« 2012年4月 | トップページ | 2012年6月 »

2012.05.31

藤沢 回転寿司 タフ

1205302

1205301

食べログ クチコミでの評価偽造が発覚 店の評価が良く解りません
信頼問題ですので 最近は 正しい評価になっていると思います

海外より帰ると 鮮魚が食べたい 中国でもあるのですが
さしみ 水 生ものは 食べる気力が失せます
今日 藤沢のタフに 食べログ 評価 すごく上がっています
神奈川 回転寿司で6位 以前は評価は低く あざみ野店
よりすごく評価は低く 私的には これが正当な評価だと
思います

最近は 食欲が無く 此処では あら汁が一番美味しい
今日は 珍しく サメの心臓 レバーみたいですが
あっさりして マーマー
結局 4皿でリタイア 
此処は 娘が 大学時代 藤沢の友達と海外旅行で
4回ほど 成田に迎えに 送る途中
日本らしい食べ物で 来ました

正しく評価され 満足! 美味しい店です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.05.25

大連観光

1205251

大連駅前 宿泊していたホテル23階 渤海明珠酒店
大連駅裏の高速鉄道の駅が見えます 駅前も建設されるビル多数
朝5時すぎ頃駅前には 人がわいてきます

12052511

南山より 大連開発区 ビルが乱立しています
此処には 日本企業 4000社 進出 在留日本人 10000人
中国の経済好調がうかがわれます 港があるからな
中国でも人口は 7-8番目 700万人 瀋陽の方が人口
多いそうです ベスト3は 重慶 上海 北京 大連だけで
横浜の人口の倍位 13億人が実感

1205252

二日目の夕食は 大連港近くの 大清花餃子店に 水餃子は海鮮
焼き餃子もありました
日本の餃子 多分 此処 東北地方がルーツだと思います
餃子の王将の支店 3-4店あるそうです 逞しい
今回 東北 広東 四川料理食べましたが 以前 北京で
食べた食事 美味しくなく 今回は 横浜 中華街より
美味しいかも!

1205253

大連の花 アカシアが有名だそうです 
大通りは 銀杏ですが 脇道には アカシアが 25日から
アカシア祭りだそうですが 訪れた時咲いていました
桜に比べると見劣りしますが 可憐です。

1205254

アカシア通りから先で 横浜中華街の春慶節で聴く音楽が
楽隊 おばさんが多数 皆様 赤い服で結構息があっています
スーパーの開店祝い 日本ではチンドンや リタイヤ後のアルバイト
だそうです 

1205255

大連で路面電車に乗車 日本使われいたお古もあるだそうです
中国では 此処だけ? 日本には 鹿児島 長崎 高知 松山 広島
富山 大阪 函館 札幌などに路面電車ありますが 電車の走る街 趣がある
最新のトラムもありました。

1205256

3日の夕食 シャブシャブ ツアーの方がその時食べた
幅広の春雨 是非買いたいとの希望で 市内の市場に
野菜 海鮮のあり 食に情熱ある 中国が感じられます
海鮮は 遼東半島 渤海湾と黄海に挟まれ 日本におなじみの
魚介豊富です。
旅順に行く途中 トラックに山積みのコンブ 多数見ました

1205257

最後の日 大連 大和ホテル見学 ラストエンペラー 溥儀の
泊まった部屋など見学 豪華です
二階の喫茶店のベランダから 中山広場 正面は 現 中国銀行
遼寧省分行 旧横浜正金銀行ビル 夜はライトアップされます。

1205258

大和ホテル見学後 ホテル 渤海明珠酒店に戻ると ホテルで
結婚式が 入り口前は多数の人が
中国では 結婚時 男性が自宅を確保必要 マンション
200万元 日本円で 2800万円 大変だな!

1205259

大連周水子空港 着陸時 異常な光景 見渡す限り 公団の様な
建物がびっしり 珍風景!
帰り 空港で 滑走路ごしの建物 何処までもあり 異常です。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.05.21

大連 満鉄の遺産

A120521

満鉄本社です 大連駅より離れた場所
左半分はロシアが建設 右半分は日本が建設 
総裁室も右側にありました。
満州鉄道 ロシアはシベリア鉄道も開通して支線に
新京から大連まで鉄道敷設 日露戦争後 日本に接収
添乗員の話では従業員 40万人 世界一の企業
確かに 戦争のロジステック 輸送は 鉄道は最重要
関連企業も多数

A120523

大連駅 以前の上野駅モデルに建設
確かに似ています 現在は駅裏から 新幹線?の駅もホテルの部屋
から見えます

A120522

アジア号 鉄ちゃんが見れば 興味あるかも
大連 港近くの保線の工場に 但し此処も保存状況行くありません
動輪は2m 大連からハルピン 時速130Km エアコンまであった

