« 観応の擾乱を見に鎌倉に | トップページ | 東京都港区 三田 高輪 白金  »

2018.06.27

函館戦争 土方歳三 高田屋嘉兵衛 函館に

函館に 幕末 函館戦争跡見に行きました
以前 出張時 五稜郭 中島親子 土方歳三 最後の地
を見てきました 今回は 函館戦争の地 渡島半島 木古内 松前 
江差を周って来ました 函館市内 又 高田屋嘉兵衛を巡って
来ました 土方歳三 高田屋嘉兵衛も司馬遼太郎の作品にあり
燃えよ剣 菜の花の沖があります 今回 燃えよ剣の下巻
函館戦争のみ 再度 読みました

新撰組 鳥羽伏見の戦いで 新政府軍に敗れ 京都より幕府軍の
船で江戸に戻る 近藤等らは 幕府より大砲 銃 資金を受け
甲州 甲府城を確保の為に 勝沼方面に 官軍 東山道部隊と戦うが
負け 近藤 土方は千葉 流山に 地元の屋敷借り人員も集めるが
この付近も官軍に囲まれる 近藤は偽名を使い投降 近藤と見破られ
板橋で斬首される 板橋駅近くに 永倉新八が建立した碑があります
永倉 甲州から江戸に戻った時 新撰組を抜け その後結婚した
奥さんの実家 小樽に 昨年訪れました
奇遇です 永倉 代々 松前藩江戸で務めているので 北海道の
松前藩は 知らなかったと思います
新撰組 組長1~10番で明治期まで生き残ったのは
永倉新八 斎藤一 鈴木三樹三郎のみです 

流山で分かれた 土方は 幕府の歩兵頭 大鳥圭介と知り合い
宇都宮城を攻撃 城を確保 その後 会津経由で仙台に 城主
陸奥守慶邦に幕府の存続をとく 江戸城無血解放後 新政府軍は
幕府の船の引き渡しを求めるが 海軍副総裁 榎本武揚が家臣を
蝦夷地に移住させ 独立国を画策 1868年 明治元年8月19日 
旗艦 開陽丸 戦艦4隻と輸送船4隻 8隻で蝦夷地目指し 品川を
出港 8月26日 仙台に入港 元京都守護職 会津藩主 松平容保
の弟 桑名藩主 松平定敬 土方 大鳥などを乗船させ 10月9日 
宮古湾経由で蝦夷地 函館北 鷺ノ木に 10月21日に乗員 
3000人が上陸

函館戦争 木古内 松前 江差

2018062216a

 1868年明治元年10月 いか飯で有名 近くの海岸 鷲ノ木海岸
  に旧幕府軍 品川より 榎本艦隊 3000人 上陸
 
 五稜郭 上陸軍 五稜郭奪還の為に 大鳥隊は七倉 土方は湯の川
  経由で五稜郭に 10月24日 五稜郭 接収

 湯の川温泉 空港近く

 1869年明治2年 4月 新政府軍 江差北部 乙部に1500名上陸
  函館までの進軍ルート3方向より進撃 江差から北斗方面の途中
  台場山付近 函館より駆け付けた 土方軍 塹壕を掘り待ち構える
  二俣口付近で 新政府軍と戦闘に しかし他のルート 松前 木古内
  のルート突破された為 土方軍は 五稜郭に後退 国道227号走り
  ましたが 古戦場の跡は見つけられませんでした

 木古内の戦い 鷲ノ木海岸に上陸後 五稜郭を落とし その後蝦夷地
  唯一の藩 松前藩 奪還の為に 土方を隊長とした 700名で松前に
  進軍 武器の違いにより 松前藩兵は江差方面に敗走
  その後 乙部に上陸した 新政府軍と旧幕府軍 大鳥圭介が木古内で激突
  新政府軍が勝利 戦場は函館 五稜郭に移る

  木古内でも古戦場の跡 発見出来ませんでした
  北海道新幹線 東京から新函館北斗駅まで開通しているのですが
  津軽海峡沿いに 線路あるはずですが ほとんど高架は見えません
  木古内で少し高架が見えるだけでほとんどトンネルで 木古内の先
  福島町で青函トンネルで 実感ありません 将来 札幌まで延長して
  東京ー札幌 5時間を目指すそうですが 飛行機の方が便利そう
  それより JR北海道の廃線問題の方が心配です

