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2017.02.22

乃木将軍

先日 BS TV THE 歴史列伝で 陸軍大将 乃木希典を
特集していました

過去に NHK放送 坂の上の雲の影響で 旅順 203高地に
行って来ました

東京にも 乃木将軍の場所があるので 行って来ました

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まずは 地下鉄 乃木坂駅で降り 青山墓地に 広大な墓地
当然案内板もなく 探し回りました北側の隅に 家族の墓

日露戦争 旅順攻略戦で戦時した 二人の息子 長男 勝典
次男 保典の墓 中央には 明治天皇が崩御され その後
御大葬の日 夫婦で殉死した小ぶりな墓が

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生まれは以外にも 東京都港区六本木 長州藩支藩 長府藩士
乃木希次 三男として生まれる
六本木ヒルズ森タワーの隣 テレビ朝日社屋の前が毛利庭園
区画整理により 南側のさくら坂公園に乃木大将生誕の地の碑

10歳の時 長府藩に転居 16歳の時 長府から萩に出奔し兵学者
吉田松陰の叔父 玉木文之進に入門 
第二次長州征伐に参戦 騎兵隊 山県有朋指揮下で小倉戦争に勝利

反乱士族と秋月の乱後 萩の乱で 乃木の弟 正誼は玉木文之進の
養子になり反乱軍に従事して戦死 玉木文之進は責任をとり自害

西郷隆盛との戦い 西南の役に従軍時 連隊旗を奪われる 
度重なる 不幸が続く 日清戦争に参戦 その後 台湾征伐 総督
に就任 辞任後 新たに創設された香川県善通寺第11師団長として就任 
以前四国八十八か所 周った時 76番 金倉寺 乃木さん住んでいました

日清戦争で中国より分割された 遼東半島 三国干渉によりロシアに
譲渡 日露戦争では 日本海軍 ロシア艦隊と対戦するが 遼東半島
旅順湾に逃げ込み 攻撃は出来ず又北海のバルチック艦隊はアフリカ
を回り 日本に その前に 旅順湾にいる船団を壊滅が必要

旅順攻略

旅順港の攻略 成功せず結局 旅順港が良く見える 203高地攻略
に切り替え 成功 旅順湾にいるロシア艦艇 撃破 その後
バルチック艦隊攻撃は 日本海で勝利

この時 乃木の率いる第三軍は多数の死傷者発生

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次男 保典の墓標 203高地にすぐ下にありました

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乃木坂駅隣 乃木神社横にある 復元された乃木邸 建物の周りが回廊
になっており 窓から 夫婦で自刃された 和室も見れました

あまりにも多くの犠牲に耐え兼ね 明治天皇の崩御で亡くなったのか
原因かな

確定申告 E-TAX終わりました 今年も還付ありました


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2017.02.14

ニッパツ横浜FCシーガルス 練習試合 見学

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東戸塚 横浜新道沿いにある ニッパツ横浜FC シーガルスの
クラブハウス何度か訪れたましたが 敷地内に入ったのは
初めてです 以前は 横浜FC マリノス フリューゲルスが使用
していたと思います 間違っていればすみません

東戸塚 フットボールパーク 観覧席に行くのは 以前は
ゴルフ練習場から入口あったのですが 現在閉鎖されています

クラブハウス付近の門より グラウンドを横切り観覧席に

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2月12日 13時より東京女子体育大学との練習試合
シーガルス パスの繋がりが良く 素晴らしい出来
前半 3ゴール アマチュアとプロの違い

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昨年度 前半で怪我の為にその後リタイア 久しぶりに 吉田端季さん
のプレー見られると思ったのですが 背番号11は見れませんでした

2017プレナスなでしこリーグ2部 初戦は 3月26日
セレッソ大阪堺レディースとアウエーで始まります 


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2017.02.07

伊豆半島 韮山 修善寺

伊豆半島 何度か訪れていますが 見たい歴史的場所
訪れました 山中城 伊豆の国市韮山 修善寺に

まずは 豊臣秀吉による 北条氏の小田原征伐 支城のみで 相模 伊豆
武蔵 上野 下野 安房 下総 上総 40近くあります 秀吉は小田原城
の周りの支城 落城させていきます

今までに訪れた 後北条支城 箕輪城 厩橋城(前橋城)沼田城 
唐沢山城 忍城 河越城 鉢形城 佐倉城 三崎城 八王子城です
行田の忍城 のぼうの城で映画になりましたが 秀吉の備中高松城
をまねて 石田三成が水責めに見事に失敗しましたが 本陣本当に
古墳の頂上に築いているのですね
今回は伊豆半島の支城 山中城と韮山城を訪れました

