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2017.10.26

鎌倉 太平記 見に行く

先日 後醍醐天皇と足利尊氏との戦い 太平記の場所
鳥取に 船上山 後鳥羽上皇 後醍醐天皇が壱岐に流された
港 美保関に結局 壱岐諸島には行きませんでしたが

舞台になった場所 福島から福岡まで行きました
この後 太平記 歴史的場所に行くのは止めました

近場で 再度 鎌倉に 色々な場所があります
神奈川では足柄峠 近くで 新田義貞兄弟と
足利尊氏兄弟が戦った 箱根 竹ノ下の戦いがありました

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① 葛原ヶ岡神社内 日野俊基 最後の場所 ② 日野俊基の墓
③ 護良親王閉じ込められた土牢 ④ 護良親王の墓
⑤ 洲崎古戦場 ⑥ 化粧坂切通し ⑦ 稲村ケ崎
⑧ 極楽坂切通し ⑨ 北条高時腹切りやぐら
⑩ 御霊神社

鎌倉 太平記 年表

1316年 北条高時 14代執権に
1324年 日野俊基 正中の変にて逮捕
1331年 倒幕計画失敗 元弘の変 楠木正成 河内赤坂城で挙兵
    後醍醐天皇 壱岐に流刑
1332年 日野俊基 鎌倉 葛原ヶ岡神社付近で処刑
    後醍醐天皇第三皇子 護良親王 吉野で挙兵
1333年 後醍醐天皇 壱岐より脱出 諸国に倒幕の決起を
    呼びかける
    新田義貞 上野国で挙兵 武蔵分倍河原で北条軍
を破る
新田義貞 鎌倉攻略 北条高時自害 31歳
    建武の新政 後醍醐天皇 天皇が自ら行う政治
1334年 京都で足利尊氏暗殺計画で露見し護良親王 鎌倉に
    送られる
1335年 北条高時 遺児 北条時行 足利尊氏 弟 直義を
    鎌倉にて破る 
足利尊氏 兄弟 箱根 竹ノ下の戦いで 
新田兄弟軍 破る
北条時行 鎌倉乱入の混乱で 足利直義 護良親王を
殺害
1336年 足利尊氏 福岡に逃亡 その後盛り返し 兵庫県湊川
    で 楠木正成 敗北 自害
1337年 後醍醐天皇 吉野で南朝を開き 南北朝に分裂
1338年 新田義貞 斯波高経と越前藤島で戦い 敗死 38歳
    北朝 足利尊氏 室町幕府征夷大将軍となる

1336年 足利尊氏 敗北 原因は 北畠顕家が陸奥下向 霊山より
    攻め上がり これが原因で 尊氏 九州に逃れる

太平記の場所を見る為に鎌倉 源氏山に 麓は寿福寺 頼朝 正室
北条政子 鎌倉幕府第3代征夷大将軍 源実朝の墓があります 
頼朝の父 京都で保元の乱で 平清正に敗れ関東に逃げる途中 
中部 知多半島で家臣の裏切りにより殺害される
のですが 逃げ延びるさきが 寿福寺ではないかと?
源氏山には頼朝の銅像があります

源氏山には 北鎌倉駅より大仏ハイキング コースで行くのですが
今日は スクーターで 銭洗弁天は車が通る道があった記憶 鎌倉駅
西口付近より銭洗弁天に道は狭く 車では厳しいかな
無事 源氏山公園まで行けました 近くに葛原ヶ岡神社が 

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葛原ヶ岡神社内 後醍醐天皇による北条倒幕計画で六波羅探訪に
より露見 計画の罪をかぶり 日野資朝 日野俊基は鎌倉に送られ
日野資朝はその後 佐渡島に流刑 その後殺害される
日野俊基はその後 葛原ヶ岡神社付近で処刑 
神社内には 俊基終焉の地の石がありました

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神社近く 日野俊基の墓

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1333年 新田義貞 足利尊氏 同じ 源氏が祖 新田義貞が群馬県
新田荘 生品神社で倒幕の挙兵 鎌倉に 同じく京都に在住していた
足利尊氏は 京都府
亀岡市 篠村八幡宮で 六波羅探訪を攻める為に
挙兵

自宅近くにも 鎌倉道があります 各地にあり鎌倉詣での為に
出来た道です この道の先に 大船駅があり ひょっとして 新田軍
通ったのかな?

