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2016.09.18

京都 壬生 新選組 5

京都 壬生 新撰組

 前回の 日野の新撰組を見に行ってから 次は是非 京都 壬生にとの
 思いから 壬生に行ってきました。

 策士 清河八郎により 浪士組に参加した 近藤等の天然理心流 
試衛館メンバー 江戸より 浪士組のメンバー 芹沢鴨のメンバーに 
加わる。
 大変な江戸から 京都に 京都に着けば 今度は 清河八郎は態度を一変
 将軍 上洛の護衛の為に 幕府が 清河八郎の意見を採り上げ 浪士組を
組織  したのに 京都に着くなり 清河八郎が 今後は 天皇の意見を
採り上げ 攘夷の為に 江戸に戻ろうと言い出す、本当に無茶苦茶です。

 250人の浪士組 京都に残ったのは 近藤 芹沢他 20数名 残りは再び
江戸に 戻ってします。

 京都に残ったグループは 壬生八木邸 前田邸で 新撰組旗揚げ
 芹沢鴨 近藤等が 最初の局長に 二つのグループ
 その後 反目 確かに 芹沢鴨 やりたい放題 大砲もって 商家に脅し
 金を借りる 少々酒乱気味 そこで 芹沢グループの切り崩しに 
 
 局中法度を定め これに違反した 芹沢グループ 新見錦を切腹に
 その後 芹沢鴨も暗殺 事実上 近藤等局長 土方歳三参謀の組織に

 これからの話 八木家 当主 八木為三朗老人壬生はなし
 が 昭和3年にしゃべった話を 子母澤 寛さんが 小説に
 に 生々しく 書かれています、この話が 新撰組の話の 
 土台になっていると思います。

 1862年壬生から1867年近藤等 伏見で狙撃されるまで5年間
 事件が一杯 結局は 鳥羽伏見の戦いに敗れ 近藤等は 流山で
 投降 斬首 京都 四条河原に晒され 土方歳三は 会津 函館と
 転戦し 函館で死亡。

 この 京都での 5年間 徳川幕府を守る為 最後の武士と述べる人
 がいいまですが 何故か寂しい 歴史の流れに 逆らえなかった
 集団との思い。

Sinnsenngumi1

旧前田低

将軍上洛の警備の為に組織された浪士組 
後に新撰組 八木邸 手狭になり 隊士の場所に
路を挟んでありました。

この場所は 山南敬助の切腹 古高俊太郎 拷問場所
自白により 池田屋事件に

Sinnsenngumi2

新徳寺

清河八郎に率いられた 230人が江戸より京都に
此処本堂で 清河八郎が 上洛目的が 将軍警備では
無く 天皇の兵として 攘夷をすると演説 これを機会
に 多くは江戸に戻り 反対した 近藤等 芹沢鴨らが
残留して 新撰組になる

Sinnsenngum3

八木邸

壬生の新撰組 屯所 隊員は 旧前田邸で生活

Sinnsenngumi4

八木邸内 芹沢鴨 暗殺 離れ屋敷

内部撮影禁止でした

島原 角屋で 新撰組の宴会の後帰宅して
芹沢鴨は 酩酊状態のあと 睡眠後
部屋は障子の向こうが新撰組局長 芹沢鴨が愛人 お梅と供に
寝ていて 又 平山五郎 島田芸者 吉栄 平間重助
三人がいる所に4-5人の 多分 近藤派の
沖田総司 原田左之助 山南敬助 土方歳三?
説明してくれた人は 覆面していて 人物は不明といっていました

芹沢鴨 平山五郎 お梅が暗殺されました

別の部屋 芹沢鴨 殺害現場の 鴨居には 刀キズが
ありました 多分 土方歳三がつけたのだと言っていました

壬生寺

Sinnsenngumi5

壬生寺 山門

隊員が訓練場所 沖田総司が子供と遊んだ場所

Sinnsenngum6

壬生寺境内 芹沢鴨 平山五郎の墓

八木邸で暗殺された 芹沢鴨 平山五郎 連名の墓

Sinnsenngumi7

島原 角屋

揚屋(料亭) 壬生より歩いて30分

文久3年9月18日 会津公からの 手当で
新撰組 総上げして へべれけの 芹沢鴨 カゴで
帰宅後 謎の集団により 八木邸で暗殺される

立派な建物 但し後ろに 山陰本線の高架 景観台なし

Sinnsenngumi8

西本願寺

手狭になった壬生屯所より 慶応元年 此処西本願寺に
移転 蛤御門の変に敗れた 長州藩をかくまった等の理由で
威嚇の意味で 屯所を西本願寺に移転
大砲を撃ったり 寺側に攻撃する。

手前の道路 堀川通りはさんで 油小路があり 
京都駅近く 本光寺で長倉新八 新撰組に暗殺
した 伊藤甲子太郎の死体を 油小路の辻に運び
囮にして それを引き取りに来た 伊藤一派
籐堂平助ら7人が死体を運ぼうとしている所に
新撰組が 原田 長倉等が 籐堂平助 服部武雄 毛内有之助
3人を暗殺する事件現場がある

Sinnsenngumi9

池田屋跡 碑

新撰組と言えば 池田屋襲撃が有名ですが 東海道終点
三条大橋近く パチンコ屋の前に碑がありました

取り締まりで 不審な商人 古高俊太郎を捕らえ
壬生屯所 旧前川邸 土蔵で拷問 土方が必要以上の拷問
で 勤皇の志士の 武装蜂起を自供 武器も発見

放棄前 志士が集会しているとの情報 場所不明
新撰組 近藤等 土方歳三の二派に分け 祇園会所より
捜索 長州藩定宿 池田屋で 近藤等組が発見

土方グループ 会津藩の到着待たず 長州
吉田稔麿を含め 7人殺害 負傷4人 捕縛23人
新撰組 負傷2人 その後1人死亡
籐堂平助は重傷を負う 幕府より功労金が支給される


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