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2015.06.26

国会前 戦争法案反対集会に参加

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安全保障関連法案 反対集会で 国会に行って来ました
前回の集会のニュース見まして ご婦人の方が 集団的
自衛権で戦争に巻き込まれる恐れがあるので 
いてもたたず 参加したとの発言で この意見に賛同し
今回 参加しました この様な集会に参加 初めてです
 
シニアの方の参加多い 3万人位の参加者

若い方 子供 孫など 戦争に参戦の危険がある
憲法9条を無視した法案は 閣議決定のみで立法

憲法審議会で自民 野党の三人の委員が違憲であると
発言 お気に入りの法制局長官に変更しましたが
前 二人の長官も違法性があるとの発言

国会の会期も戦後最長に延長し 丁寧に説明する
説明すれば するほど 矛盾が 最後は強行採決で
アメリカ議会で夏までに成立を確約した手前
やる気まんまんです

安倍首相 周辺国の関係 中国 韓国との信頼も無くなり
戦後 50 60年談話 今年 70年談話は 閣議決定
もしなく 独り言の談話など 発表する必要なし

日本国平和憲法無視し 立憲主義を無視し国民の半分
以上反対している 法案 強行採決できるのでしょうか

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2015.06.24

足柄峠 竹ノ下の戦い

NHK BSプレミアム 英雄たちの選択 迷えるカリスマ 足利尊氏
を見て 足利兄弟と新田兄弟の戦いが 箱根 足利峠で
竹ノ下の戦いが JR御殿場線 足柄駅付近で 徳川時代に箱根峠が
整備され 東海道に それ以前は 御殿場から足柄峠が東海道古道
足利尊氏不思議な人です

竹ノ下の戦い 足利尊氏 足柄峠に布陣 官軍 新田軍 
実弟脇屋義助が 足柄峠 麓 竹ノ下に布陣

現場見に 吉野山 京都 赤坂千早城 神戸 湊川 鎌倉 新田 足利
行きました 足柄峠が最後です

1317年
文保の和談が成立し、後醍醐天皇が即位。
1324年
正中の変。後醍醐天皇による幕府転覆計画が発覚。
1331年
元弘の変。後醍醐天皇による幕府転覆計画が再発覚し、
さらに挙兵。天皇は隠岐に流される。
1333年
後醍醐天皇は隠岐から脱出し、新田義貞などの軍勢が
鎌倉幕府を滅亡 後醍醐天皇の建武の新政スタート。
記録所復活、武者所、雑訴決断所設置。
1335年
中先代の乱が起こり、北条時行らが挙兵。
箱根・竹ノ下の戦い
足利尊氏がこれを鎮圧する。
後醍醐天皇、足利尊氏を討伐することを決定。
尊氏は北畠顕家に破れ、九州へ敗走。
1336年
足利尊氏、九州 多々良浜の戦いで菊池武敏を破り、
京都へ進軍 湊川の戦で楠木正成が戦死。
足利尊氏、持明院統から光明天皇を擁立。建武式目を制定する。
後醍醐天皇が吉野に脱出し、朝廷は南北朝に分裂。
足利尊氏が光明天皇を即位させる。
足利尊氏が建武式目を定める。
後醍醐天皇、吉野へ脱出する。
1338年
石津の戦い。北畠顕家(南朝)が高師直(北朝)と戦い、
戦死する。
藤島の戦い。新田義貞(南朝)が斯波高経(北朝)らと戦い
戦死する。
足利尊氏、征夷大将軍に任命される。
1339年
後醍醐天皇が死去する。
1348年
四条畷の戦い。楠木正行(楠木正成の子)が、高師直(北朝)
と戦い、戦死する。
1350年
足利直義が、兄の足利尊氏に対して挙兵。
1351年
高師直らが足利直義方の上杉能憲に殺される。
尊氏、直義が講和するが、間もなく再び仲たがい。
1352年
足利直義が死去。尊氏に毒殺とも。
1358年
足利尊氏が死去する。