鎌倉攻めでは 足利尊氏 子 二代将軍 義詮 千寿王が参加 
わざとらしい源氏の家筋では 新田家 足利家では 足利家が
位が高い

湘南モノレール 湘南深沢駅から大船駅よりに 洲崎古戦場の碑
左側が 鎌倉方面です
分倍河原の戦いで敗れた 北条軍 鎌倉にもどり この地で
立て直す 北条軍 赤橋守時と新田軍 堀口貞光軍が激突
6万ちかくあった 幕府軍が300人位になる

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鎌倉 中心部 大倉幕府? 鶴岡八幡宮の隣 に入るは
鎌倉7口 切通しを通らなくてはいけないのですが 八幡宮
近く 巨福呂口は突破できず 源氏山公園近くの化粧坂口も
突破できず 激戦に

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幕府内突入方法を 海側 由比ガ浜と七里ガ浜の間にある
稲村ケ崎に変更 伝説では新田義貞が 黄金の太刀を投げ入れると
潮が引き 由比ガ浜方面に新田軍が通過出来た あくまでも
伝説です

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江ノ電 極楽寺駅近く 極楽寺坂切通しより 激戦でしたが
幕府内に侵入が出来た 中心部に攻め込む

以前 極楽寺坂の碑を見ている時 若い人が来て 移動して下さい
との話 何を言っているか不明で スタイルの良い人が坂から
降りて来ました 綾瀬はるかさんでした カメラは見えず
多分 アジサイで有名な 成就院から遠望で撮影していたか
後で調べると 映画 海街diary の撮影でした

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鶴岡八幡宮近く 宝戒寺 奥 東勝寺跡 北条高時腹切りやぐら
鎌倉に新田軍が侵入すると 14代執権 北条高時 一族が
菩提寺 東勝寺に退き 自害 享年 31歳 鎌倉幕府消滅

太平記はその後舞台は 京都に移り 1333年~1338年 
室町幕府が出来るまで 戦いが続く

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鶴岡八幡宮から金沢街道 途中に鎌倉宮

明治2年 明治天皇により護良親王を祭る神社を造営
土牢があった場所に 本殿を造営

1334年 京都で足利尊氏暗殺計画で露見し護良親王 鎌倉に
    送られ 本殿後方にある 土牢に9か月 幽閉

1335年 北条高時 遺児 北条時行 足利尊氏 弟 直義を
    鎌倉にて破る その混乱の中 直義の命で殺害される

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鎌倉宮近く 護良親王の墓 階段が凄い

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番外 御霊神社に 極楽坂から長谷方面に 途中 京都らしい
力餅家を曲がり 江ノ電の踏切の先にありました

最近 初詣 混雑が嫌で 近場の 中田 御霊神社に
一度 総本山 鎌倉 御霊神社に 鎌倉権五郎景政を祭る

東北 平泉 藤原家が出来るきっかけ 源義家が平定した
後三年の役に 鎌倉権五郎景政 17歳で参戦


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2017.10.20

島根 富田城 三保 鳥取 船上山 鳥取城

島根 鳥取に行って来ました

目的は 尼子氏再興 尼子勝久 中山鹿介の城
月山 富田城 後醍醐天皇 鎌倉幕府討伐計画が露見
過去に 承久の乱で後鳥羽上皇が 隠岐に流罪
後醍醐天皇も 先例に従い 壱岐に流罪 後鳥羽上皇は
壱岐で死亡 不屈の後醍醐天皇は 壱岐を抜け出し
名和長年の助けで 壱岐島を抜け出し 船上山にたてこもり
北条軍に挙兵 打ち破り その後は 太平記の世界
足利尊氏が 京都 六波羅探題を攻撃 東国では 新田義貞
が 鎌倉幕府を攻撃 鎌倉幕府を崩壊させる

