« 常磐自動車道で相馬に | トップページ | 今田勝トリオ in The 地区センター »

2015.09.22

福島 伊達市 白河市 山形 米沢市に

201509201

霊山 場所   MAP 中央部 下側

国道115号の途中 伊達市 相馬市の境に
霊山が 山城で頂上付近には霊山城跡が 南北朝時 北畠顕家
御醍醐天皇の子 義良親王を奉じて 父 親房と共に 奥州 多賀城
に下向 当時は 北朝 足利尊氏の斯波家長が 多賀城の北側に
には 北朝 足利尊氏 配下の斯波家長が 多賀城の北側に布陣

1335年 北条執権 高時の子 時行が鎌倉に攻め込む 一時支配
(中先代の乱) その後 足利軍が鎌倉を取り戻す 
朝廷が尊氏・直義追討の宣旨を発する

新田義貞 直義が鎌倉を攻めるが 箱根・竹ノ下の戦いで敗北
新田軍は京都に向けて逃げ帰る

北畠顕家 奥州軍が足利尊氏を攻撃するために 仙台市近くの
多賀城より京都に向けて遠征 この時 伊達行朝 北畠軍に従軍
新田 楠正成 北畠軍により京都で勝利 足利尊氏 九州に追いやる

北畠顕家はその後 再び奥州多賀城に帰るのですが 
その後 足利尊氏は 九州より舞い戻り 湊川で楠正成が戦死
新田義貞 後醍醐天皇は比叡山に避難

奥州に戻った北畠顕家 多賀城の北 北朝の斯波家長が脅威
南朝軍立て直しの為に 国府を宮城 福島の県境の霊山に移す
準備を整え 1337年 再び 上洛 京都では 新田義貞との
連携に失敗 顕家 石津の戦い 大阪 堺市で戦死 享年20歳
その前に 義良親王 (後村上天皇)を南朝の吉野に返す
顕家の墓は阿倍野神宮にあります

顕家死後 霊山城は9年持ちこたえるが 北朝軍により落城

二度の東北~京都 遠征凄い 

何故 北畠顕家が国府を 多賀城より霊山に移したか
伊達家をはじめ南朝軍が立てこもる霊山を選択

201509202

霊山城方面 右側の山頂付近 朝5時に自宅出たので 山頂
までいけませんでした 大阪 河内長野の楠正成の赤坂千早城より
厳しい

201509203

阿津賀志山の戦い 防塁の場所が解らず 国見町役場に
受付の方が資料出して来て教えていただきました

阿津賀志山防塁 阿津賀志山より阿武隈川まで3Kmの防塁
福島 宮城の県境で 交通の要所 山により平野が狭く
防御の為の堀 土塁 1189年 8月8日源頼朝による奥州藤原氏
攻め 10日には藤原軍は敗走 9月3日 秋田比内郡で四代泰衡は討ち取ら
れ 奥州藤原氏滅亡

合戦には 伊達家 祖 伊達朝宗も頼朝軍に参戦 
石那坂の戦いで功績を上げ伊達郡を与えられている

201509204

正面は東北道 JR東北本線 国道4号 左側が阿津賀志山
この付近 防塁が良く残っています

201509205

阿武隈急行線 高子駅近く

奥州合戦により 戦功により 始祖 伊達朝宗が築いた居城 高子岡城跡
360年この地にいたのですが 15代晴宗の時 室町幕府将軍足利義輝の命
で 山形県 米沢に 17代 伊達正宗は米沢で誕生

