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2017.06.30

司馬遼太郎展に

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司馬遼太郎さん 没後20年享年72歳 記念して そごう横浜 そごう美術館
で 6月2日~7月9日まで 司馬遼太郎展が開催されています

普段 最近横浜に行く事もなく そごうも久しぶりです

展示内容は 戦国 幕末 近世に分かれ 司馬遼太郎さんの小説作品
をもとに 歴史的資料を展示しています

平安時代ー空海の風景 空海
室町時代ー箱根の坂 北条早雲 
安土桃山時代ー国盗り物語 斎藤道三 織田信長 明智光秀
ー 関ケ原 島左近 石田三成 徳川家康
ー 城塞 大坂冬の陣、夏の陣
ー 功名が辻 山内一豊
江戸時代ー菜の花の沖 高田屋嘉兵衛
幕末ー竜馬がゆく 坂本竜馬 中岡慎太郎
ー 燃えよ剣 土方歳三
ー  河井継之助
ー 世に棲む日日 吉田松陰、高杉晋作
ー 花神 大村益次郎
近世ー翔ぶが如く 西郷隆盛、大久保利通
ー 坂の上の雲 秋山好古、真之兄弟

会場内で小説を元に展示された 小説です
やはり南北朝時代の小説は書かず 何か思いがあったのか
会場は シニアの方が多かった

過去に 大阪の司馬遼太郎さんの自宅が記念館になっており
訪れました 記念館は吹き抜けの本箱に膨大な本がありました

歴史に関して博学で 歴史が大好きだったんだと思います
司馬さんにとって 日本とはなんだったのでしょうか?

8月26日 映画 原作 司馬遼太郎 関ケ原 が公開予定しています

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久しぶりに 駅に 駅前のショッピングセンター工事が進んでいました
駅には 秋にオープンのポスターが張られていました

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何年ぶりでしょーか 横浜西口 大勝軒
時々 田園都市線 つきみ野駅近くの大勝軒にいくのですが
最近 大勝軒の味がでていません 横浜西口は昔の東池袋が味わえる

麺の量は 小にしました 満足


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2017.06.26

岡山城 三原城 広島城 呉に

数奇な運命の城 岡山城 三原城 広島城に ついでに呉にも

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岡山城 後楽園の隣 後楽園は江戸時代 4代藩主池田綱政が造営

岡山城は豊臣五大老の一人 宇喜多秀家が築城 関ケ原の戦いで
敗れ 西軍では一番戦った感じですが 敗戦後逃亡 鹿児島で捕まり
八丈島に島流し その後 死亡するまで49年間 八丈島に ある時
関ケ原の戦いで 勝者になった 福島正則 その後 広島城主に 
八丈近くで 広島藩の船 遭難 その時 宇喜多に酒を送った 
広島なので 西条産の酒か?

その後 岡山城は関が原で裏切った 小早川秀秋が城主に 二年後
急死 嗣子がなく小早川家は断絶 数奇な運命

その後 江戸時代は池田氏の城に 現在の城は 壁が黒 明らかに
豊臣の城 城内の展示物も宇喜多家のものが多かった様な気がします

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岡山城 天守から岡山後楽園 昔行った記憶が 今回パスします

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山陽新幹線 各停で三原駅に 途中福山駅で 快速の通過待ち
ホームから隣に 福山城が 第7代藩主 阿部正弘 幕末老中
黒船の問題時 活躍 享年39歳で死亡 長生きしていれば幕末も
変わったかも

次の駅が 三原城 小早川隆景が 瀬戸内水軍の把握の為に
島を繋ぎ 築城 近くは三原港 城址は 三原駅の隣

小早川隆景 毛利三本の矢で有名な 毛利三兄弟の三男
長男は 隆元は毛利家 当主 但し 享年41歳で死亡 当主は 嫡男
輝元が広島城を築城 両川 それぞれ養子に 次男 吉川元春の三男
は山口 錦帯橋近くに 岩国城を築城 その後1国1城制度で廃城に

毛利三男 小早川隆景は 三原城を築城 村上水軍を傘下にいれ
水軍を指揮 信長の石山本願寺攻めでは 第一次木津川口海戦で
勝利 寺に食料を運び入れてます 豊臣秀吉の高松城の戦いでは
本能寺の変で信長が死亡 秀吉は和解を計画 その後中国大返しで
天王山で明智光秀との戦いで 勝利 天下を取る足がかりに

毛利輝元 吉川元春 小早川隆景は高松城攻めの援軍で来ていた時本能寺の変
和睦の時は信長の死亡は知らず その後 事実を知り 吉川元春は秀吉
を攻める事を進言 小早川隆景は今後の 毛利の事を考え 秀吉攻めの
中止を決める そのことが 秀吉に評価され その後の出世に 
この後 三原城を築城

豊臣政権下に 長曾我部の四国攻めに参戦 勝利後 伊予に領地を
又 島津の九州攻めにも参戦 勝利後 筑前 築後 肥後を与えられる

隆景は側室持たなかったので 世継ぎが無く 秀吉の義理の甥 小早川秀秋
を養子にもらう それが関ケ原の戦いで 西軍を裏切り 勝利後 岡山城主
になるのは 不思議な縁 三原城は 駅に隣接して石垣のみ 面影ありません
でした