鎌倉幕府の執権 北条氏と北条早雲を祖とする 小田原 北条氏と
区別するために 小田原は後北条と呼ばれる たぶん両者には関係性
はないと思います

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箱根峠から三島への国道一号線に 支城の山中城 意外と大きい
空堀などもあり 砦の様に思いましたが 本格的な城です
1590年 秀吉の甥 秀次の率いる7万人 守る北条は3千人 戦闘は
半日で落城 その後廃城

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韮山駅近く 韮山中学の裏山に 韮山城址が これも北条氏の支城
この地にあった 堀越公方の家臣が築城 駿河の初代北条早雲が
上杉家の争いに乗じて介入 伊豆に乱入 堀越公方 茶々丸を滅ぼす

小田原征伐時 北条三代 氏康 四男 氏規が城主 山中城落城させた
秀次が 4万4千人で攻撃 北条軍は3千6百人 百日後 開城

北条四代 五代は小田原城の総10Kmの総構あり 過去 武田信玄 
上杉謙信の攻撃にも籠城で持ちこたえた経験で 秀吉にも耐えられる
と思ったが 作戦面では秀吉の勝ちでした

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次に修善寺に 桂川に沿った温泉街 有馬 湯河原の様な雰囲気の温泉街
此処にも 中国人多い

桂川にある 独鈷の湯 807年 空海が修善寺訪れた時 杖を突きさした
ところ温泉が出た 場所 三年前 四国八十八カ所回りましたが
本当でしょうか 807年は 804年空海 大阪難波より遣唐使船で西安に
恵瓊より教えを受け 806年に帰国 本当かな 空海伝説多いから

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独鈷の湯の前に 修禅寺 空海が創建 頼朝の嫡男 鎌倉幕府 二代将軍 
源頼家 源頼朝の息子 頼朝の弟 範頼が幽閉された場所

上記 山中城 韮崎城を攻めた 豊臣家 二代関白 秀次 秀吉に高野山に
送られ その後切腹 空海が絡んでいるのでしょうか

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指月殿横 源頼家の墓 源頼朝の死後 鎌倉幕府二代将軍に 幕府内の勢力
争いに 頼家の母 北条政子 父親 時政により 修善寺に幽閉 その後
暗殺される 頼家 次男 公暁は 三代将軍 源実朝を 鎌倉 鶴岡八幡宮
の階段で暗殺されています 源家は滅亡し 北条家の支配となります

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指月殿 頼家の母 北条政子が頼家の冥福を祈り 建立
政子の父親 時政は後日 故郷 伊豆国に隠居さられる

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源範頼の墓

源頼朝の六男 源範頼 異母兄弟に義経がいます
兄 頼朝に京都に乱入した 源義仲(木曾義仲)追討の為に 将軍代理で
義経と共に上洛 その後平家追悼で 源平合戦 義経と共に 宇治川の戦い
一ノ谷戦いに参戦 義経は屋島の戦い 壇ノ浦の戦いで勝利 平家は滅亡
頼朝は奥州攻めで 義経 奥州藤原家を滅亡させる

頼朝の不審を受けた 源範頼は源頼家と同じく 伊豆修禅寺に幽閉される
その後 家臣 梶原景時親子に襲撃され殺害される

鎌倉幕府 源家はなぜか呪われている感じがします

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韮山を何回か訪れていますが 歴史的場所が多い場所

平治の乱後 源頼朝が 平清盛により流刑の場所 蛭ヶ小島
頼朝蜂起 最初の襲撃場所 山本判官平兼隆館跡
北条氏のルーツ 北条屋敷 政子の此処が生誕地
堀越公方 御所跡
江川邸 反射炉 最近 世界遺産になりました
北条時政墓 願成就院 

今回 前回訪れた時 茶々丸よく出てくるのですが 良くわからず
再訪 北条屋敷近くに広場 堀越公方 御所跡

室町幕府8代将軍足利義政が 鎌倉より移った 古河公方に対抗策
として 1458年に京都より鎌倉公方として送った 足利政知 鎌倉には
には入れず 伊豆堀越に留まり 堀越御所を建設
足利政知の子 義澄 異母兄 足利茶々丸が殺害 二代目堀越公方に就任
この混乱に乗じた 駿河 興国寺城 早川早雲(北条早雲) 鎌倉時代の北条と
区別する為に 小田原の北条は後北条に名称がつきます 鎌倉時代の北条と
小田原の北条 因果関係は不明 伊豆に攻め入る これが下剋上 
戦国時代の初めになる 堀越公方は消滅 茶々丸も甲斐で自害

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北条時政墓がある 願成就院
この道が 頼朝 政子の散歩道になっていました

蛭ヶ小島と北条屋敷は 多分 一時間もあれば 頼朝 政子は逢引出来ます

久しぶりに伊豆に 伊豆縦貫自動車道が出来ていて便利になりました


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