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2017.12.22

尾張 美濃に

名古屋転勤から戻り 20数年になりますが 過去に1-2回
名古屋に行きましたが 三河の歴史的場所訪れましたが
尾張は当時歴史的な興味なかったので 今回改めて 尾張
美濃を訪れました

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① 長久手古戦場 小牧 長久手の戦い  名古屋城
③ 大須 万松寺 ④ 豊國神社 秀吉 清正 誕生地?
⑤ 名古屋駅  清州城址 ⑦ 岩倉城址 
⑧ 聖徳寺跡 織田信長 斎藤道三 会見場所
 小牧城址 ⑩ 犬山城 ⑪ 各務原飛行場
⑫ 生駒屋敷跡 信長 側室 吉乃 実家
⑬ 県営名古屋空港 ⑭ 墨俣一夜城祉  岐阜城
⑰ 関ケ原戦い 東軍 集合場所 家康本陣 安楽寺

信長 移動ルート ②那古屋城→⑥清州城→⑨小牧城→⑯岐阜城
→安土城

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② 那古屋城址 現 名古屋城 二の丸庭園に那古屋城址の看板
信長が生まれた場所 文章には 誕生が勝幡城が有力との説
育ったのは 那古屋城です

信長 年表

201712192

③ 今川家が尾張守護の斯波義達を破り、那古屋の地を奪い
そこに城を築いたのが 織田信秀は、この今川家を尾張から
追い出し新たな戦略拠点として那古屋城を選んだのである。

1551年 信長 18歳の時 父、信秀の死により、家督を相続
葬儀が行われた 寺 大須観音で有名な 万松寺で行われる
信長が葬儀の席で父親の位牌に焼香を投げつけたのは有名で
世間では うつけものと噂される
ビルですが 寺は残っていました

名古屋時代 パソコンをwin 3.1で初め ソフト 周辺機器を
近くの アメ横ビルに買いに来ました フライトシュミレーター
のソフト 無知でマック版のソフト購入 良い勉強になりました

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⑥ 那古屋城の西側 信長 二番目の城 清州城 立派な観光城が
多分 当時は砦の様な城だと思う 1405年 尾張 遠江 越前
守護 斯波義重が築城 応仁の乱により地方大名」は没落
その後 織田大和守家 守護代 下四郡(海東、海西、愛知、
知多)を支配する 織田信友が入城 信長の身分はその下
織田弾正忠家 清州三奉行の一人

1555年 信長22歳 伯父 守山城主 織田信光が信長と共謀
城主 織田信友を殺害 清州城を奪う

その後の清州城ではいろいろな舞台に

1) 反旗を翻した二歳下の弟 信行を城内で殺害
2) 今川義元との桶狭間の戦い 此処より出陣
3) 本能寺の変後 信長の後継者選ぶための会談 清州会議
4) その後 福島正則が城主になり 関ケ原の戦い 東軍の拠点に

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⑧ 聖徳寺跡 織田信長 斎藤道三 会見場所

信長 15歳の時 美濃 岐阜城主 斎藤道三娘 正室 濃姫と
父 信秀 同盟の為に 政略結婚

その後 道三 娘婿 信長を見る為に 20歳の時
木曽川河畔 尾張側 聖徳寺で会見 会う前は相変わらず
の服装でしたが 会見の場では正装で 道三 信長の器量を見直す

道三 最後 岐阜城を嫡男 義龍に譲るが その後攻められ死亡
信長 尾張より岐阜に向かうが間に合わず 
信長 岐阜城攻めまで 長良川が横たわり 攻略には時間がかかる

正室 濃姫 信長との子供なく その後の消息不明
信長なので殺されたかな?

