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2011.01.26

源頼朝の苦悩

1101261

最近 司馬遼太郎さんの 義経読んでいます
多分 過去に読んだとおもうのですが 新鮮に読めます

以前は 義経 鎌倉幕府成立の立役者と思いましたが
父 頼朝 平治の乱で破れ 14歳で伊豆に流され
34歳で 以仁王の令旨により 平家討伐に立ち上がるが
石橋山の戦いで破れ 安房国に逃れ その後坂東武士により
盛り返し 鎌倉に源氏を確立 その後平家と富士川の合戦に
勝利 その時 奥州より 義経が駆けつけ その後の源氏の
勝利貢献 一の谷の合戦 屋島の合戦 壇ノ浦の合戦に勝利
平家滅亡 いずれも指揮官は義経 平家 捕虜 宗盛 清盛
親子を京都より従え 義経 鎌倉に 但し 頼朝 捕虜のみ受け取り
義経は 鎌倉手前 江ノ島近くの腰越で鎌倉に入る事を許さず

以前読んだ時は 同じ境遇の兄弟として酷い仕打ちだと思い
ました その後 頼朝は義経討伐令 義経 屋島の戦いでは成功した
阿波に逃亡 失敗 雪の吉野山の静御前との別れなど紆余曲折 
日本海側より奥州に逃げるが
奥州藤原氏四代 泰衡により討たれる 奥州藤原氏は 鎌倉幕府
により滅亡に

何故 鎌倉幕府確立に立役者 義経を頼朝は何故 敵視するのか
今回読みながら 少し理解出来ました。

幕府確立までの 頼朝の政治的な背景の弱さ 頼朝は伊豆で
ほう起時 最大勢力 北条家に対する配慮 妻は 北条時政の長女
政子だし 叉 後白河天皇が鎌倉に許可なしで 義経が官位を受けた事 
これが一番の原因ではないか 頼朝やっと鎌倉にやっと坂東武士の
源氏としての場所が出来 ここで皇室による追討宣旨を義経に授けると
鎌倉 頼朝としては 北に奥州藤原 京には義経 身動きできません
叉 義経の政治的なセンス この様な状況も理解出来ず このすれ違い
が 頼朝による義経排除に動いたと思います。

壇ノ浦の戦いにより 義経が三種の神器のうち 天叢雲剣を回収出来なかった
のが原因とか言われていますが それは違うと思います。

この様な困難でやっと征夷大将軍になり 武士としての鎌倉幕府を開くが
その後 嫡男 頼家は北条家とのごたごたで 修善寺に幽閉 その後暗殺
され 次男 実朝は  兄頼家の次男 公暁に 最近 鶴岡八幡宮の
大銀杏の倒壊で有名になった場所で暗殺され その後は 北条執権の時代に

頼朝は貴族中心の時代から 武士による社会は出来ましたが どうなんで
しょうか 頼朝も被害者かな 

家から畑に行く道 かまくら道 鎌倉がいかにその当時政治の中心だったか

暖かくなったら 伊豆に行こう。

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