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広島城 築城は前にも書いたとおり 1589年 毛利輝元が築城 関ケ原の戦い
が 1600年なので10年ぐらい前に築城 豊臣五大老の一人 関ケ原では西軍の
総大将に 実際は関ケ原に行かず 大阪城で指揮 結果的には 西軍の負け
関ケ原では 毛利広家が家康と毛利家存続 密約で 南宮山 西軍の動きを
止める 敗戦後は 輝元は周防 長門の二か国に 萩に築城
この時の恨みが 幕末 長州藩が倒幕する原因

その広島城に入城したのは 元豊臣政権下で 秀吉に仕えた 福島正則
一変 関ケ原の戦いでは 徳川 東軍ので参加 戦後は広島城に入城
徳川は 加藤清正を含め 元豊臣の一掃を考えており 1619年 洪水による
修復は武家諸法度に違反と難癖をつけ 福島は信州に改易される

その後は 紀州から御三家の一つ 徳川頼宣が和歌山城入城
玉つきで 浅野長晟が広島城に その後 浅野家が城主となる

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広島城内 大本営跡 日清戦争時 前線に移動時 鉄道 船舶に便利
なので 1894年 9月15日~1895年5月30日まで明治天皇 滞在 終戦後 
日清講和条約 下関にて締結の指揮

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翌日 広島駅より呉線で 呉駅に通勤時間帯でしたが 各停 途中で乗り換え
時間調整で5分の停車 1時間かかりました
途中海岸線から江田島が 坂の上の雲で秋山真之が通った 海軍兵学校のある
島が見えます

呉駅からバスで音戸ノ瀬戸に 途中は造船所 製鉄所で工業地帯の中を
走ります 本州と倉橋島の間の海峡 平清盛が一日で切り開いたとの伝説
がある場所 宮島は船で行くとすぐ近くです

201706257

呉駅前 大和ミュージアムに 1/10の大和が展示されています

ハワイ 真珠湾のミズーリーの様に本物ではないが 造船された
場所なので感慨深い

昭和12年に呉海軍工廠で秘密裏に建造開始 昭和15年に進水
昭和20年に 沖縄 特攻作戦で呉から向かう途中 鹿児島沖で米艦載機
により攻撃を受け沈没

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館内より港側 左のクレーンがある場所 古いドックが大和が造船
された場所 山側に家があるが 戦時中は見る事ができなかった
のでしょうか 長崎で 姉妹船 戦艦武蔵 造船時 小説では
海側の窓の閉められたと書いていたが?

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大和ミュージアムの隣 鉄のくじら館 現役引退した 実物の潜水艦
が展示 海上自衛隊の資料が無料で見れます 潜水艦の中も見学出来ます

横須賀より 多くの護衛艦 潜水艦が港では見れます

帰りは 呉駅から広島空港のリムジンバスがあり 広島駅経由より
半分の時間で空港まで行けました

デジカメ 最近 画質が悪い レタッチソフトで修正しても悪い
パナソニック UMIX 出かけた時 何度か落下

カメラ キャノンのPower Shot SX620 HS購入 カメラのキタムラ
で 価格コムの最安値より安かった

画質は満足


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2017.06.13

茨城県 常陸太田市 水戸市 古河市に

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今回は 北関東 茨木県に 関東七名城の最後 太田城に
茨木県 常陸太田市 水戸市 古河市を巡りました

常陸太田市

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ますは 常陸太田市立太田小学校内にある 太田城(舞鶴城)の碑
佐竹氏 東日本大震災 2011年3月11日後二週間後に 秋田に出張 秋田駅前
のホテル 震災後の余震で怖い思い出が 翌日 時間があるので 近くの
久保田城に 初めて 秋田が佐竹義宣の改易後の場所を知りました
関ケ原の戦い前 伏見で家康の疑惑を受ける動き 秋田は現在 県知事は
佐竹の分家が就任しています

佐竹氏は甲斐武田氏の祖 新羅三郎の子孫 この地に佐竹氏を創設
JR水郡線 常陸太田駅から北側に若宮八幡宮が二の丸の表示 その先に
太田市立太田小学が本丸ですか 駅から登り 城址の面影がありません

201706113

近くに 西山荘が 水戸藩二代藩主 徳川光圀 水戸黄門の別名で有名ですが
隠居後 10年間住んだ場所 この先にありますが 入場料1000円でやめました

テレビのドラマ 水戸黄門の様に 日本漫遊などフィクションです
大日本史を編集 その後の水戸学に繋がります 光圀訪れたのは 茨城以外
では 江戸 銚子 藤沢 鎌倉のみ

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佐竹氏の祈願寺 佐竹寺 屋根が萱ぶき 珍しい

水戸市

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梅を見に偕楽園は何度か行きましたが 弘道館は初めてです
藩校です 最後の将軍 慶喜の謹慎の間などあり 何回従順するのか
京 伏見の戦いで敗れ 大阪城より江戸に逃れ 上野 寛永寺で謹慎

