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2010.06.18

関ヶ原の戦いを見に行く

歴史ファンであれば観て見たい 戦国最後の 最大の戦い
徳川家康率いる東軍 毛利輝元率いる西軍 約16万人の野戦
関ヶ原に

大阪より電車で二時間 米原駅で乗り換え関ヶ原駅に 
駅前は何もありません 駅前には観光案内所のみ 地図を
もらい まずは歩いて5分ぐらいの歴史民族資料館に

関ヶ原の戦いに至るまで まずは豊臣秀吉の死により
始まります 大老筆頭 徳川家康 240万石 奉行 石田三成
19万4000石との豊臣家を守る為の戦い
石田三成 秀吉の官僚で 朝鮮の戦いでの評価で 同じ豊臣家
家臣 加藤清正 福島正則らに恨まれ それが敵味方になり争いに

家康が上杉景勝の会津征伐で始まり 小山裁定により征伐は中止
一路 東軍は福島の清洲城に 西軍は伏見城を攻め 戦いが
始まる その後西軍は 大垣城に集結 その北の赤坂村に家康
の到着を待ち 三成は頭が良いのですが 戦争の実践経験不足
し 大垣城の籠城戦をせず 家康軍が 三成の佐和山城を攻める
動きに 家康得意な野戦に引き込まれ 関ヶ原の戦いに

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激戦となった場所は 三成の布陣した場所から良く見えます
桃配山には 家康本体 南宮山には 吉川宏家が押さえとして
毛利秀元が布陣 笹尾山には 西軍 三成 島津義弘 小西行長
宇喜多秀家 大谷吉継が小早川秀秋の押さえとして布陣

松尾山には どっちつかずの小早川秀秋が1万5000人が布陣
結果的には 秀秋の東軍に味方して西軍が負けるのですが

関ヶ原合戦布陣図

明治政府 軍事顧問 ドイツ人 クレメンス メッケル少佐が
西軍 鶴翼の陣を見て 西軍の勝利を疑わなかったそうですが。

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宇喜多秀家陣跡 

三成 島左近は頑張りましたが それ以外で本当に豊臣家の
安泰を願い 戦ったのは 宇喜多秀家軍 1万7000人

秀家は敗戦後 逃亡 薩摩に逃れその後 死ぬまで八丈島に流刑

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島津義弘陣跡

最初は東軍に 伏見城の守りに行くが 家康家臣 鳥居元忠に
断られ 西軍に付くが 大垣城で家康軍への夜襲を三成に却下
され 布陣はするが 戦いには参加せず。
敗戦後は 三成 安国寺恵瓊 小西行長らは 伊吹山方面に
逃亡 その後 捕らえられ 京都で処刑されるが 島津軍 1500人
は 中央突破 井伊直政軍に 甥の豊久らが亡くなり 最後は80人
になり 義弘は薩摩に帰る

後は 松尾山近くの大谷吉継 陣跡と墓を見たかったが 途中で
解らなくなり 見る事は出来ませんでした。

吉継も会津征伐で行く途中 三成の佐和山城に寄り友情から一変
西軍に参加

戦場の場所は 畑が広がり 1600年開戦当時のままです

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関ヶ原に行く途中 米原駅 井筒屋 在来線ホーム売店で最後の
一つ 近江牛弁当1000円購入 CP的には 今ひとつ
吉野家の方が 美味しいかも。


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