A120524

大連港の乗船ターミナル 外観は変わったそうですが
内部はその当時のままだそうです
此処から 終戦時 100万近くが日本に

A120525

大連 大和ホテル 此処も 満鉄の関連 ホテル
昨日 見学 溥儀なども宿泊 部屋も見せて頂きました
その後 喫茶店で休憩 話では 此処に 元参議院議員
山口淑子さん 李香蘭 が良く来てコーヒー飲んでた
バルコニーから 中山広場見ると その頃の情景が浮かんで
きます。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

日露戦争 203高地 陸軍

17日~20日 三泊四日の大連ツアーから帰って来ました
全ツアー 食事付きで10回全て 中華 以前も北京
同じでしたが 今回の中華料理 本当に美味しかった
飽きない。東北料理 満足 満足!
21日 横浜で曇りでしたが 雲間に金冠日食見れました

1205211

日露戦争 陸軍 朝鮮半島に上陸後 第二軍 金州地域及び
半要塞化した 南山での戦い 写真は ロシア軍の砲台後です
戦死したロシア人は 本国に輸送されず 近くに墓地がありました
添乗員の説明では 日本兵は本国に遺骨として送られたとの事
乃木大将の長男 勝典さんがこの近くで戦死
日本的には貴重な遺産ですが はっきり言って保存状態は良くありません
道の途中に 土建会社等がり 本当にここがとの印象

1205212

旅順近く 東鵜冠山 此処は ロシア軍は要塞化して 日本軍を
待ち受けていました 中国人を使い 要塞化しました
この様に強固な陣地 壁には無数な弾痕の跡

1205213

203高地入り口 此処でバスを降り 左側 右側は有料のバス
道路 但し 100元かかります
意外と 付近は 山ではなく 丘との印象

1205214

旅順攻撃 乃木大将率いる 第三軍の戦い

203高地頂上からの 旅順港 此処を取る為に日本軍 15000人
が戦死 激戦 旅順港が良く見えます 湾内には半島があり
入り口は狭く 但し 天然の良港 冬でも凍らず ロシアも
欲しかった場所 狭いところでは巾100M 広瀬中佐も 此処
旅順港封鎖作戦で戦死 旅順港を見ていると感激します。
頂上に 砲台を築き ロシアの軍艦を攻撃
意外と 203高地緑豊かです 坂の上の雲では 瓦礫のの山との
印象でしたが 同行のツアーの方とお話を 多分 ロシアが
攻撃軍を見やすくするために付近の木伐採したのでは? 納得
帰りは バス道に 途中 乃木大将の長男 勝典さんの戦死の碑が

12052141

大連市内の高層ビルが 多数 未だに 建築が多数 
南山激戦地から 大連経済区の 高層ビルが多数見れます
日本からの企業 4000社 日本人は10000人位居るそうです

それからすると 旅順 落ち着いた街 市街地に 水師営会見場
203高地占拠後 1905年1月乃木将軍とステッセル将軍が会見した場所です
場所は 普通の民家だそうです 文化大革命で破壊され その後
再建 此処も保存は悪いな 

1205218

後日 旅順攻撃 年表作成しました

日露戦争(陸戦)

1904年 年表

3月27日 第二次旅順港 封鎖作戦で 広瀬が戦死
4月30日 鴨緑江を威嚇砲撃
5月
  1日 第一軍、九連城を占領
  5日 第二軍が遼東半島東部の塩大澳に上陸
  26日 第二軍が金州と南山を占領
  30日 第二軍、大連を無血占領
6月 
  6日 第三軍、塩大澳に上陸を開始
  13日 第二軍、北進を開始する
  15日 第二軍、得利寺でロシア軍を撃退
  20日 満州軍総司令部が設置され、大山が総司令官に、児玉が総参謀長に任じられる
7月
  12日 参謀本部、陸海軍部へ旅順の早期攻略を要請
  25日 乃木、第三軍に旅順要塞の外郭陣地の攻撃を命令
  27日 第三軍、双台溝・老左山のロシア軍を撃破し、長嶺山・莫石嶺に進出
  30日 第三軍、旅順の包囲を完了する
8月
  16日 旅順に対し、非戦闘員の退避と降伏を勧告
  17日 ロシア軍、日本の勧告を拒絶
  19日 第三軍、第一次旅順総攻撃を開始
  21日 第一師団、大頂子山を奪取 第九師団、盤龍山堡塁の攻略に失敗
第十一師団、東鶏冠山堡塁の攻撃に失敗
  22日 第九師団、盤龍山堡塁を奪取
  24日 第三軍、総攻撃を中止 第一軍、遼陽に向けて進軍開始
9月
  9日 第三軍、龍眼北堡塁への坑道開削を始める
  11日 第三軍、水師営南堡塁への坑道開削を始める
  14日 達子房身に二十八センチ榴弾砲が到着
  19日 旅順攻撃 開始
  23日 第三軍、203高地の攻略を断念して撤退
10月
  26日 第二次 旅順総攻撃 開始
  31日 乃木が攻撃中止命令を下す
11月
  26日 第三次 旅順総攻撃 開始
  27日 第三軍が攻撃目標を203高地に変更する
  30日 第三軍が203高地の一角を占拠 しかし、ロシア軍の反撃で奪回される