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佐竹義宣は 小田原攻めで 豊臣秀吉より54万石に1590年 常陸太田より
拠点を水戸に移す 関ケ原の戦いでは中立的な態度を取ったので徳川家康
より 出羽国(秋田)20万石転封 関ケ原の前 伏見で反石田派に石田三成 
襲われた時 助ける 西軍寄りの思想があったのでは

水戸は 家康 11男 徳川頼房が御三家の水戸徳川家に 9男 徳川義直
は 尾張藩主 10男 徳川頼宣は紀州藩主 御三家の登場

水戸城大手橋 弘道館の前 水戸城の正面です

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水戸八幡宮 久慈郡太田郷の鎮守 佐竹義宜が水戸に移った時移動

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回天神社 回天館 水戸殉難志士の墓

水戸学 この思想が幕末 水戸志士に与えた影響が大
二代水戸藩主 光圀が始めた大日本史の編纂 9代藩主 斉昭が創設した
藩校 弘道館がもとで尊王攘夷の思想が生まれる

幕末の事件 桜田門外の変 東禅寺事件 坂下門外の変 天狗党の筑波挙兵
それ以外にも 幕府が天皇の許可なく 日米修好条約に調印したことに
考明天皇が水戸藩に勅書を下賜した事件 戊午の密勅 
天皇が藩に勅書を送る事は過去になく 藩は改革派と保守門閥に分かれ藩内
分裂の危機 天狗党の事件では家族まで犠牲に

回天館どこかで見た建物 天狗党の変 福井 敦賀 松原神社に保存されていた
天狗党が閉じ込められたニシン小屋 天狗党の乱

敦賀の海岸にニシン小屋が16棟あり 天狗党の人々が50人ずつ閉じ込められ
ていました 昭和33年 港の整備で解体が そのうち1棟が水戸に移設されて
いました

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天狗党の乱に伴う元治甲子の乱で犠牲になられた方の墓

2017061110

常磐共同墓地

藤田東湖の墓 幕末 水戸学の中心的学者
吉田松陰 東北遊学時 水戸により 教えを受けています
江戸 安政の地震 水戸上屋敷で圧死しています

天狗党 首謀者 藤田小四郎は息子です
別の場所に 藤田小四郎の墓もありました

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常磐共同墓地

関鉄之助の墓 桜田門外の変の首謀者
その後 水戸で拘束 江戸小伝馬町で斬首 回向院に 吉田松陰と
同じ 享年 39歳

2017061112

古河市

茨城県 東西に縦断して埼玉県近く 古河総合公園に
御所沼 近くに古河公方館跡の碑

室町時代 鎌倉公方関東足利氏が鎌倉より移り 戦国時代
関東の政治の中心に 古河公方は 成氏 政氏 高喜 晴氏 義氏
と5世120年間続いた 初代 成氏は永享の乱 1438年で 室町幕府6代
将軍義教と対立して敗れる 成氏 1447年 許されて鎌倉公方
になったが 補佐役 関東菅領 上杉憲忠と対立 1455年に
鎌倉から古河に移る

戦国時代は北関東 豪族 小山 宇都宮 結城 佐竹氏に支持
されるが 南関東の武士をまとめた 関東菅領上杉氏や 小田原
後北条と対立 その為に古河が政争の中心となり 最後の古河公方
義氏が 1582年亡くなり 古河公方は終わる

あまり痕跡は残っていませんでした

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2017.06.04

J2 久しぶりに 横浜FC 17節見に行く

201706051

昨日 横浜FC 試合見に 4年半ぶりに三ツ沢に
2012年11月19日 プレーオフ 初戦 対 ジェフユナイテッド市原
千葉戦 見事に負け J1昇格無くなりました

先日J2 順位表見ていたら14節で 首位 その後に2連敗で
現在4位

久しぶりで スターティングメンバーで覚えているのは
10 MF 寺田紳一選手 39 FW 大久保哲哉選手のみ

最近は 横浜FCシーガルス応援で時々 三ツ沢に応援
に行くのですが 試合は昼間 ナイターなど久しぶり
家では夜9時頃就寝なので つらい

横浜FCシーガルス なでしこ2部 第10節で三連敗
順位も 順位も8位に後退 能代谷 恵 監督 体調不良で辞任
当面は コーチが指揮をとるようです 11節は8月20日から

本日の横浜FC 17節 レノファ山口FC戦です

201706052

対戦相手 レノファ山口FC 8 MF 小野瀬 康介選手
何故か今季から山口に移籍 2006年 - 2008年 横浜FCジュニアユース
2009年 - 2011年 横浜FCユース  2012年から横浜FCに 唯一生え抜き
選手 期待していました 横浜FC 応援団よりやじ 寂しい

201706053

試合は 前半 FW イバ選手のPKで得点 後半無失点で
1-0で勝利 順位は2位に昇格

J2 22チーム J1 18チーム J3 20チーム いつの間にか
凄い数のチームになっている


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