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2018.02.17

源頼朝 旗揚げ 韮山 小田原 真鶴 湯河原 熱海に

源頼朝の父 義朝 京都にて 保元の乱 天皇相続問題で
義朝 平清盛 父 為朝 分かれて戦い 為朝は敗れ
処刑される その後 平治の乱では 平清盛は義朝と対立
戦いの結果は 平清盛に敗れ 義朝は若いころ住んでいた
東国に逃げる 途中 尾張 知多半島でだまし討ちで
殺害される 頼朝は捕まり 清盛の元に送られ 伊豆
蛭ヶ小島に流罪 東国平氏の戦いに敗れるが 房州に逃げ
るが 勢いを盛り返し 鎌倉に源氏の幕府を創る

所縁の地 小田原 真鶴 湯河原 熱海に見に行きました

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① 鎌倉 ② 石橋山古戦場 ③ 真鶴半島 頼朝脱出の岩海岸
④ 湯河原駅 土肥実平の居留地 ⑤ しとどの窟 ⑥ 土肥城址
⑦ 伊豆山神社 ⑧ 秋山郷跡 ⑨ 三島大社 ⑩ 蛭ヶ小島 頼朝
流刑地 ⑪ 北条時政 屋敷 政子生誕地 ⑫ 頼朝 上陸地 安房
鋸南町竜島 

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静岡県伊豆の国市 伊豆箱根鉄道駿豆線 韮山駅 東側に蛭ヶ小島
平治の乱で敗れた 頼朝 清盛により死刑は免れ 1160年 13歳で流刑
される 流刑地の近くに 地方豪族 平氏 北条家があり 北条時政の
長女政子と知り合う 頼朝との結婚に反対し 代官 山本兼隆に政子
を嫁がせようとするが 後白河天皇の第三皇子 以仁王より命旨で
見張り役 代官 山本を襲い 1180年 挙兵 流刑生活 20年

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駿豆線 線路の反対側 北条時政の屋敷跡 政子の産湯の井戸なども近く
にあります 頼朝 流刑地 蛭ヶ小島まで歩いて1時間位の場所

時政 鎌倉幕府 創設後 初代執権になるのだが 内部分裂が原因
又 あまりにも陰謀で 雅子から 晩年 鎌倉から伊豆に隠居させられる
墓は 北条屋敷近くの 願成就院にあります

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石橋山古戦場

代官 山本兼隆を襲った後 多分 韮山峠を越え 熱海方面に
目指すのは 父 義朝の屋敷がある 鎌倉に 途中 湯河原
土肥郷に 土肥実平 三浦一族 和田義盛らが加わるが
小田原 石橋で 頼朝軍 300人に対して 平家軍 大庭景観 伊東
祐観 3000人と戦うが敗れ 山中に逃げる

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敗戦後 頼朝軍は 多分 土肥城に逃げようとしたのか不明
途中 近くにあった しとどの窟 洞窟に逃げ込む
当時 平家軍だった 梶原景時 付近に来た時 梶原が知って
いたと思うのですが この付近には頼朝はいないと発言
窮地を救った この様なリアルな状況 吾妻鏡に書かれていた
おかげ 梶原その後 源氏 鎌倉幕府に使える 
義経の活躍をよく思わず 頼朝に告げ口 御家人からは嫌われ
その後 鎌倉を追い出され 駿府で親子共々最期を遂げる

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しとどの窟近く 海抜536M 城山 土肥氏の土肥城址

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湯河原駅 土肥実平夫婦の像 この付近が 土肥氏の邸宅跡地
この北側に 土肥城が

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土肥氏 菩提寺 湯河原駅裏側 城願寺 一族の墓が
土肥氏 土肥実平 その後の源平合戦に転戦 惣追捕使として
瀬戸内海等を管理 鎌倉幕府創立後 長男 遠平と広島三原市
に移住 毛利元就の三本の矢の一つ 小早川家の創始者とは
驚きです

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頼朝軍 石橋山敗戦後 しとどの窟に隠れたり 多分 土肥氏
の誘導で 湯河原駅の隣 真鶴駅近く 真鶴半島付け根
岩海岸に 此処から 相模湾を横切り 安房 鋸南町竜島に上陸
正面の橋は真鶴道路です

その後 上総 千葉一族と合流 武蔵国では 葛西 足立 畠山重忠
河越 江戸氏などと合流 鎌倉に入り 幕府を創る

その後は義経の活躍する 木曾義仲と源平合戦となる 

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蛭ヶ小島で旗揚げ前 頼朝と政子が良く通った 伊豆山神社
神社から 熱海越しに 伊豆の山々がみえますが 三島大社も
通ったそうですが こちらは平地ですが伊豆山神社は遠いな

隣にMOA美術館が見えます 以前訪れましたが 山の中が
くり抜かれエスカレーターで上部に 立派な美術館です
境内 アベック多いな 頼朝 政子の関係でしょうか

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頼朝 政子の腰掛岩 説明文では 蛭ヶ小島に配流されていた
頼朝は当神社を崇敬しており 頼朝と政子が恋を語らった場所

これか アベックが多い原因

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熱海に来たので 久しぶりに 日帰り温泉 日航亭 大湯に
過去に お宮の松の前ある ミクラスに泊まりました
食事は フランス料理でした 窓から熱海港に入る大島からの
高速船見えました現役時 大島出張10数回泊りで行きました
なぜか大島出張 以前赴任した 沖縄を思い出しし 夜 下田の町
の光を見ると もの悲しくなります
強風があると 飛行機 高速船は欠航になり 帰りは大型船のみ
東京 竹芝 熱海港など4時間ぐらいかかります

熱海に出長から帰った場合 職場には帰らず 東海道線で藤沢駅
から自宅に帰りました 伊豆大島での生活きつい

温泉は 熱海銀座街を通りぬけ 源泉がある近く隣に湯前神社
があり 間欠泉もあります 徳川家康 熱海の湯を気に入り
本陣もあり 湯を江戸まで運び東京で 熱海の湯を楽しんで
いました

有馬 草津の様なきくような湯ではありませんが 源泉かけ流し
良い湯でした

何故日航亭 JALと関係あるのかな?

最近 古事記と日本書紀を購入 古事記は神話を書いていますが
理解しないと 日本の成り立ち理解できない様に感じます

日本書紀はこれからです

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