  木古内近く 北島三郎さん生家の看板多数見かけました

 松前城 松前藩 始祖は武田で 蠣崎氏の代 1599年 大阪城で
  徳川家康に拝掲し 蠣崎から松前に改名 松前慶広に 1604年
  家康より 蝦夷地交易の独占を安堵する黒印状を受ける
  1867年にクーデターにより 松前藩は勤王派に転じ 旧幕府軍の
  襲撃に備え 北部内陸に舘城を築城
  1867年10月 五稜郭を占領した土方歳三を隊長とした旧幕府軍に
  陸 海上より攻撃を受け落城 城兵は館城に避難

 松前藩 内陸に築城した 館城 国道277から内陸で探しましたが
  見つかりませんでした

 1869年 春 旧幕府軍がたてこもる五稜郭の北部に 新政府軍の
  攻撃に備えて 突貫工事で四陵郭を建設 近くには 権現台場も
  五稜郭も新政府軍の艦船からの艦砲攻撃で被弾

 江差 日米親和条約で開港した函館港まで 江差港が最大でした
  北前船の廻船問屋が多数ありました

 江差 北部 官軍上陸の地 1869年 明治2年4月9日未明 官軍上陸
  明治元年 品川 榎本艦隊出船後 蝦夷地上陸 翌年 青森に 甲鉄
  春日 朝陽 軍艦 8隻が集結 15000人の兵で乙部に上陸

201806221

木古内の手前 サラキ岬に 咸臨丸 終焉の地の碑

オランダで製造された 軍艦 1860年 日米修好条約 批准書交換の為に
正史一行 小栗忠順 等 アメリカの軍艦で 別艦として 勝海舟 船長で
咸臨丸がサンフランシスコに 三浦半島 浦賀より 出港
咸臨丸 品川より蝦夷地に向かう 榎本艦隊に同行 銚子沖で暴風雨で漂流
下田港に漂着 その後 清水に 新政府軍に接収される 1871年 旧伊達藩の
家臣401名 北海道小樽に向かう途中 キサラ岬で遭難 大破で沈没

201806222

松前城 北海道 唯一の和式城郭 天守閣と火災から残った本丸御門
11月5日 土方歳三が率いる 旧幕府軍 700人が松前城を攻撃 津軽海峡
より 軍艦が城を艦砲射撃 数時間で落城

201806223

津軽海峡 海岸にある道の駅から松前城 凄く近い 艦砲射撃すれば
城は破壊される

201806224

江差湾 鴎島にある 復元された 榎本艦隊 旗艦 開陽丸 大きい
実物大に復元? 幕末 鳥羽伏見の戦いで 幕府軍が敗れ 大阪城にいた
最後の将軍 慶喜 秘密裡に 大阪湾から江戸 浜離宮まで逃げ帰った船
松前城 攻撃にも参戦 その後 江差に進軍 11月15日 江差沖で 座礁
他の船の助けで座礁から離脱に失敗 機関長の中島三郎助が大砲を撃ち
離脱を試みたが 失敗 数日後 沈没 この後 函館での戦いになるのだが
旗艦失ったのは 戦局に大きく影響

201806225

戦後 沈没場所 江差沖から 引き上げを開始 船内には引き上げられた
大砲 砲弾 船舶部品 3万3千点 防塩処理され 綺麗に保存されています

201806226

甲板より

函館戦争 函館市内 高田屋嘉兵衛

2018062217

 五稜郭の北部に 新政府軍の攻撃に備えて 突貫工事で四陵郭を建設 
  近くには 権現台場も

 五稜郭 日米和親条約 締結で函館港が開港 江戸幕府は松前藩に代わり
  函館奉行を設置 1857年 陵堡式 城郭を建設開始 場内には函館奉行所
  を移転 1866年には工事終了 1868年 榎本武揚率いる 旧幕府軍
蝦夷地 に上陸 五稜郭を接収 