鳥取城に 江戸時代は 備前岡山城の分家 池田氏の城
戦国時代は 羽柴秀吉の中国攻めになった城 秀吉 播磨
三木城で兵糧攻め落城後は 秀吉 鳥取城を攻撃
毛利家の家臣 吉川経家を城主に迎え 三木城以上の徹底的な
兵糧攻めを実施 経家は 自決と引き換えに開城

秀吉 兵糧攻め 水攻め 大返し何度か実施しています

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① 月山 富田城址 
② 後鳥羽上皇 後醍醐天皇 壱岐に流罪 汐待の寺 仏谷寺
③ 後醍醐天皇 壱岐を脱出後 上陸した 腰掛岩
④ 名和氏と北条軍が戦った 船上山
⑤ 鳥取城址

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以前 夫婦で 島根に 足立美術館 松江城 出雲神社に皆生温泉
に泊まり 今回 月山富田城 足立美術館で看板見ました 訪れると
すぐ近くでした 尼子氏の歴代の城 毛利に敗れ 尼子が没落
お家再興で 悲運の武将 中山鹿介が有名です
晴久が最後の守護 毛利に滅ぼせられました

月山富田城奪還を目指す 中山鹿介に擁立され尼子勝久は 中国攻め
を目指す 秀吉に援軍を求めるが 信長が秀吉に三木城の攻撃を優先
させ 援助は中止 中山鹿介は捕虜になるが 毛利に移送中に殺害
される

山城甘く見ていました 山全体が富田城址 麓には中山屋敷も
頂上は本丸 後のことを考え 登るのを中止

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中山鹿介の像 富田城 麓

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鳥取県側 境港 島根県側  美保関 境水道を結ぶ
境水道大橋 

壱岐諸島に行こうと思いましたが 美保関側から 高速船で3時間
フェリーで4時間 行くのを諦めました

今回で 鎌倉幕府崩壊から室町幕府誕生 皇室の南北朝分裂
この様なストーリーを描いた 太平記

北は福島県から福岡県まで 訪れました 壱岐はいけませんでしたが

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後鳥羽上皇 北条氏を倒すべき 挙兵 その後敗れ 1221年に
壱岐に流刑 1332年 後醍醐天皇 鎌倉幕府に反逆し壱岐に流刑
京都から此処まで来て 壱岐に 上皇と天皇は流された島は
違うようです 出発まで潮待ちした 寺 仏谷寺

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美保関漁港 多分此処から 上皇 天皇は壱岐に

以前泊った 皆生温泉から 美保湾沿いに 漁火が見え 島が見え
あの付近から 後醍醐天皇 壱岐に流されたかなと感傷的に
此処から 複雑な 室町幕府誕生の 太平記が始まるのです

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1333年 流罪一年後 名和一族を頼って 壱岐より脱出
山陰線 名和駅 大山町役場近くの漁港に上陸 後醍醐天皇
腰掛岩 名和長年などが出迎えたのでしょうか?
凄い精神力です

最後は 京都に戻れず 北側 京都を向いた 
吉野の後醍醐天皇陵

残念ながら 後鳥羽上皇は京都に戻れず 壱岐で死亡

似たような話 ナポレオンは二度島流しになっています
最初は地元近くの エルバ島 脱出し復活 二度目は
アフリカ セントヘレナ島 二度と脱出出来ませんでした

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名和神社 名和駅近く 名和長年を初め 一族42名をまつる神社
後醍醐天皇を 船上山に迎え鎌倉幕府軍を破る
鳥居の先は 壱岐島を向いているそうです

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日本海から 大山方面 途中に 後醍醐天皇を船上山迎えた
凄く奇妙な山 まるで南米のミニ ギアナ高地風の山
良くこの様な場所見つけたな 名和一族 その後の 楠木正成の
戦い 千早城より 防御は良い

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此処でも 登山は中止 頂上には 船上神社 後醍醐天皇上宮跡
があります 登山口から 往復で三時間位かかるようです

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往路は 米子鬼太郎空港 米子は 退職前多分 10回以上宿泊して
います 泊りは何時も ANAクラウンプラザ 米子でした
隣には 米子城址があり 部屋からもライトアップされた城址が
良く見えます

