き母
桂昌院の一周忌き大恩赦を発表 赤穂浪士の遺児は無罪放免になり
伊豆大島に遠島された、四人は帰る事が出来たのですが
但し 間瀬佐太八は 大島に来て二年目に病死 享年二十二歳

0907203

昨日 伊豆大島で 間瀬佐太八の墓を見てきました。
元町から三原山に少し登った 元町墓地にありました。
墓地は綺麗に管理され 本人は江戸に帰られず無念だったと
思います。

寺坂吉右衛門は八十三歳まで生き 供養等が赤穂浪士の同じ場所に
泉岳寺にあります。 

|

« ジェットストリーム | トップページ | 部分日食見れませんでした。 »

コメント

慶應義塾「特別展 福澤諭吉と神奈川」
開催紹介有難うございました。

是非 機会があれば 見に行っていたいと
思います。

兄貴の長男も慶応の工学部出 見て見たい。

投稿: zoot | 2009.07.27 19:08

慶應義塾「特別展 福澤諭吉と神奈川」事務局です。突然のご連絡で失礼致します。
この度神奈川県立歴史博物館と慶應義塾は、横浜開港150周年および慶應義塾創立150年を記念いたしまして、8月22日より神奈川県立博物館において「特別展 福澤諭吉と神奈川」を開催いたします。
http://www.fukuzawa2009.jp/

貴サイトでは、歴史に関する記事が大変充実しており、また横浜在住とのことでしたので、本展覧会にもご興味をお持ちいただけるのではないかと考えました。展覧会の主旨をご理解いただけるようでしたら、広報等にご協力いただけないかと考え、お願い申し上げる次第であります。詳しくは、当展覧会ホームページの「応援団募集」のページでご案内しております。
http://www.fukuzawa2009.jp/cheergroup.html

正式なご案内のメールをお送りさせていただきたく思いますので、ご連絡いただければ幸いに存じます。どうぞ宜しくお願い申し上げます。

投稿: 特別展「福澤諭吉と神奈川」事務局です | 2009.07.21 12:46

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/47003/45683401

この記事へのトラックバック一覧です: 最後の忠臣蔵:

« ジェットストリーム | トップページ | 部分日食見れませんでした。 »