 五稜郭~八代ヶ岡陣屋~一本木関門跡 地図 
  五稜郭 中島親子 土方歳三 最後の地

 土方歳三 最後の地 一本木関門 1859年 5月11日 新政府軍 総攻撃
  の日に戦死
  一本木関門 五稜郭~函館山の一番狭い場所に関を設置

 函館市内 激戦地 地図
  前 称名寺 新撰組 駐屯地 現 函館元町ホテル

 弁天岬台跡地 開港時 函館警備の為の 六角形の台地 
新撰組などが守備

 称名寺 土方歳三 供養塔 日野の寺 過去帳に称名寺に供養塔があると
  書かれていたが 見つからなかったので新たに設置

 高龍寺 函館戦争時 旧幕府軍の野戦病院と使われる

 碧血碑 旧幕府軍 函館戦争で死亡した 土方歳三 中島三郎助 800名
  の慰霊碑 函館山 中腹に 結構疲れました

 高田屋嘉兵衛 地図

   高田屋嘉兵衛 屋敷跡 市電通り 函館山方面に銅像があります

司馬遼太郎さん 菜の花の沖 6巻 過去に読みましたが ストーリー
よく覚えていません

兵庫 淡路島生まれ 神戸で船乗りになり 北前船で商売 蝦夷地まで航路
を広げ 函館を拠点として商売 日本海沿岸の港 北前船で繁盛 庄内
酒田に行った時は 山形なのに京風文化の料亭ありました 北前船 蝦夷地
からの積み荷は 当時大量に捕れた ニシン これが カイコ 桑 綿花
の肥料になり繁盛しました 函館中心に商売していた 高田屋嘉兵衛
蝦夷地周辺 ロシアの進出で関係が悪化 そのよう時 国後島で 軍艦
ディアナ号 船長 ゴローニンが捕らえられる その様な時 高田屋嘉兵衛
は蝦夷地 北方ルートを開拓 択捉島で 高田屋嘉兵衛はロシアにだ捕
カムチャッカに連行され 高田屋嘉兵衛はロシア語を学び ゴローニン解放
に努力 函館でゴローニンは解放される  高田屋嘉兵衛もその後解放される
高田屋は子孫が商売するが その後は没落する

 高田屋嘉兵衛 資料館 目の前は赤レンガ倉庫群
   函館港 付近には 高田屋の造船所もあったようです

   黒船 ペリー 下田港だけでなく函館港も上陸していました

201806228

路面電車 大町駅 近く 現 函館元町ホテル 明治12年の大火まで称名寺で
新撰組の屯所でした 京都でも 壬生の屯所が狭くなり 西本願寺に移りまし
た が フィクション 小説で 港近くで 旧幕府軍 最後の戦い前に土方歳三
手紙を書くシーンがあり 此処かな 手紙は 新撰組 江戸で隊員募集した時
入隊した 市村鉄之助 土方の小姓となり 手紙 佩刀 和泉守兼定 唯一
現存する 土方の写真 遺品は 市村により日野 土方歳三
の姉が嫁いだ 佐藤彦五郎 に届けられる 写真には 市村の歯形
が残っていました 遺品は 日野の土方歳三 資料館に展示されています

  元町 港町ではよくある地名ですね 横浜 神戸 函館

201806229

   路面電車 終点 函館ドック駅 終点 弁天岬台場 新撰組最後の地
旧幕府軍 戦艦はほとんどはなくなり 一本木関門で5月11日土方が戦死
5月18日 旧幕府軍 降伏 閣僚で亡くなったのは土方のみ 榎本 大鳳
などは 新政府軍に登用されています

2018062210

    称名寺 元町より移転 土方歳三の供養碑 高田屋嘉兵衛の墓がある

2018062211

   高龍寺 函館総攻撃時 旧幕府軍の野戦病院として使われる

2018062212

    碧血碑 旧幕府軍 函館戦争で死亡した方を弔う為の碑

2018062213

    高田屋嘉兵衛 邸宅跡

2018062214

    高田屋嘉兵衛 資料館

2018062215

    函館港 赤レンガ倉庫群

先日 5月26日 歴史小説家 和歌山市出身 津本揚さん 享年89歳
亡くなりました お悔み申し上げます


 

|

« 観応の擾乱を見に鎌倉に | トップページ | 東京都港区 三田 高輪 白金  »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/47003/66875142

この記事へのトラックバック一覧です: 函館戦争 土方歳三 高田屋嘉兵衛 函館に:

« 観応の擾乱を見に鎌倉に | トップページ | 東京都港区 三田 高輪 白金  »