米子城 築城は 応仁の乱後滅亡した 山名氏?
改築は 毛利三本の矢の一つ 吉川広家 城址のみ残っていますが
不明です

吉川経家像 鳥取城 秀吉による食料攻めにあい 開城を条件に
自害した 経家像

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鳥取県庁裏 久松山に本丸 戦国時代は 天正9年 織田信長の
中国攻めで 羽柴秀吉による 鳥取城攻め 以前 大正6年から8年
兵庫県三木市 三木城で食料攻め 城主 別所長治は 家来の開放
を条件で自害 同じ様な方法 地元の米を買い占め 鳥取城側が
毛利家臣 岩見吉川 城主 吉川経安 嫡男 吉川経家を向える
やはり 三木城と同じ様に食料攻め 経家が自害で 鳥取城を秀吉
勝利 その後 秀吉は 備中高松城 水責めに 途中 明智光秀
が 本能寺の変が起こり 信長は自害

江戸時代は 池田の城

久松山 263M 頂上が 鳥取城の本丸

本丸まで行きましたが 途中棄権 今回 山城 富田城 船上山
全て棄権 歳と共に 山城がきつい

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鳥取城より 鳥取駅方向の風景 下の洋風の建物は 明治40年
皇太子 後の大正天皇の山陰行啓で 藩主 池田仲博が命じ
宿泊場所として建設 仁風閣

鳥取は 資格の関係で訪れたのは何十年ぶり 米子より少し都会
但し 米子では使えた JR系 ICカード 鳥取は 福井と同様に
使えませんでした すなば珈琲がありスターバックスも
駅の隅にありました

復路は 鳥取砂漠コナン空港から羽田に 時間があるので
山陰線で 1時間に1本 鳥取大学前駅まで 空港まで歩いて 20分
鳥取駅から二つ目次の駅で 電車待ちで6分停車 やはり地方は車で
ないと移動が困難


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2017.10.13

上野 東京国立博物館 運慶展

今月再び 上野に来ました

先日 歳のせいか 9時前に眠ってしまいます
午前 3時頃 起きてしまい 暇なので 録画した
BSテレビ番組 仏像ミステリー 運慶とは何者かを
見て 現在 東京国立博物館で開催中 運慶展
見に行きました

最近 民間所蔵の レオナルド・ダ・ヴィンチの絵が
オークションのかけられる凄い高額になる予定
レオナルド・ダ・ヴィンチの絵は 20点位しか存在しません
ルーブルとフィレンチェで見ましたが 国宝です

今回 運慶 存在も不明な部分があり 実在の仏像も31体
しかありません 今回そのうち 22体が展示されます

無知な私は 運慶の仏像は 東大寺 南大門の金剛力士像
しか思いあたりません

201710131

上野恩賜公園 正面が 東京国立博物館 噴水かあるあたり
江戸時代 徳川家の菩提寺 寛永寺 根本中堂が建っていました
本当に広大です 寛永寺は現在 芸大の奥にひっそり残って
います

201710132

東京国立博物館 平成館に 此処は以前来ました 兵馬俑展に
そんなに混でいませんでしたが 奥さんが以前 阿修羅像展に
来た時は 入場制限で大混雑だったそうです

阿修羅像は 奈良 興福寺は訪れ 感動しました
今回も 運慶 藤原氏の氏寺 興福寺の仏師なので 
多く出展されています

入場者 ほとんどがシニアです 日本人口比でいけば
26%以上が65歳以上 私も含め 年金生活で 平日に来るのですね

201710133

運慶は仏師集団なので 弟子 子供の作品も展示されています
仏像に 義眼が埋め込まれ本当の人間のようです

平重衛の平氏軍が反抗的な 東大寺 興福寺を焼き討ち
再建の為に 運慶集団が再建

東大寺の焼き討ちはその後 戦国時代 松永久秀により実施
されています 大仏以外残ったのかな

運慶の作品 各地にあり 高野山 金剛峯寺 八代童子立像
は阿修羅像と似てる

静岡 伊豆 韮崎 願成就院 北条政子の父親 時政の墓が
あるのですが 二度ほど訪れました 時政の依頼で 運慶の
作品が二点 出展されていました
神奈川には 鎌倉幕府の依頼で何点か展示されていました