年表で見ると 足利尊氏と後醍醐天皇の戦い 解りずらい

中先代の乱

1335年(建武二年)、北条高時の子の時行が兵をおこし
鎌倉に攻め込んで、足利直義の軍を負かしてしまいました。
この時 足利直義は 鎌倉にて 監禁されていた
後醍醐天皇の皇子である護良親王を殺害

そこで尊氏は、自分を征夷大将軍にして、
関東に応援にやらせてくださいと天皇に頼みましたが
天皇は許しませんでした。

ところが尊氏はこれを聞かず、勝手に関東へ下ってしまったのです。
これを見た、新政に不満を武士たちは
われがちに尊氏についていってしまいました

箱根・竹ノ下の戦い

関東に下った尊氏は、弟の直義とカを合わせて時行の軍を破りました。
この事件を中先代の乱といいます
後醍醐天皇は、この勢いを見て、新田義貞に尊氏兄弟を討てと命令しました
新田義貞は尊良親王を奉じ、軍を率い東海道を下った。

尊氏軍は直義が中心となり作戦行動に出る。義貞は三河矢作川、遠江鷺坂、
駿河手越川原で迎撃に出た直義軍を打ち破り、伊豆国府(三島)を占領し、
鎌倉へ着々と軍を進めた

時出家していた尊氏が直義の説得に応じ、戦線に復帰する。義貞は三島で軍を
集結させると軍を二方面に分け、自らは搦め手軍を率いて箱根峠に進み、
大手軍は実弟脇屋義助を大将に足柄峠へ進軍させる。尊氏軍は直義が箱根に
布陣し、尊氏は竹ノ下前面の足柄峠に布陣する。

12月11日両軍は激突する。箱根方面では義貞軍が直義軍を押し気味に戦局が
展開する。尊氏と義助の主戦場は足柄峠のすぐ西にある竹ノ下となった。
尊氏の参陣で志気が上がる尊氏軍が押し気味に戦局が展開し、
さらに翌日になって大友貞載と塩冶高貞が尊氏軍に寝返ったため、
義助軍は総崩れとなり敗走する。その報を受けた義貞は、箱根口の戦いでは
大勝しながらも 退路を断たれるおそれが出たため軍を撤退させる。
これを見て近江守護の佐々木道誉も尊氏軍に寝返り義貞軍も総崩れとなった。

義貞の軍は、箱根山(神奈川県)の戦で負けて逃げ帰り
逆に、尊氏の軍がこれを追いかけて京都に攻め上っててきました。

そこで、後醍醐天皇は、一時 比叡山(京都府・滋賀県)に移り
尊氏の軍が、代わって京都に入りました。

ところが、今度は北畠顕家が東北地方の軍勢を率いて応援に来たので
尊氏兄弟の軍は敗れて遠く九州まで逃げました。
その後 足利尊氏 九州より攻めあげる 本当に尊氏 タフ

年表を見ると その後も 後醍醐天皇 新田 楠 北畠 足利の戦いが
続き 南北朝に分裂 足利 室町幕府が誕生

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① 足柄関所跡 ② 足利城址 ③ 新羅三郎義光吹笙之石
④ 竹ノ下古戦場の碑 ⑤ 興雲寺 慰霊碑 ⑥ 有闘坂
⑦ 陣場

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南足柄市から 足柄峠方面 鎌倉時代は峠越えの後 小田原を
抜けて 鎌倉に行ったのでしょうか

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足柄関所跡 駿河国と相模国の国境 889年 足柄坂に
現れる 強盗団を取り締まる為に設けられる

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平安時代より戦略上の要地 築城者は不明 戦国時代は
小田原後北条氏の城となるが 豊臣秀吉の小田原攻めで落城
その後 廃城

広場からは 晴れていれば 正面に 富士山が 左側には
金時山が 此処から歩いていけるみたい 仙石原に
下に 激戦となった 竹ノ下が見えます

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新羅三郎義光吹笙之石 八幡太郎義家の弟 新羅三郎義光
(甲斐 武田の祖)が奥州 後三年の役に応援に行くとき
自分が戦死するかもしれないと 笛の極意を豊原時元の息子
時秋に石に腰かけ秘曲を伝授した場所だそうです 

