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2018.06.10

観応の擾乱を見に鎌倉に

A20180635

① 長寿寺 足利尊氏の邸宅跡に尊氏 次男 基氏
   初代鎌倉公方により建立 鎌倉での尊氏の墓
   京都は菩提寺 等持院
② 浄妙寺 鎌倉五山 第五位 足利氏の氏寺 尊氏の父
   貞氏の墓がある 観応の擾乱の後 尊氏 弟 直義が謹慎
③ 直義の墓 伝えられてが不明 謹慎中に死亡 不明
④ 足利公方邸跡 碑 足利家 源頼朝とは北条政子の妹を妻に
   足利義康 この地に200年近く屋敷を構える 室町時代には
   鎌倉公方の御所に 足利尊氏 新田義貞共に 清和源氏が祖
   栃木 足利氏 鑁阿寺に行きましたが 住んだ感じはない
⑤ 鎌倉7口の一つ 朝比奈切り通し 
⑥ 鎌倉宮 護良親王 後醍醐天皇の皇子が祭神 明治2年 
   明治天皇の命により造営
  足利尊氏と対立 足利方に捕らえられ 鎌倉に送られ境内の
  土牢に閉じ込められが 1335年 中先代の乱 鎌倉幕府滅亡後
  北条高時の遺児 時行が 再興の為に 挙兵 鎌倉に攻め込む
  足利直義 鎌倉を逃げる時 土牢に閉じ込められた 護良親王
  を部下に命じて殺害させる この確執が尊氏との対立の原因か?
  護良親王の墓は 近くにあります
⑦ 鎌倉幕府 源 北条 大倉幕府跡 鶴岡八幡宮隣
⑧ 執権北条屋敷 現在は宝戒寺 裏側は 鎌倉幕府崩壊時
   家臣と北条高時が切腹した 東勝寺跡 高時腹切りやぐらが
   残っています 
⑨ 金沢街道 鶴岡八幡宮から朝比奈切通方面に 途中 岐れ路で
  左側は鎌倉宮 15代執権 北条定顕 金沢流北条家 地元が
  京急 金沢文庫駅付近 菩提寺は称名寺 金沢街道行けば
  金沢文庫に行けるのか?金沢文庫には日本最古の武家文庫が
  保存されています

NHK テレビ 歴史秘話 ヒストリアで観応の擾乱 武士の世を
つくった兄弟ゲンカを放送 兄弟は 足利尊氏 直義 兄弟
放送では 鎌倉 金沢街道沿い浄妙寺に 伝 足利直義の墓が
浄妙寺は二度ほど訪れましたが 兄弟の父親 貞氏の墓は
あるのは確認していましたが 観応の擾乱後 直義は浄妙寺で
謹慎 その後亡くなる 尊氏による暗殺と言われていますが

観応の擾乱 南北朝時代 1349年~1352年にわたり 室町幕府
足利政権の内乱 天皇の為に秩序なく入り乱れる

太平記 年表

年表では四部構成 1318年~1358年で 1 動乱の足音 
2 建武の新権 3 南北朝の動乱 4 観応の擾乱に分かれます

太平記では 多くの人が亡くなりました 楠木正成 新田貞義
北畠顕家 日野俊基 護良親王 後醍醐天皇

今までに 訪れた 太平記の場所

本当に太平記 ストーリーが複雑で 足利尊氏の頑張りが目立つ

福岡 多々良川の戦い 足利尊氏 菊池軍
後醍醐天皇 壱岐脱出 船上山
楠木正成 湊川の戦い
楠木正成 千早城
南朝 吉野 賀名生
北畠顕家 最後 大阪 阿倍野
京都足利尊氏邸跡 旗揚げ 篠村八幡宮 京都 亀山
京都 足利尊氏 天龍寺 等持院
京都 六波羅
新田義貞 福井
箱根 足柄 竹ノ下の戦い 
鎌倉 太平記
鎌倉 鎌倉公方と関東管領
新田義貞 鎌倉攻撃
金沢八景 称名寺
足利市 太田市 足利尊氏 新田義貞
福島 霊山 北畠顕家 

以上でラスト 太平記 今後見に行く予定はありません

太平記が好きで 全国 福岡 鳥取 神戸 堺 河内長野
吉野 京都を訪れましたが 観応の擾乱以前 鎌倉幕府滅亡
その後 後醍醐天皇と足利尊氏との争い

1336年 京都御所付近で室町幕府が出来る 此処で終わりかと
思うのですが その後の動乱 足利尊氏 直義 家臣 高師直
との争いが 1347年 楠木正成が湊川の戦いに行く時 京都
桜井で 同行していた息子 正行を郷に返す その後 河内
四条畷で高師直と戦い戦死

観応の擾乱 朝廷は 京 北朝 光明天皇 南朝
後村上天皇 吉野から賀生名に 南北朝に分裂 尊氏 義直
兄弟が対立 足利尊氏の落胤 直冬 直義の養子に 将軍 尊氏
嫡男 義詮の影響力低下を懸念して 師直は 義直の屋敷を取り囲む
やもえず 義直は謹慎 直義の謹慎のより 直冬が瀬戸内海 鞆の浦
九州で兵を募る 謹慎中の直義 京都を逃れ 大和に 北朝の義直
倒幕令が出ると 直義は南朝に降る 北朝をつくった 室町幕府
尊氏将軍の弟 直義 南朝に下る 晴天の霹靂 尊氏 師直は直冬
義直に挟まれる形で摂津打出浜戦いで直義軍に敗北 師直の出家で和議
摂津から京都に輸送中 兵庫県伊丹市せ高兄弟 一族 謀殺される

再び 足利兄弟は対立 直義は 南朝を訪れ 南朝 北朝交互に天皇
をです案を提示するが 受け入れられず決裂 尊氏は南朝の案を受いれ
朝廷と和解 直義軍は 北陸を経て兵を集める為に 鎌倉に 尊氏軍は
静岡 清水 薩堆山に陣取り 直義軍は 三嶋大社に陣取り対峙 直義軍
から 尊氏軍に寝返る兵士が多数 結局 義直が降伏義直は鎌倉 浄妙寺
で幽閉 その後死亡 享年46歳 尊氏はその後 1年鎌倉に留まり京都に
戻る 

室町幕府は三代 義満が絶頂期でその後の将軍は 権威がなくなる
13代将軍 義輝などは 家臣 松永久秀に殺害され 最後の将軍
15代 義昭など 織田信長により京都で将軍になるが あまりにもの
策略で 信長に見放され追放される

以前 空海が京都での修行場所として 東寺と神護寺ですが 神護寺おと
ずれた時 源頼朝 肖像画がありました 現在この画は足利直義では
ないかの事で教科書にも載っていないそうです
足利直義 ハンサムですね

足利尊氏 馬に乗った 肖像画 これも高師直ではないかと言われています

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鎌倉 浄妙寺 三度目です

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境内 足利尊氏 直義の父親 貞氏の墓

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貞氏の墓所よりさらに上に 伝えられる 足利直義の墓
義直はこの寺に幽閉され死亡しています

寺の方が 掘り返した所 大量の墓石が出てきたので墓と
しています

鎌倉は交通機関で行ったのは久しぶりです 以前 7-8年前
購入した 原付スクター売却 道が狭く 鎌倉はスクターが
便利ですね

今回はJR戸塚駅から鎌倉駅 帰りは 鎌倉から江ノ電で藤沢
小田急 相鉄で帰って来ました
江ノ電 平日でもラッシュアワーの様な混雑 地元の方は大変


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