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2011.11.28

11月末で思う事

11月末 来月4日 NHK 三年越しのスペシャルドラマ
坂の上の雲 第三部放送開始 残り四話 楽しみです 但し 今のNHKこの様に楽しませてくれる放送無い
現在 仕事等で見れない テレビは HDレコーダーで録画していますが
民間に比べ NHK 放送に対して見たい魅力的な番組が少ない 
民間タレント使った 媚びた番組 NHKらしい番組を
なにせ 視聴料金払っているのだから 辛口

過去二年は DVDに録画 今年は ブルーレイプレイヤー
購入で ブルーレイとDVDの録画予定

あしかけ3年あっと間 その間 松山のミュージアムも行きました
後は 203高地 旅順港閉鎖 叉 西郷隆盛の征韓論以後 ロシアに対する
日本の脅威 その後 関東軍が満州国を作り 日本の中国に対する
悪い意味で侵略の地 大連 
日清 日露戦争の現場 本気に見に行ってみたい


今年は 喪中はがき多いです 10数通 私も義理の父が亡くなり喪中ですが
同年代の老齢化を感じる日々です

後 横浜FC 27日37節 京都に最終戦で負け J2順位 18位
JFLからJ2に昇格し 応援 一時はJ1昇格もあり ホームページ
時代は 私が自称している仲間との楽しい時期もありましたが
来期は スカパーも止め ブログのバナーも消し 隠れサポーターに
徹します

来年はどの様な年になるか
気ままに やっています。

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2011.11.21

豚肉天ぷら 小松で

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石川県小松市 偶に食べたくなるのが 豚肉の天ぷら
中華料理店では ありそうで無い メニュー
豚肉を天ぷらにしただけにそんなにレシピは難しく
なく なぜないか不思議です

小松駅前には 兄弟で営業している 中華料理店
餃子菜館 進ちゃん と 勝ちゃんが
ホテル近くの進ちゃんに行きましたが 営業前
時間調整して 勝ちゃん

開店間際ですが すぐに満席 繁盛店です
看板が 餃子ですが 迷わず 豚肉天ぷらとご飯注文
出てきたのは 大振りの豚ロース?の天ぷら 揚げ具合
も食欲がそそります 味付けしているのでそのままで
美味しかった 満足 

先月も小松に行きましたが 商店街など閑散と
しています 昔はもっとはなやかな印象でしたが
駅裏の小松製作所の工場も無くなっていました

最近地方の衰退が気になりなります。

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2011.11.15

徳川将軍 霊廟 見に行きました

増上寺が現在 徳川将軍 霊廟を公開中
早速 浜松町より 増上寺に 此処には 15代将軍中6人の
墓が 2代 秀忠 6代 家宣 7代 家継 9代 家重
12代 家慶 14代 家茂 の霊廟が あります

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まずは気になった 霊廟 皇女和宮の墓 二代 秀忠より立派
に見えます 孝明天皇の妹で 婚約者がいたが 公武合体の犠牲者
になり 家茂の正室に 大政奉還後は 京都に帰らず 頑張った印象

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2代 秀忠の墓 今 NHK大河ドラマで有名な 江の亭主
江さん 秀吉により 2-3回結婚を 最後は 2代将軍の秀忠に
娘 千姫は 秀吉の息子 秀頼の正室に

秀忠さん 真面目な方ですが 世継ぎでは 嫡男 家光
を 母 江さんとも 嫌い 弟 忠長を推薦するが 春日局と家康
より 家光が3代将軍に

残りの9人の将軍 どこでしょうか 家康は 日光東照宮に墓
家光は おじいさん大好き恩人で 東照宮近く輪王寺に

残り 7名 次は 上野 寛永寺に 此処には 6名 将軍霊廟が
あります 4代 家綱 5代 綱吉 8代 吉宗 10代 家治 11代 家斉
13代 家定が 
鶯谷駅より 寛永寺の将軍霊廟に 但し 一般には公開していなくて
石垣らしきものがあるのですが 不明

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家綱霊廟勅額門 家綱 家光嫡男 此処に霊廟があるのでしょうか?

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綱吉霊廟勅額門 この先に 家定 正室 天璋院篤姫の墓が
あるようです 公開してほしいな

寛永寺の霊廟 個性の将軍が多いな 綱吉 吉宗

6+6+2=14 徳川15代 残りの将軍 一人足りない

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最後の将軍 慶喜です

寛永寺近く 谷中墓地に 

14代将家茂 が京都で亡くなり切り札として 英知のある将軍として
慶喜に ダメですね  大政奉還はしたがないと思うのですが
伏見の戦いで敗れると 大阪城にいた慶喜 ないしょで大阪湾より
江戸に逃げ帰り 寛永寺で殉教の意思を示す

徳川家の 将軍霊廟に入り資格なし

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2011.11.11

幕府パリで戦う

最近 幕府パリで戦う 著 南条範夫を読みました
歴史小説では 違う面で切れ込んだ 興味深く読みました

3年位前 私のマイブーム つけ麺
その当時 食べたい 松戸 とみ田のつけ麺食べに 松戸に
今回 読んだ 主役 徳川昭武が 偶々 とみ田開店までまで時間か
あり なんとなく行った場所が 最後の徳川幕府15代将軍 慶喜の弟
徳川昭武が 30歳で 隠居した 松戸の戸定邸 庭から江戸川が見え 若干若いが隠居場所としては理想

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作者 南条範夫さんが 飛鳥山の渋沢栄一さん
自宅を訪れ 過去の自分史を聞くところから 渋沢栄一さんは 現在の有名企業の
創始者で その当時 水戸藩の幕臣との印象ですが 彼は元々 埼玉の田舎の生まれ
で 若い頃は攘夷に傾き 高崎城を乗っ取り攘夷を実行の計画
失敗し京都に逃れ 徳川御三卿 一橋家に仕える 改革派から保守派に転向

一橋家には 最後の将軍 水戸家から慶喜が養子に入っており
その縁で 渋沢さんも家臣に 幕末 1867年 第2回パリで万博が開かれ 特使と
して 慶喜の弟 水戸家 当主 斉昭の18男 凄い 昭武がパリに 同行者と
して 渋沢さんも同行 昭武 13歳でパリに その後フランスに留学予定

その当時 日本は幕末 幕府は財政難で フランスの援助の基 横須賀に
造船所建設計画 資金などその当時 幕府には無く 借款で
叉 尊皇攘夷 薩摩 薩英戦争をしたが イギリスが援助 幕末は英仏の攻防が
シーボルトの息子 アレクサンダー・フォン・シーボルト 英国公使館特別通訳
が 幕府 通訳と同行 最後は 英国のスパイでは疑われたり 万博では
幕府の展示以外に薩摩が琉球王国の展示が 幕府ともめごとになったり

三年後 徳川昭武は結局 幕府 大政奉還で パリより帰国
最後の水戸藩主に 渋沢栄一は 資本家に
読んでいてその当時が海外でこの様な出来事があり興味がもてました

二度 パリに行きましたが パリの象徴 エッフェル塔は一年後に開かれた
第3回パリ万博で建設されました。

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