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2011.06.01

和歌山市 偉人伝

和歌山市の歴史で 欠かす事が出来ない 歴史小説家
津本陽さんです
徳川家康の10男 徳川頼宣が 紀州徳川家の藩主に その時頼宣の
家臣として同行した 家臣を書いた 名臣伝が印象に残ります

偶々 和歌山市のホテルに和歌山市の歴史上の人物の紹介の本があり
思いつくまま書いてみました

時代順に

雑賀孫一(鈴木孫一)

戦国時代 織田信長による 一向宗の攻撃 親鸞を祖とする 浄土真宗
顕如による 織田信長に対抗 その中に 抵抗勢力 雑賀孫一 石山寺の
戦いでは 雑賀衆を率いて戦う 元々 雑賀衆は傭兵集団で 鉄砲が種子島
に渡来して すぐに雑賀衆は使用 織田信長による 第一次紀州征伐でも
織田軍を紀ノ川での攻防で撤退させています 但し 豊臣秀吉による
第二次紀州征伐では 破れ 根来衆と供に戦いましたが破れ 制圧されました
これをもって 雑賀衆は崩壊 雑賀孫一も歴史的に不明な部分もありますが
ロマンを感じます

徳川吉宗(8代将軍)

紀州藩 城は 元々紀州征伐後 秀吉の弟 秀長が和歌山城を築城
家老 桑山重晴が初代城主に その後 関ヶ原の戦いで西軍が敗れた為
に 浅野幸長が二代目の城主に 福島家の改易に伴い 浅野家は広島に
その後 徳川家の城に 家康の10男 頼宣が城主に 家康 歳をとって
から生まれた 9男 義直は名古屋城主 11男 頼房は水戸城主に
これをもって 将軍職を継承を有する 徳川御三家に 但し水戸は別格
副将軍になり 将軍のご意見番に

頼宣以来 5代紀州藩主に 成り立ちがこの様な事があるのか?
二代藩主 光貞の四男として生まれるが 長男 三代藩主 綱教は五代将軍
の娘婿 死亡 四代藩主 頼職は吉宗の兄 死亡 何故この様に亡くなるか
疑問ですが 母親の下賤な生まれで 光貞のお手付けで生まれ 何故将軍まで
なれたか 7代将軍 家継が幼くして亡くなり 家康の血筋無くなり 初めて
御三家より 初めて将軍に

TVでは暴れん坊将軍として有名ですが 家康以来 三代家光までは良かった
資金も豊富 5代将軍・徳川綱吉などは 徳川家としては 崩壊状態
吉宗が将軍として 江戸城に入ると 享保の改革を実施 経済の建て直し
叉 改革として 御三家と吉宗の子供に跡継ぎとして 御三卿を作り
一橋 田安 清水を分家として作り 吉宗以後の後継を磐石なものとする
幕末まで 将軍は吉宗の血筋 最後の将軍は 慶喜は水戸家ですが
一橋家に養子に行っています。

陸奥宗光

陸奥と言うと 東北の様に思いますが 生まれは 和歌山市
父は伊達千広やはり元は東北出身 紀州藩 藩内の政争に敗れて失脚
その後 宗光は江戸に出て 坂本龍馬などと交わる 私の印象では 龍馬の
弟分との印象 維新後は 外務大臣となり 条約締結に活躍
和歌山との絡み少なく思います

南方 熊楠

田辺の出身とのイメージですが 和歌山市が生まれ
和歌山中学出て 大学予備門(現 東京大学)に入学 同期に NHK
坂の上の雲の正岡子規 秋山真之と同級生とは驚き
明治時期に海外に飛び出し 田辺では神島の保存に努め 日本の
ナショナルトラスト運動の先駆け 特に尊敬するのは 現在も注目の
バイオ 菌類に着目し長年研究 収集に努めた事です。

松下幸之助

和歌山市の出身ですが 現在のパナソニックの創始者
幼い頃に大阪に 和歌山には 工場はほとんどありません
京セラの稲盛さんは 故郷 鹿児島に工場は多数
キャノンの 御手洗さんも 故郷 大分には工場多数
もう少し 松下さんに故郷が優しいければ 経済的に磐石になれた
のに

幕末まで 和歌山は日本では有数の繁栄した都市でした。

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