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JR御殿場線 足柄駅近く 竹ノ下古戦場の碑

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興雲寺 慰霊碑

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有闘坂 新田軍 脇屋義助が防戦した場所

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陣場 東名高速近く 付近は工業団地に
官軍 新田軍 脇屋義助が布陣した場所 この後 足利軍に
追われ 京都まで逃げ帰ります

何回読んでも 太平記は面白い 但し最近はすぐに忘れます

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2015.06.18

この方も 今月退職です

以前より拝見していた 名古屋で単身生活 退職まで
東京の大学6年で卒業後 東京 大阪 その後名古屋に

私も 6年間 名古屋生活 最後の1年は 名古屋市ではなく単身生活
多分同じ時期に 名鉄の駅に住んでいたこの方の生活気になり
10年近くウオッチ 大変な生活 途中 会社も合併になり退職 再雇用
ドラマチッです 住民とのトラブル グチなど 興味深々でした 多分同い年です

今月 退職で サイトも更新止めました 老後は海外生活との思いでしたが
どうなるか まず無理だと思います

香川県 出身で 分割で お年路など興味深々 来月 横浜に帰るようです

最後に 掲示板に 書きました 返信は 退職後の行動 図書館通い
と散歩 すぐ飽きるのでしょうね 行っていませんが 退職後の生活
好きな事のみ 実践 これです

この方のその後見れないのは 残念です

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2015.06.14

渋谷で ボッティチェリ展

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ドゥオモ越しのフィレンツェの風景 当日はドゥオモの屋根に
登れず 隣のジョットの鐘楼よりの遠望

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アレノ川にかかる ヴェッキオ橋 隣が ウフィツィ美術館

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ウフィツィ美術館 入口には ダビンチ ミケランジェロの銅像が


60歳 退職後 再延長時 延長記念で5日の特別休暇が
あり 夫婦で フランス パリ イタリア ローマ
フィレンツェに フィレンツェでは ウフィツィ美術館に

此処には サンドロ ボッティチェリの作品が多数

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有名な作品 ビーナスの誕生  アドビ 画像ドローソフトの
イラストレーター パッケージで有名 最近は ファミレス 
格安イタリア料理店 サイゼリアに複製画があります

後 春 とか ダビンチの受胎告知 ミケランジェロ ダビデの彫刻
作品はその他多数 やはりボッティチェリの作品は 印象深かった

現在 渋谷でボッティチェリの作品展が 但し イタリアの国宝
ビーナスの誕生 春の展示は無理です

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今月28日が最終 東急文化村 ミュージアムに
渋谷には 東急東横線が地下に駅が出来て二度目 ハチ公の銅像
も向きが変わっているよな 109ビルの横を通り 東急百貨店 本店
の横に 美術館が

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ボッティチェリとルネッサンス 15世紀後半 フィレンツェでは
メディチ家の庇護で ミケランジェロ ダビンチ ラファエロ
ボッティチェリが才能を発揮

ボッティチェリの古典 宗教画が多数 ダビンチと同じ題名の
受胎告知もあり 又 ビーナスの誕生のビーナスのみの作品も
あり 興味深かった イタリアでのみしか見れないと思った作品
が 東京 渋谷で見れました

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2015.06.07

息子の結婚式

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昨日 息子の結婚式を 白金台 八芳園 で

奥さんと娘は 着付けの為に早朝式場に 私もそこそこに式場に
礼服 先日衣装合わせで訪れましたが 着てみると始めての経験
で大変です

結婚式30分前ですが 相手側にも合えず やっとその後合流
待合室でも こちら側の親族 5分前に集合 奥さんの親戚は
大阪 滋賀より参加 ありがたい

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やはり結婚式は感激します 息子 昨年10月に入籍
その後何度か自宅来ましたが やはり結婚式は必要と説得
彼女にとっては一生の思い出です やっと今日に

素晴らしい結婚式でした

披露宴で 息子の知らない一面が見え 安心しました

後は娘 どうなるか?

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