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⑦ 岩倉城祉

名鉄 犬山線 岩倉駅近く 名古屋6年在住で 残り1年 単身で
犬山線 3駅名古屋より 西春駅に住んでいました 懐かしい

1555年に守護代織田信友を討って清洲城を手に入れ、1556年に

丹羽、葉栗、中島、春日井の尾張上四郡を支配する 伊勢守家
岩倉城主 織田信安 清州城 守護 斯波氏を追放

信安の跡を継いだ 嫡男 信賢 浮野の戦いで敗れ 信長により
岩倉城は落城 その後 犬山城主 織田信康 敗れ落城

信長が 尾張を平定

桜で有名な 五条川が清州から流れています

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名鉄 犬山線 岩倉駅より犬山側に二つ目 布袋駅
生駒屋敷跡 元は 大和 奈良生駒山 この地で運送業で財を
三代家宗の娘 吉乃 信長に見染められ 側室に 嫡男 信忠
本能寺の変で自害 次男 信雄 徳姫 家康 嫡男 信康の妻

信長 子供が多い 正室 濃姫 側室は8人もいました

秀吉 三河 遠江に放浪後 生駒屋敷に信長に仕える機会に
此処には 蜂須賀小六 等が訪れ美濃攻略の相談に

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1563年 尾張を平定した信長 美濃攻めの為に清州より小牧に築城
パソコンソフト フライトシュミレーターで名古屋県営空港から
北側に離陸すると すぐに左下に 濃尾平野の中に 小牧山が

美濃攻め 斎藤道三の孫 斎藤龍興を攻めるのに その後4年
かかりました

小牧城 秀吉と家康の戦い 小牧 長久手の戦いでは 家康の本陣
になりました 秀吉は 犬山城に

木曽川河畔 犬山城 当時 個人所有 国宝 犬山城でしたが
到着時 午後5時 閉館 見る事が出来ませんでした 
名古屋在住時 子供が小さく 明治村 モンキーパーク リトル
ワールド 行きました もちろん 犬山城も 雰囲気が良い

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小牧 長久手の戦いで 長久手古戦場に 以前 トヨタ博物館に
自動車見に行った時 長久手古戦場があるのは知りました
又 以前 愛知 万博もこの近くで開かれました

小牧 長久手の戦いがあった場所 本能寺の変で信長 亡き後
秀吉は天下を納めつつある中 故信長の次男 信雄が家康に頼み
秀吉を討つために 連合軍で挙兵 家康は小牧山城を占拠
池田恒興が犬山城を占拠 家康と秀吉 小牧城と犬山城で対陣
野戦の強い家康を警戒して秀吉は 無用な手出しを避け膠着状態

その前の羽黒の戦いで 池田恒興 森長可が敗北 汚名挽回で
秀吉に 家康無き三河 岡崎城の攻撃を申し出る

小牧 長久手の戦い 布陣図

秀吉軍 池田 森 堀 秀次 2万人で岡崎城に この状況を知った 
家康軍 追撃 長久手で激突 秀吉軍の大敗北 秀吉初めての負戦

負けても 秀吉 織田信雄と和睦 馬鹿らしくなった家康 終戦に

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名古屋駅 太閤口 中村区 その先に 大鳥居 豊國神社
豊臣秀吉 生誕の地 碑もあります 秀吉 出生は不明だけに
信じられません 隣の常勝寺に これも 加藤清正の出生の地?

秀吉 出生が良くないので 子供の頃は記録に残っていません

201712194

信長 生誕地 那古屋城 跡地に 関ケ原の戦い以後 家康が
豊臣秀頼 大阪城包囲網として築城 久しぶりに来ました 
本丸に熊本城と同じく本丸御殿が築城されていました
時間なき為 天守閣 御殿 見学できず

天守閣 耐震性に問題あるので 河村名古屋市長が木造で建て替
えると言ってます

名古屋 三英傑祭 信長 秀吉 家康があります
信長 滋賀 安土城 秀吉 大阪城 京都 伏見城 家康 江戸城
静岡 駿府城 それで 誰も愛知には残っていません

久しぶりに名古屋の道走りました 改めて道幅は広い
栄 テレビ塔 意外と小さいな

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美濃攻略の為に 長良川 秀吉が西岸に築いた 墨俣一夜城
これも立派ですが 実際は砦の様だと思います

信長 美濃攻略 清州城からさらに美濃に近い小牧城移り 4年
斎藤家は道三が嫡男 義龍に滅ぼされ 5年で死亡 その後
龍興に移る

尾張と美濃の間には 木曽川 長良川 揖斐川の大河があり
地元に詳しい 蜂須賀小六の協力で 上流に木材を準備
木曽川 境川の水運を利用して 馬柵 櫓を三日で建設
一夜城と呼ばれる その後 稲葉山城(岐阜城)を落城させる