凄く良かった 良い展示でした

その後 上野 立ち飲み屋 今回は 肉の大山
大統領大箱の立ち飲み屋ですが 昼間から満員です
カドクラで飲んで 自宅に

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2017.10.01

浅草 池波正太郎記念文庫に

BSジャパンで放送!「火曜ドラマ 池波正太郎時代劇 光と影」
10月3日(火)スタートするそうです

改めて 調べてみると 時代小説と歴史小説は違うようです

時代小説 過去の時代 人物 出来事を元に小説にしたもの
フィクションです
歴史小説 事実を元にした小説 ノン フィクションです
私的には 歴史小説が大好きです

池波正太郎さんの小説 両方執筆しています

特に 二代目中村吉右衛門でテレビにもなった 鬼平犯科帳は有名です

201710011

まずは 地下鉄浅草駅に 現在 雷門工事中 ちかくまでまで
行き ネット絵は 偽物と知りました

201710012

池波正太郎さんの生誕地 東京 台東区 浅草から隅田川上流
生粋の江戸っ子です

浅草から国際通り歩き 台東区の生涯学習センターに 一階が 
図書館に その一部が 池波正太郎記念文庫

書斎も復元されています カンピー タバコもあり 一日80本
近く吸う 愛煙家
退職後タバコやめました 池波さん 享年 現在の わたくしの年齢
と同じ 

鬼平犯科帳はフィクションとは言え実際モデルがあり 火付盗賊改 
長谷川平蔵 42歳で就任 先祖は 今川義元に仕える
その後 父親は 火付盗賊改に 平蔵も紆余曲折あり火付盗賊改

江戸時代中期 1787年 浅間山が噴火 その後東北地方を中心に
飢饉が 天明の大飢饉に 江戸に人がなだれ込んで 江戸の治安は
最悪に平蔵過去の経験が役に立ち 犯罪の捜査に
賄賂政治を行った 老中 田沼意次 その後 寛政の改革 松平定信
が老中に 平蔵 役職を解かれ 奉行にもなれず

この様な人物を 鬼平犯科帳にした 池波正太郎さんは凄い

歴史小説も書いています 真田太平記 12巻 読みました
何故 太平記 以前 上田城に 此処にもありました 記念館

上田城 今まで城見ましたが 家康 二回も退却させた戦う城そのもの
でした

フィクションですが 鬼平犯科帳で 目明しなどと 食べた
シャモ鍋 五鉄 気になります

以前調べたのですが 京都 四条河原町 近江屋で 龍馬 中岡が
暗殺されるのですが その前に 龍馬 シャモ鍋 食べる為に 
若者に シャモを買いに行かせるのだが その店 鴨川沿いにある
のですが現在 鍋 3万円 龍馬 高価ものを食べていました

確か 東北道 羽生PA エリアが江戸の街をモデルした様な
施設 レストランで 五鉄があったと思います

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雷門近くの 池波正太郎さん 行きつけの蕎麦屋 並木藪蕎麦

201710014

池波正太郎さん グルメで有名ですが 並木藪蕎麦 雷門の近くに 
関西人として 江戸前の濃い口の出汁と思いましたが まろやか
蕎麦が上品 関東になじんだか

以前 神田須田町 神田まつや 此処も 池波正太郎がお気に入り
の店 池上さん お気に入りの カレー南蛮蕎麦いただき
ました 店は相席 皆様 池上さんスタイル つまみと
日本酒 熱燗スタイル やりすぎ

201710015

浅草から 合羽橋 キッチン製品販売店街を通り 上野に
結構な距離 最後は 最近よく来る 上野広小路口から 御徒町
線路沿い 立ち飲み有名店エリア 肉の大山 カドクラ きたおか
大統領 此処で飲んで 上野駅で 日刊ゲンダイ 購入 横浜まで
のルーティンです


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