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2013.12.03

徳川慶喜 東京 静岡 住居

徳川最後の将軍 慶喜が亡くなって今年で100年です

幕末の対応 如何でしょうか 鳥羽伏見の戦いで
朝廷軍に幕府軍敗れると 大阪城にいた慶喜  側近などと大阪湾
より 内密で江戸に戻ってしまいました 残された幕臣など
どの様な気持ちだったでしょうか 江戸に戻った慶喜
上野 寛永寺で謹慎 その後水戸に
戊辰戦争の終結後 明治政府より謹慎がとけ 慶喜及び徳川家は
静岡に移住 慶喜が静岡 東京でどの様な場所に住んだか 
見に行って来ました

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徳川家 800万石から駿河藩 70万石 慶喜が静岡に移住と
供に幕臣達も移住 生活の為に 未開発の牧の原台地を開墾
茶の生産 家来も大変だったと思います

静岡では最初 1868年 宝台院に 明治2年に謹慎がとけ
元代官屋敷の場所に そこは静岡駅前 広大な日本庭園
現在は 結婚式場 浮月楼に 
此処で20年生活 趣味三昧の生活
明治22年に静岡駅が決まると 騒音を避け 西草深邸に
明治30年 29年住んだ静岡から東京に移住

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東京で住居は明治30年から4年間 巣鴨駅前から白山通りの
向かい側が住居跡 碑だけが残っています

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このビル一帯が住居場所 此処でも鉄道が出来るので
引越し

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最後の地となったのが 文京区春日に 現在は国際仏教学大学院大学
になっていました 
1913年 大正2年 11月22日 肺炎の為に死亡 享年 76歳

墓は 増上寺 寛永寺の将軍廟ではなく 谷中墓地に

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最後に 最後の屋敷になった場所から歩いて20分位の場所
小石川後楽園 水戸徳川家の上屋敷があった場所
此処で 徳川慶喜 徳川斉彬の7男として誕生

現在 静岡市美術館で 没後100年の展覧会が開催中


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