12月
  1日 児玉が第三軍司令部に到着
  3日 203高地の日露両軍が死体収容のため一時休戦
  5日 第三軍が203高地を占領
  6日 二十八センチ砲で旅順港の敵艦隊を砲撃
  11日 旅順港の軍艦八隻が沈没、自沈
  15日 コンドラチェンコが東鶏冠山北堡塁で戦死
  18日 第十一師団が東鶏冠山北堡塁を占領
  28日 第九師団が二龍山堡塁を占領
  31日 第一師団が松樹山を占領

1905年 年表

1月
  2日 水師営で日露両軍の全権委員が開城規約文書に調印
  3日 乃木とステッセルが水師営で会見する


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.05.14

遼東半島 日本の歴史 レビュー

大連 出発に先立って 遼東半島を巡る 日本 中国(清) ロシアの
状況について レビユーしてみました。

参考にしたのは この方のサイト

江戸時代末期より 北海道ではロシアの脅威が
大黒屋光太夫 高田屋嘉兵衛 商人よる事件があり
鎖国時代 日本にとって ロシアは脅威のある国に

日本の防衛は 朝鮮半島を緩衝地帯として防衛が
一般的に

明治時代になり 西郷隆盛を中心に征韓論に
これに敗れた 西郷が鹿児島に帰り 西南戦争に

この様に日本にとって 朝鮮半島は重要な場所

明治8年に起こった 日本と朝鮮が武力衝突した江華島事件
がきっかけで 日朝修好条約を締結
清国の朝鮮への派兵で 明治27年 伊藤博文が朝鮮に出兵を
決める その後 日清戦争勃発
この時期 正岡子規が 新聞日本の従軍記者として訪れています。 
黄海開戦で制海権を 旅順占拠 下関で講和条約締結
その後 ロシア ドイツ フランスによる三国干渉により
遼東半島を日本に放棄を要求 日本 遼東半島放棄

ロシアは遼東半島 大連 旅順及び満州を占拠し基地化する

この状態が朝鮮半島を緩衝地帯とする日本にとっては脅威
でロシアに満州より撤退を要求するが拒否され
明治37年 日露戦争が勃発

その頃 ロシア海軍は 旅順 ウラジオストック 北海に
バルチック艦隊があり 特に 旅順にある艦隊は 将来
押し寄せてくる バルチック艦隊との海戦までに 殲滅の
必要性があり 旅順港にある艦隊は 旅順港は港の後ろが
基地化され これが 203高地の戦いに

日本陸軍はロシア軍を奉天まで追い詰め 撃破しています
この領地がその後 関東軍による満州事変に
その後 第二次世界大戦で敗戦

この様な歴史があり 大連には3泊する予定です
反日かなと思いましたが ネットでは日本企業も多数あり
あまり無いとの事で 安心しました
まー行ってみないとなんとも言えませんが

私なりに 遼東半島の歴史説明不足でまとめました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.05.06

滞在時間 1時間のホルモン専門店 富山

1205061

富山駅から高山本線で三つ目の駅 速星駅前 ホルモン専門店
お多福に 久しぶりにジーゼル電車の乗りました 下車時は
乗客がドアーを開けるシステム 少し戸惑いましたが無事 店に
駅前にありました 此処の店以外店なく スムーズに見つけられます

1205062

まずは 名物 豚もつ鍋 二人前 何故か ジンギスカンに
食材は似ています 野菜は モヤシと玉葱 違うのは 豆腐 
隣のテーブルでは 豆腐を崩していました 納得 
もつの味がして 美味しく ホルモン 焼くだけではなく
鍋で出すのは 博多のもつ鍋とは違い 食材の違いで新たな発見

1205063

牛スジの煮込み ピリカラ味で美味しかった

ホテルは 富山駅前 電車は一時間に2本 このため
店の滞在時間 1時間 風の盆 おわらで有名な 越中八尾
この駅から 二つ目以外と近いんだ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年4月 | トップページ | 2012年6月 »