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2016.10.08

神奈川 龍馬の妻 おりょうさん

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坂本龍馬の妻 龍子 おりょうさんが横須賀で享年66歳で
亡くなって 今年で110年目です

1876年に 35歳で西村松兵衛と再婚 妹・光枝が大津に
住んでいたので 頼って横須賀に 亡くなるまで横須賀
大津に31年住んでいました おりょうの生涯展が 地元
大津コミューニテイセンターで 10月1日から8日まで開催
初めて京急電車で横須賀に 京急大津駅前に

201610084

おりょうさん夫婦 大津では4回近く 転居したのですが
間取りはどんどん小さくなり 晩年はは4畳半の間取り
苦労したのが解ります 葬式は 聖徳寺で 葬儀の写真
ありましたが 喪主は西村松兵衛 近所の方の協力で葬式
特に 維新に関係した方の出席も無く寂しいものでした

1841年 京都 医者の長女として生まれ 生活苦から
妹二人が 大阪 京都 島原に売られた時 交渉で
取り戻しています

201610088

京都 祇園近く おりょうさん独身時代 住居跡

龍馬 中岡真太郎が暗殺された 近江屋とは偶然か近場

龍馬 と おりょうさんが知り合った 伏見 寺田屋

その後 鹿児島に龍馬と新婚旅行 おりょうさんの幸せ時代

坂本龍馬 活動中 おりょうさんは 長崎 小曾根家 下関 伊藤邸 
芸西 庄屋 千屋家に預けられる

京都 近江屋事件時は 下関 伊藤家に逗留 その後 龍馬 実家
高知 坂本家に行くが 折り合いが悪く 海援隊士 千屋寅之助が
おりょうさん 妹 起美と結婚 坂本家を出て 妹が嫁いだ 高知 
安芸郡和食村 千屋家に 此処で 龍馬と交わした 手紙 燃やしてしまう

その後 京都 東京と移動 この頃 おりょうさんの噂 悪くなり
幕末藩士は離れていきます

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江戸に出てまず最初
勝海舟の紹介により 神奈川宿 料亭 田中屋に仲居として働く

前の道は 東海道 台地で 横浜駅の眺めが良い マンションは多い
横浜駅 徒歩圏内 毎年行く 人間ドックの近くです

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東海道53次 歌川広重の神奈川宿 日本橋を出て三番目の宿
真ん中に見える看板 さくらやが田中屋 東海道 海の近く
左側は 横浜駅 海の中です

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田中屋より横浜駅方面 東口 そごうの看板が 鉄道発祥 新橋
桜木町 鉄道 何処を走ったのか?

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葛飾北斎 富嶽36景で 最も有名な 神奈川沖浪裏 風景は
この様な風景 だったのか

川崎の先で生麦事件が 発生 薩摩藩 当日は 神奈川宿予定
であったが 当時 神奈川宿 付近は アメリカ フランス
イギリスの領事館が あり 復讐を恐れた 薩摩藩 予定を
変更 保土ヶ谷宿に逃げる

201610082

おりょうさんの墓がある 大津 信楽寺 二度目の訪問

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坂本龍馬の妻と書かれた おりょうさんの墓
地元の意思により書かれたとおもいます

墓石の下に 置物 まっこと おはんを 好いちゅう

波乱万丈の人生 おりょうさん


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