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2017.05.10

ヒュースケン 清河八郎 傳通院

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アメリカ大使館員 ハリス 秘書兼通訳 ヒュースケン襲撃場所
清河八郎 暗殺場所を見に 麻布 古川に架かる 中ノ橋 一ノ橋に

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大江戸線 赤羽橋駅に 東京タワーが目の前に 以前 息子の婚約者
の両親と初顔合わせで 東京タワーの下 東京 芝 とうふ屋うかい
に 凄く緊張した記憶が

東京タワー左側に 飯倉公園が

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飯倉公園 幕末に赤羽接遇所(外国人旅宿)ありました 公園には
碑もありませんでした
旅館は 1859年8月に普請 1861年1月14日ヒュースケンは接遇所から 
麻布 善福寺アメリカ大使館が設置に帰る途中 薩摩藩士に 
中ノ橋で襲撃される 

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古川 赤羽橋の次の橋 中ノ橋 攘夷派 浪士組に襲われ ヒュースケン
が死亡 享年28歳 墓は アメリカ大使館が設置されていた 善福寺は
土葬が出来ないので 近くの光林寺に埋葬 伊豆下田で秘書兼通訳と
して採用され その後江戸に移動

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初代アメリカ大使館が設置された 善福寺 後ろには奇妙な高層マンション
が 麻布十番商店街を南に下った場所にあります

初代大使 タウンゼント ハリス 最初は伊豆下田 玉泉寺に領事館
構える 

幕末 幕府は日米和親条約に次いで ハリス 下田から麻布に移り
日米通商条約を締結 条約締結中心人物 大老 井伊直弼が水戸藩士に
暗殺された1860年3月 桜田門外の変が条約締結が原因の一つ
タウンゼント ハリス 生涯独身でタフネゴシエーターとの印象

幕末の外国人襲撃・殺害事件は港区で攘夷の事件が頻発
長州藩 高杉晋作一派により 品川 御殿山の英国公使館を放火
しています

偶発的ですが 横浜 生麦で薩摩藩士による事件が発生しています

その最たる攘夷事件 下関戦争 考明天皇の強い要望で 将軍家茂
1863年6月25日をもって攘夷を実行 長州藩は下関海峡を通過する
外国船に砲撃 その後 イギリス オランダ フランス アメリカに
より 下関 砲台を攻撃 壊滅的被害を受ける 四国の損害賠償は
長州は攘夷の実行しただけと 賠償は幕府が支払う

この様な関係で 現在 港区に各国の大使館が多いのかな

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中ノ橋より麻布十番側に 一ノ橋 1863年4月13日 浪士隊 佐々木只三郎
6名で 一ノ橋で清河八郎が暗殺されました
 
佐々木只三郎は四年後 京都河原町 近江屋で 坂本龍馬 中岡慎太郎が
暗殺された 首謀者とされています

4月13日風邪気味の清河八郎は一ノ橋 松平山城守藩邸に友人金子与三郎
を訪ねました 飲んだ後 一ノ橋を渡った所で 呼び止められる
浪士隊により暗殺される 清河八郎 千葉周作 玄武館で免許皆伝の使い手
でしたが討たれました 享年34歳

同志 石坂周造が駆け付け 放置されていた 清河の遺体から首を討ち取り
又 同志500人の連判状を持ち帰る

首は山岡鉄太郎の家で砂糖漬けされ その後小石川傳通院に埋葬されました

私的には 清河八郎は策士とのイメージがあります

1863年 将軍 徳川家茂 上洛の警備の為に 浪士隊を創る事を 幕臣
松平主税之介に提案 採用 浪士隊234名が 江戸から京都 壬生に中山道
で行く この時 浪士隊にはその後 新撰組になる 近藤等 土方歳三
芹沢鴨が参加 京都 壬生 新徳寺で 清河八郎は突然 尊王の建白書
提出 演説では浪士隊全員の前で 目的は 再び江戸に戻り 尊王攘夷を
実行すると 驚いた幕府は浪士隊 200名を江戸に呼び戻す
その後 新撰組になるメンバーは京都に残る

怒った幕府は 江戸に戻った 清河の暗殺を浪士隊に命ずる

清河 山形 庄内地方出身 出羽山近くだと思います 良く鶴岡には
出張で行きました 

清河八郎 庄内藩士ではありませんが 倒幕の引き金になった
東京都港区芝 薩摩上屋敷焼き討ちを実施したのが 庄内藩でした

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東京ドーム近く 傳通院 徳川家康の母 於大の方 菩提寺
又 浪士隊結成の地で 清河八郎夫婦の墓があります

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傳通院 墓地

於大の方の墓 巨大です 後 境内には 大阪夏の陣で 大阪城より
助け出された 豊臣秀頼 正室 二代将軍 徳川秀忠長女 千姫の墓
三代将軍 徳川家光 正室 孝子の墓 先日 日光輪王寺 家光墓
見ましたが 夫婦で別々です 
増上寺で将軍墓を見ましたが 14代将軍 家茂と皇女和宮はそれぞれ
同じ場所に墓がありました

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清河八郎 妻 お連の墓 お連さん 山形県鶴岡で生まれ
10歳で養女に出され 17歳で遊郭に 庄内 湯田川温泉 この時の客 
八郎が見そめる

江戸に移り住むが 町人無礼斬りで捕まり投獄その後 病死

真ん中が 清河八郎の墓 左側が妻 お連の墓


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