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2011.11.11

幕府パリで戦う

最近 幕府パリで戦う 著 南条範夫を読みました
歴史小説では 違う面で切れ込んだ 興味深く読みました

3年位前 私のマイブーム つけ麺
その当時 食べたい 松戸 とみ田のつけ麺食べに 松戸に
今回 読んだ 主役 徳川昭武が 偶々 とみ田開店までまで時間か
あり なんとなく行った場所が 最後の徳川幕府15代将軍 慶喜の弟
徳川昭武が 30歳で 隠居した 松戸の戸定邸 庭から江戸川が見え 若干若いが隠居場所としては理想

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作者 南条範夫さんが 飛鳥山の渋沢栄一さん
自宅を訪れ 過去の自分史を聞くところから 渋沢栄一さんは 現在の有名企業の
創始者で その当時 水戸藩の幕臣との印象ですが 彼は元々 埼玉の田舎の生まれ
で 若い頃は攘夷に傾き 高崎城を乗っ取り攘夷を実行の計画
失敗し京都に逃れ 徳川御三卿 一橋家に仕える 改革派から保守派に転向

一橋家には 最後の将軍 水戸家から慶喜が養子に入っており
その縁で 渋沢さんも家臣に 幕末 1867年 第2回パリで万博が開かれ 特使と
して 慶喜の弟 水戸家 当主 斉昭の18男 凄い 昭武がパリに 同行者と
して 渋沢さんも同行 昭武 13歳でパリに その後フランスに留学予定

その当時 日本は幕末 幕府は財政難で フランスの援助の基 横須賀に
造船所建設計画 資金などその当時 幕府には無く 借款で
叉 尊皇攘夷 薩摩 薩英戦争をしたが イギリスが援助 幕末は英仏の攻防が
シーボルトの息子 アレクサンダー・フォン・シーボルト 英国公使館特別通訳
が 幕府 通訳と同行 最後は 英国のスパイでは疑われたり 万博では
幕府の展示以外に薩摩が琉球王国の展示が 幕府ともめごとになったり

三年後 徳川昭武は結局 幕府 大政奉還で パリより帰国
最後の水戸藩主に 渋沢栄一は 資本家に
読んでいてその当時が海外でこの様な出来事があり興味がもてました

二度 パリに行きましたが パリの象徴 エッフェル塔は一年後に開かれた
第3回パリ万博で建設されました。

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