2017121917

関ケ原の戦いの前 家康 東軍は上杉征伐の為に 会津に
西軍が 大阪 伏見で攻撃 東軍 家康は小山で会談 方針を
西軍を攻める事に決定 東軍は 福島正則の清州城に集結 家康は
江戸城に帰り 動かず 家康は東軍の協力度を示させる為に
岐阜城攻撃を命ずる それに応え 家康 中山道 赤坂宿に
その時 家康が本陣とした 安楽寺 大垣城に布陣した 西軍と
赤坂宿 抗瀬川で交戦 西軍についた島津義弘 大垣で夜戦を
言ったが 石田三成に却下され それが 関ケ原の戦いでは
島津軍 戦わず 西軍敗戦後 的中突破で薩摩に帰る事に

意外と近い 大垣城と赤坂宿

2017121911

信長が地名 井野口から岐阜に変更 1567年 秀吉の活躍など
あり 斎藤道三の孫龍興から奪う 
道三 元々 土岐頼芸が主君であるが 稲葉山城(岐阜城)を
奪い 土岐頼芸を追放 元は 京都で油売り 謀略を駆使して
美濃を奪い取る まむしの道三と言われる 戦国時代の初めの
人物 経済的には楽市楽座(経済の自由化)を実行 この制度は
信長が受け継ぐ

道三引退 隠居 嫡男 義龍に家宅を譲る
義龍 父親が道三ではなく土岐頼芸ではないかと疑い
弟を殺害 道三に挙兵 1554年 長良川を挟んで 対峙
義龍軍 17500人 道三軍 2500人 道三討死
義龍もその後病気で死亡 享年34歳

信長 岐阜城から 楽市楽座を行い 又 天下布武を宣言し
武力による天下を目指す

信長は上洛を目指し 障害となる 琵琶湖東側の北近江 
浅井長政と信長の妹 お市を嫁に出し 同盟を結ぶ
その後 浅井 同盟の越前 朝倉義景は共に信長に滅ぼされる

金華山 高度300M以上の頂上に 岐阜城 歩いて1時間以上
以前来たときは徒歩でしたが 今回はロープウエーで

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岐阜城より 右側の小山が 斎藤道三が隠居した鷲山
長良川を挟んで 道三と義龍が対峙 道三塚 長良橋を渡り
左側に葬られています 行きましたが不明でした

岐阜より横浜 新東名で5時間 欲張りすぎ 疲れました

2017121915

各務原飛行場 現在 航空自衛隊岐阜基地 1周しましたが
滑走路は見る事が出来ませんでした 途中 航空宇宙科学博物館
川崎重工の工場があり 対潜哨戒機 P3Cオライオン後継機 P-1
輸送機 C-1の後継機 C-2を製作しています

日本では最古参の飛行場で 大正6年に開港しています

三菱重工業の工場は名古屋港 大江にあり 此処で生産された

>牛車で ゼロ戦 輸送 名犬街道本当でした

ゼロ戦 大江工場→金山→鶴舞→新栄→布池→大曽根→上飯田→
三階橋→水分橋→春日井→小牧→犬山→犬山橋→鵜沼→各務原飛行場

中島飛行機 名古屋にもあった 半田工場 知多半島 中部空港
近く 中部空港には ボーイング787 胴体 翼の部品 名古屋
で多く 製作 シアトル ボーイング工場に輸送用 ボーイング
747改造機 ドリームリフター 飛来

県営名古屋空港 三菱重工では 次期国産旅客機 MRJ開発中
開発 遅れています

ドリームリフター 台湾出張時 桃園空港 エバーグリーンの整備会社
で見ました 此処でで改造していました 実際見ると圧倒されます

愛知と言えば トヨタの車のイメージですが 飛行機も凄い

2017121916

名古屋での食べたいものと言えば 名古屋駅 ホーム 住よしの
きしめん 家族は5年私はプラス1年間の単身中 横浜まで 新幹線で帰る時 
食べていました 入場券買って きしめん 懐かしい


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