北畠顕家が奥州に来た時 その後 顕家による京都攻めに伊達家は
南朝軍に従軍しています

場所は 福島ですが 伊達市

201509206

梁川八幡宮 阿武隈急行 やながわ希望の森公園前駅

1587年4月1日 伊達正宗 16歳 父 輝宗と共に 初陣 祈願で
訪れ 6月3日には金山城を陥落させています

6月2日には 織田信長が本能寺で明智光秀が攻撃 信長が死亡
その後 豊臣秀吉の時代に

秀吉の小田原(北条)征伐後 1590年 奥州仕置 伊達政宗には
会津 米沢を没収 会津は 蒲生氏郷に 正宗は1951年宮城 
岩出山城 1603年仙台城に

201509207

伊達市より山越えで 山形 米沢市に 郊外の小野小町ゆかりの
小野川温泉泊 源泉かけ流しの良い温泉でした

近くの田んぼ 田んぼアートに 今年は 花の慶次 前田慶次
パチンコでしか知りませんでしたが 金沢藩 前田利家の義理の甥

米沢 上杉景勝に仕官 供養塔は米沢に

201509208

201509209


旅館の主人と話していると 伊達氏が福島伊達市より米沢に移った
時 築城した 館山城が現在 発掘中 米沢より会津に行く街道
の途中 館山水力発電所 付近に

伊達正宗誕生地の看板
登り切った所に 本丸の看板 

詳しくは不明です 道路には案内書もなく 迷いました

2015092010

上杉家廟所 中央が 初代 謙信 左側が 二代目 景勝から一二代
斉定まで十代 治憲(上杉鷹山)から屋根が質素に 
初代 上杉謙信 墓 上越 春日山林泉寺にありましたが
改葬されたのでしょうか

2015092011

上杉神社 元米沢城址 会津 蒲生氏郷 嫡男 秀行時改易になり
会津には 上杉景勝が上越 春日山城より入封 米沢城には
重臣 直江兼続が城主となるが 秀吉死後 徳川家康との対立
関ケ原の戦いで西軍が負戦 会津は保科正之 父は二代将軍秀忠
その後 幕末 京都守護職 松平容保に 戊辰戦争で会津攻めに

上杉景勝は関ケ原後 米沢の城主に

関ケ原の戦いの前 東北では 伊達政宗と上杉景勝の戦いが

上杉神社には 伊達政宗誕生の地の碑 館山城ではないのか不明です

2015092012

上杉神社前 上杉博物館 是非見たかった 上杉本洛中洛外図屏風
先月までは 本物でしたが 今月は複製品 狩野永徳作 国宝

上杉謙信の偉大さを象徴する屏風 送り主は織田信長です
いかに 謙信を恐れていたか 上越 会津 米沢と運ばれの
でしょうか 見たかった 家康に見栄をきった 直江兼続の直江状
なかった

2015092015

上杉神社 近く 山形大学の隣に春日山林泉寺 
直江兼続夫婦 上杉家奥方の墓が 変わった所では
忠臣蔵 吉良上野介の子が上杉家に養子 5代藩主 綱憲
本所 吉良屋敷に討ち入り時 上杉家臣 新貝弥七郎の墓
堀部保兵衛に槍で刺され死亡 

2015092013

奥州三関の一つ 福島 白河の関 他は いわき市 山形 鶴岡
なので 白河は東山道の関 奥の細道で芭蕉も訪れています
源頼朝が奥州藤原氏を攻める時 家臣 梶原景季歌を読み
源義家が前9年の役 後3年の役時 又 義経が平泉に行くとき
に此処を通過しています

内部は白河神社ですが 周りには堀があり 山城の様な作りです

2015092014

米沢より喜多方は遠回り 以前喜多方ラーメンは食べた事あり
今回は 同じ福島の白河ラーメン とら食堂に

ラーメン屋などあるのかと思う のどかな場所にありました
駐車場は広いのですが 満車 ほぼ福島ナンバー
40分待ちで食べられました 端麗 鳥ガラ 醤油ラーメン
麺は 平打ち ちじれ麺 スープは上品な味 味は 神奈川
湯河原の飯田商店に似ている

今後 東北 秋田 横手 岩手に行く予定
雪が降る前に行けるか?


|

« 常磐自動車道で相馬に | トップページ | 今田勝トリオ in The 地区センター »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/47003/62330523

この記事へのトラックバック一覧です: 福島 伊達市 白河市 山形 米沢市に:

« 常磐自動車道で相馬に | トップページ | 今田勝トリオ in The 地区センター »