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2017.10.20

島根 富田城 三保 鳥取 船上山 鳥取城

島根 鳥取に行って来ました

目的は 尼子氏再興 尼子勝久 中山鹿介の城
月山 富田城 後醍醐天皇 鎌倉幕府討伐計画が露見
過去に 承久の乱で後鳥羽上皇が 隠岐に流罪
後醍醐天皇も 先例に従い 壱岐に流罪 後鳥羽上皇は
壱岐で死亡 不屈の後醍醐天皇は 壱岐を抜け出し
名和長年の助けで 壱岐島を抜け出し 船上山にたてこもり
北条軍に挙兵 打ち破り その後は 太平記の世界
足利尊氏が 京都 六波羅探題を攻撃 東国では 新田義貞
が 鎌倉幕府を攻撃 鎌倉幕府を崩壊させる

鳥取城に 江戸時代は 備前岡山城の分家 池田氏の城
戦国時代は 羽柴秀吉の中国攻めになった城 秀吉 播磨
三木城で兵糧攻め落城後は 秀吉 鳥取城を攻撃
毛利家の家臣 吉川経家を城主に迎え 三木城以上の徹底的な
兵糧攻めを実施 経家は 自決と引き換えに開城

秀吉 兵糧攻め 水攻め 大返し何度か実施しています

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① 月山 富田城址 
② 後鳥羽上皇 後醍醐天皇 壱岐に流罪 汐待の寺 仏谷寺
③ 後醍醐天皇 壱岐を脱出後 上陸した 腰掛岩
④ 名和氏と北条軍が戦った 船上山
⑤ 鳥取城址

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以前 夫婦で 島根に 足立美術館 松江城 出雲神社に皆生温泉
に泊まり 今回 月山富田城 足立美術館で看板見ました 訪れると
すぐ近くでした 尼子氏の歴代の城 毛利に敗れ 尼子が没落
お家再興で 悲運の武将 中山鹿介が有名です
晴久が最後の守護 毛利に滅ぼせられました

月山富田城奪還を目指す 中山鹿介に擁立され尼子勝久は 中国攻め
を目指す 秀吉に援軍を求めるが 信長が秀吉に三木城の攻撃を優先
させ 援助は中止 中山鹿介は捕虜になるが 毛利に移送中に殺害
される

山城甘く見ていました 山全体が富田城址 麓には中山屋敷も
頂上は本丸 後のことを考え 登るのを中止

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中山鹿介の像 富田城 麓

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鳥取県側 境港 島根県側  美保関 境水道を結ぶ
境水道大橋 

壱岐諸島に行こうと思いましたが 美保関側から 高速船で3時間
フェリーで4時間 行くのを諦めました

今回で 鎌倉幕府崩壊から室町幕府誕生 皇室の南北朝分裂
この様なストーリーを描いた 太平記

北は福島県から福岡県まで 訪れました 壱岐はいけませんでしたが

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後鳥羽上皇 北条氏を倒すべき 挙兵 その後敗れ 1221年に
壱岐に流刑 1332年 後醍醐天皇 鎌倉幕府に反逆し壱岐に流刑
京都から此処まで来て 壱岐に 上皇と天皇は流された島は
違うようです 出発まで潮待ちした 寺 仏谷寺

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美保関漁港 多分此処から 上皇 天皇は壱岐に

以前泊った 皆生温泉から 美保湾沿いに 漁火が見え 島が見え
あの付近から 後醍醐天皇 壱岐に流されたかなと感傷的に
此処から 複雑な 室町幕府誕生の 太平記が始まるのです

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1333年 流罪一年後 名和一族を頼って 壱岐より脱出
山陰線 名和駅 大山町役場近くの漁港に上陸 後醍醐天皇
腰掛岩 名和長年などが出迎えたのでしょうか?
凄い精神力です

最後は 京都に戻れず 北側 京都を向いた 
吉野の後醍醐天皇陵

残念ながら 後鳥羽上皇は京都に戻れず 壱岐で死亡

似たような話 ナポレオンは二度島流しになっています
最初は地元近くの エルバ島 脱出し復活 二度目は
アフリカ セントヘレナ島 二度と脱出出来ませんでした

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名和神社 名和駅近く 名和長年を初め 一族42名をまつる神社
後醍醐天皇を 船上山に迎え鎌倉幕府軍を破る
鳥居の先は 壱岐島を向いているそうです

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日本海から 大山方面 途中に 後醍醐天皇を船上山迎えた
凄く奇妙な山 まるで南米のミニ ギアナ高地風の山
良くこの様な場所見つけたな 名和一族 その後の 楠木正成の
戦い 千早城より 防御は良い

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此処でも 登山は中止 頂上には 船上神社 後醍醐天皇上宮跡
があります 登山口から 往復で三時間位かかるようです

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往路は 米子鬼太郎空港 米子は 退職前多分 10回以上宿泊して
います 泊りは何時も ANAクラウンプラザ 米子でした
隣には 米子城址があり 部屋からもライトアップされた城址が
良く見えます

米子城 築城は 応仁の乱後滅亡した 山名氏?
改築は 毛利三本の矢の一つ 吉川広家 城址のみ残っていますが
不明です

吉川経家像 鳥取城 秀吉による食料攻めにあい 開城を条件に
自害した 経家像

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鳥取県庁裏 久松山に本丸 戦国時代は 天正9年 織田信長の
中国攻めで 羽柴秀吉による 鳥取城攻め 以前 大正6年から8年
兵庫県三木市 三木城で食料攻め 城主 別所長治は 家来の開放
を条件で自害 同じ様な方法 地元の米を買い占め 鳥取城側が
毛利家臣 岩見吉川 城主 吉川経安 嫡男 吉川経家を向える
やはり 三木城と同じ様に食料攻め 経家が自害で 鳥取城を秀吉
勝利 その後 秀吉は 備中高松城 水責めに 途中 明智光秀
が 本能寺の変が起こり 信長は自害

江戸時代は 池田の城

久松山 263M 頂上が 鳥取城の本丸

本丸まで行きましたが 途中棄権 今回 山城 富田城 船上山
全て棄権 歳と共に 山城がきつい

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鳥取城より 鳥取駅方向の風景 下の洋風の建物は 明治40年
皇太子 後の大正天皇の山陰行啓で 藩主 池田仲博が命じ
宿泊場所として建設 仁風閣

鳥取は 資格の関係で訪れたのは何十年ぶり 米子より少し都会
但し 米子では使えた JR系 ICカード 鳥取は 福井と同様に
使えませんでした すなば珈琲がありスターバックスも
駅の隅にありました

復路は 鳥取砂漠コナン空港から羽田に 時間があるので
山陰線で 1時間に1本 鳥取大学前駅まで 空港まで歩いて 20分
鳥取駅から二つ目次の駅で 電車待ちで6分停車 やはり地方は車で
ないと移動が困難


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