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2015.01.24

伊豆半島 下田港 戸田港に

ひなん今年のNHK大河ドラマは 吉田松陰の妹 文が主人公
御所 蛤御門の変で死亡した松蔭の弟子 久坂玄瑞が夫です

吉田松陰 黒船密航地 下田港 日露和新条約締結の為に
訪れた 下田港沖で安政東海地震の津波で大破 戸田港に
曳航中 駿河湾で沈没 プチャーキン一行 ロシアに帰還の為に
戸田港でヘダ号を建造 無事ロシアに帰還 建造場所 戸田港に

吉田松陰は松下村塾で 高杉新作 伊藤博文 有縣有朋など指導
したことで有名ですが 私的には 革命とはこの様な狂人的な行動
が必要と思う人物です 享年30歳

2009年6月に浦賀を訪れました その時 一度目 黒船来航を見て 

吉田松陰と師 佐久間像山と論議 この時 密航を実行を決めた
のでしょうか 佐久間像山はこれが元で投獄されています

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長崎でロシア船密航に失敗した 吉田松陰 金子重輔は1854年
3月18日下田に 初めて宿をとった 岡村屋 現在は家屋のみで
下田屋旅館の名称なし 了仙寺近く


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伊豆急の下田駅の手前 蓮台寺駅近く 疥癬(皮膚病)を患った
松蔭 治療の為に 蓮台寺温泉に 医師・村山行馬郎の家に
匿われる 密航前に治療とは

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松蔭が治療の為に訪れた共同湯 村山家の近く

201501224

1853年

6月3日 浦賀沖にペリー黒船4隻 来航
6月4日 浦賀奉行所与力 中島三郎助 近藤良次 佐々倉 通訳が
        サスケハナ号に派遣 異国(米国)との交渉は長崎でとの
         要求拒否され 江戸 幕府に報告するが解決策なく
6月6日 米国大統領国書 受理やむなしとの結論になる
6月7日 与力 香山栄佐衛門 通訳がペリーに受理を伝える
6月9日 ペリー一行 久里浜に上陸し国書受理
6月12日 国書の回答を来年に延期し 日本を離れる

1854年

1月16日 ペリー軍艦7隻で再来 横浜 小柴沖に停泊
3月3日 横浜村 現在の横浜開港資料館付近で日米和親条約 締結
     条約内容に 横浜と函館の開港も含まれる
3月28日 下田に寄航したペリー艦隊に 吉田松陰 金子重輔が
    密航 失敗し自首する。

1853年 浦賀で松蔭 黒船目撃 翌年 下田湾にペリー黒船7隻で入港
3月28日午前2時 吉田松陰と弟子の金子重之輔が弁天島より小船で
旗艦 ポーハタン号に 条約締結に悪影響を恐れ 送り返される

弁天島付近より下田湾 湾内には7隻ポーハタン号は右側島の向こう側に
送り返されたのは先の須崎方面に

弁天島の付近に 玉泉寺 ハリスが住んだ 初代アメリカ総領事館が
あるのは 偶然でしょうか

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密航失敗し自首した 二人は下田奉行所の命で此処に拘禁される
これも了仙寺近くでした

その後二人は長州に送り返され 吉田松陰は野山獄に 金子重之輔は
士分ではなかったので もっと厳しい岩倉獄に その後病死

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下田公園近く ペリー上陸の地 此処からペリー一行は 了仙寺に

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了仙寺 日米和親条約の詳細を定めた下田条約締結の地

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長楽寺 日露和親条約締結の地

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玉泉寺 初代アメリカ総領事館

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宝福寺 第15代土佐藩主山内容堂が江戸より上洛途中 下田
宝福寺に逗留 偶々 勝海舟もしけの為に 下田に避難
坂本龍馬そのころ脱藩の罪にと問われていましたが この場所で
勝が山内容堂に頼み 竜馬の脱藩の罪を放免される

龍馬その後 帰国延期申請が拒否されると再び脱藩する

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戸田港 西伊豆 沼津近く 湾内に半島(洲)があり天然の良港
ロシア人指導日本人により初めて洋船 ヘダ船を製造

安政元年(1854年)11月に起こった安政大地震による津波で、
折りしも日露和親条約締結交渉のために伊豆下田に碇泊して
いたロシア使節プチャーチンの乗艦ディアナ号が大破。
修理のために君沢郡の戸田に回航中に沈没した。
酷寒の海に投げ出された約500人の乗組員は沿岸の漁民たちが総出で救出し、
ロシア側に大きな感銘を与えた。こうした信頼感もあってかプチャーチンは
幕府の許可を得て戸田港で帰国のための代船を建造することにした。
これに大いに協力したのが開明派の代官江川太郎左衛門。本格的な洋式帆船
の建造技術を習得する絶好のチャンスと近郷はもとより江戸からも優秀な
船匠や鍛冶を呼び寄せた。
設計と監督はロシア側が行ったが、艤装用金具から塗料まですべて現地で
作ったため技術習得の成果は実に大きかった。
建造された第一船は戸田(へだ)の地名から「ヘダ号」と命名され、
もう一隻の同型船とともに、条約締結の使命を果たしたプチャーチン一行
を乗せ無事ロシアへの帰途についた。

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戸田造船郷土資料博物館前 駿河湾より引き上げられた
ディアナ号のいかり

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戸田漁港近くの 造船記念碑 意外と狭い場所でした

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宝泉寺 造船記念碑近く プチャーチン一行が滞在した寺
ロシア人の墓もありました


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