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2015.06.24

足柄峠 竹ノ下の戦い

NHK BSプレミアム 英雄たちの選択 迷えるカリスマ 足利尊氏
を見て 足利兄弟と新田兄弟の戦いが 箱根 足利峠で
竹ノ下の戦いが JR御殿場線 足柄駅付近で 徳川時代に箱根峠が
整備され 東海道に それ以前は 御殿場から足柄峠が東海道古道
足利尊氏不思議な人です

竹ノ下の戦い 足利尊氏 足柄峠に布陣 官軍 新田軍 
実弟脇屋義助が 足柄峠 麓 竹ノ下に布陣

現場見に 吉野山 京都 赤坂千早城 神戸 湊川 鎌倉 新田 足利
行きました 足柄峠が最後です

1317年
文保の和談が成立し、後醍醐天皇が即位。
1324年
正中の変。後醍醐天皇による幕府転覆計画が発覚。
1331年
元弘の変。後醍醐天皇による幕府転覆計画が再発覚し、
さらに挙兵。天皇は隠岐に流される。
1333年
後醍醐天皇は隠岐から脱出し、新田義貞などの軍勢が
鎌倉幕府を滅亡 後醍醐天皇の建武の新政スタート。
記録所復活、武者所、雑訴決断所設置。
1335年
中先代の乱が起こり、北条時行らが挙兵。
箱根・竹ノ下の戦い
足利尊氏がこれを鎮圧する。
後醍醐天皇、足利尊氏を討伐することを決定。
尊氏は北畠顕家に破れ、九州へ敗走。
1336年
足利尊氏、九州 多々良浜の戦いで菊池武敏を破り、
京都へ進軍 湊川の戦で楠木正成が戦死。
足利尊氏、持明院統から光明天皇を擁立。建武式目を制定する。
後醍醐天皇が吉野に脱出し、朝廷は南北朝に分裂。
足利尊氏が光明天皇を即位させる。
足利尊氏が建武式目を定める。
後醍醐天皇、吉野へ脱出する。
1338年
石津の戦い。北畠顕家(南朝)が高師直(北朝)と戦い、
戦死する。
藤島の戦い。新田義貞(南朝)が斯波高経(北朝)らと戦い
戦死する。
足利尊氏、征夷大将軍に任命される。
1339年
後醍醐天皇が死去する。
1348年
四条畷の戦い。楠木正行(楠木正成の子)が、高師直(北朝)
と戦い、戦死する。
1350年
足利直義が、兄の足利尊氏に対して挙兵。
1351年
高師直らが足利直義方の上杉能憲に殺される。
尊氏、直義が講和するが、間もなく再び仲たがい。
1352年
足利直義が死去。尊氏に毒殺とも。
1358年
足利尊氏が死去する。

年表で見ると 足利尊氏と後醍醐天皇の戦い 解りずらい

中先代の乱

1335年(建武二年)、北条高時の子の時行が兵をおこし
鎌倉に攻め込んで、足利直義の軍を負かしてしまいました。
この時 足利直義は 鎌倉にて 監禁されていた
後醍醐天皇の皇子である護良親王を殺害

そこで尊氏は、自分を征夷大将軍にして、
関東に応援にやらせてくださいと天皇に頼みましたが
天皇は許しませんでした。

ところが尊氏はこれを聞かず、勝手に関東へ下ってしまったのです。
これを見た、新政に不満を武士たちは
われがちに尊氏についていってしまいました

箱根・竹ノ下の戦い

関東に下った尊氏は、弟の直義とカを合わせて時行の軍を破りました。
この事件を中先代の乱といいます
後醍醐天皇は、この勢いを見て、新田義貞に尊氏兄弟を討てと命令しました
新田義貞は尊良親王を奉じ、軍を率い東海道を下った。

尊氏軍は直義が中心となり作戦行動に出る。義貞は三河矢作川、遠江鷺坂、
駿河手越川原で迎撃に出た直義軍を打ち破り、伊豆国府(三島)を占領し、
鎌倉へ着々と軍を進めた

時出家していた尊氏が直義の説得に応じ、戦線に復帰する。義貞は三島で軍を
集結させると軍を二方面に分け、自らは搦め手軍を率いて箱根峠に進み、
大手軍は実弟脇屋義助を大将に足柄峠へ進軍させる。尊氏軍は直義が箱根に
布陣し、尊氏は竹ノ下前面の足柄峠に布陣する。

12月11日両軍は激突する。箱根方面では義貞軍が直義軍を押し気味に戦局が
展開する。尊氏と義助の主戦場は足柄峠のすぐ西にある竹ノ下となった。
尊氏の参陣で志気が上がる尊氏軍が押し気味に戦局が展開し、
さらに翌日になって大友貞載と塩冶高貞が尊氏軍に寝返ったため、
義助軍は総崩れとなり敗走する。その報を受けた義貞は、箱根口の戦いでは
大勝しながらも 退路を断たれるおそれが出たため軍を撤退させる。
これを見て近江守護の佐々木道誉も尊氏軍に寝返り義貞軍も総崩れとなった。

義貞の軍は、箱根山(神奈川県)の戦で負けて逃げ帰り
逆に、尊氏の軍がこれを追いかけて京都に攻め上っててきました。

そこで、後醍醐天皇は、一時 比叡山(京都府・滋賀県)に移り
尊氏の軍が、代わって京都に入りました。

ところが、今度は北畠顕家が東北地方の軍勢を率いて応援に来たので
尊氏兄弟の軍は敗れて遠く九州まで逃げました。
その後 足利尊氏 九州より攻めあげる 本当に尊氏 タフ

年表を見ると その後も 後醍醐天皇 新田 楠 北畠 足利の戦いが
続き 南北朝に分裂 足利 室町幕府が誕生

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① 足柄関所跡 ② 足利城址 ③ 新羅三郎義光吹笙之石
④ 竹ノ下古戦場の碑 ⑤ 興雲寺 慰霊碑 ⑥ 有闘坂
⑦ 陣場

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南足柄市から 足柄峠方面 鎌倉時代は峠越えの後 小田原を
抜けて 鎌倉に行ったのでしょうか

201506232

足柄関所跡 駿河国と相模国の国境 889年 足柄坂に
現れる 強盗団を取り締まる為に設けられる

201506233

平安時代より戦略上の要地 築城者は不明 戦国時代は
小田原後北条氏の城となるが 豊臣秀吉の小田原攻めで落城
その後 廃城

広場からは 晴れていれば 正面に 富士山が 左側には
金時山が 此処から歩いていけるみたい 仙石原に
下に 激戦となった 竹ノ下が見えます

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新羅三郎義光吹笙之石 八幡太郎義家の弟 新羅三郎義光
(甲斐 武田の祖)が奥州 後三年の役に応援に行くとき
自分が戦死するかもしれないと 笛の極意を豊原時元の息子
時秋に石に腰かけ秘曲を伝授した場所だそうです 

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JR御殿場線 足柄駅近く 竹ノ下古戦場の碑

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興雲寺 慰霊碑

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有闘坂 新田軍 脇屋義助が防戦した場所

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陣場 東名高速近く 付近は工業団地に
官軍 新田軍 脇屋義助が布陣した場所 この後 足利軍に
追われ 京都まで逃げ帰ります

何回読んでも 太平記は面白い 但し最近はすぐに忘れます

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