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2019.05.17

横浜港 ふ頭 めぐり


4月 27日 10連休前に 横浜港に客船4隻が入港 大さん橋にダイヤモンド
プリンセス 大黒ふ頭にアザマラ・クエストとMSCスプレンディダ2隻
山下ふ頭にノルウェージャン・ジュエル 計4隻が着岸
今月 5月15日 大黒ふ頭に着岸した MSCスプレンディダが入港
137,936トン 全長/幅/高さ 333.30m/37.92m/66.80m 乗客数
3,247名 デッキ数 18層(うち乗客用デッキは14層)長さは東京タワー
と同じ タワーマンションを横倒した様な客船 高さが66.8Mでベイ
ブリッジの高さ制限で 着岸場所は 横浜港外側 大黒ふ頭限定 最近旅客
ターミナルが出来ました 以前 クイーンエリザベスのベイブリッジ通過
は煙突が橋に当たりそうでギリギリでした

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4月26 27日 横浜港に外国客船4隻 寄港場所

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 大さん橋ふ頭通常の旅客ターミナル 以前海上自衛隊 護衛艦いずも
  が公開で係留されていたので 1年前に行きました
 山下ふ頭 山下公園の隣 此処も 旅客船の着岸に使われます
  最近は 政府推進のカジノ付きリゾート(IR)の誘致場所です
   横浜港運協会の会長 ハマのドン 藤木さんが反対を打ち出し
 います 確かに横浜港にカジノいらないな
 大黒ふ頭 高速 湾岸線 ベイブリッジ 大黒PAはトイレ休憩で入り
  ましたが ベイブリッジの下が一般道路があり 山下より大黒に
 みなとみらいの対岸 瑞穂ふ頭
  一部は駐留米軍が補給基地として使用 ノースドック 相模原 横田の
   兵站基地
 ベイブリッジ
 山下公園
 みなとみらい 赤レンガ倉庫近くに 海上保安庁のふ頭があり
     過去 奄美大島沖で北朝鮮工作船と海上保安庁で銃撃戦になり
    沈没した工作船を引き上げ 工作船資料館に展示
 横浜駅

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27日 ノルウェージャン・ジュエルが着岸していた 山下ふ頭
大さん橋ふ頭 みなとみらい側 ほとんど倉庫群ですが 広大な更地?
IRの準備 疑います

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山下ふ頭 ベイブリッジ越しに 大黒ふ頭に接岸しているMSC
スプレンディダが見えます

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ベイブリッジ下国道357号線を通り 大黒ふ頭に ふ頭近くに 保税倉庫
があり 立ち入り禁止でフェンスがありMSCスプレンディダに近寄れません
全体が見える場所より 巨大 船と言うより 建物です

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MSCスプレンディダ 5月15日 横浜港に8時30分に徳島より入港 15日
19時に函館に向けて出港 日本一周しているのか 大黒ふ頭 今年4月19日
に客船ターミナルがオープン ターミナル前駐車場 見送りの車しか入れず
閑散としています 乗客は市内観光に行ったのでしょうか

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大黒ふ頭 ベイブリッジにスカイウオーク ベイブリッジ完成後見に
行きました その後閉鎖 先月より9年ぶりに再開 土日祝に無料開放
此処からは 大黒ふ頭に係留している 旅客船は良く見えると思います
臨時駐車もオープンします

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大黒ふ頭から 一般道で生麦方面に瑞穂ふ頭 大部分が米軍基地に埠頭
と倉庫が 正面がみなとみらい地区 ノースドックがあります
橋を渡り左側が ノースドック
存在を知ったのは 昨年 10月1日に横田基地に輸送機CV22オスプレイ
5機を正式配備 テレビ報道で オスプレー5機 船に積み ノースドックで
組み立て 横田基地に飛んでいきました
ノースドック離陸するオスプレー

先日 キャンプ座間 厚木基地見てきました 沖縄も米軍基地多いですが
神奈川の米軍基地も多いです

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ノースドックの手前にアメリカらしい建物二軒
いずれもバーで 手前が スターダスト 夜のみ
奥が ポーラスター 貸し切りのみ サザンオールスターの楽曲
あるようです JR東神奈川から距離があります
本牧など アメリカ的なものが少なくなり 貴重です

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2019.05.01

富士川の戦い 静岡 江尻城

1159年 平治の乱 京都で平清盛に敗れ 源頼朝の父義朝 以前住んで
いた 鎌倉に逃れる途中 尾張 知多半島 野間で殺害 頼朝は近江で
捕まり 伊豆 蛭ヶ小島に流される 義経は京 鞍馬寺に預けられるが
奥州 藤原氏を頼り 平泉に
 
源頼朝 小田原 石橋山の戦いで 関東 平氏系武士に敗れ
真鶴半島より 房総半島 安房に逃げる 上総広常 千葉常胤を味方
につけ 武蔵国では地方豪族を味方に 父 義朝が住んだ 鎌倉に1180年
10月6日入り 京都 平清盛 東国の反乱を知り 清盛 嫡男 重盛の嫡男
  維盛は 京都より関東に追討軍として送る 10月16日 鎌倉を出陣
頼朝軍は富士川の東 黄瀬川に布陣 甲斐より応援に来た 武田信義
甲斐源氏4代 祖は新羅三郎義光 清和源氏 河内源氏 後三年の役で
活躍した 源義家 八幡太郎と兄弟 武田信義は新羅三郎義光の孫
甲斐源氏 武田信義は駿河に進出 富士川に布陣 京都より進出した
平維盛軍と対自 軍は7万人だが寄せ集めで士気はは低く 京都よりの
兵站も無く 脱走兵も多く 富士沼の水鳥の飛び立つ音に驚き 京都に
逃げ帰る その後 奥州平泉から駆け付けた 義経 頼朝と対面

源平合戦の前に 頼朝とは従弟 木曾義仲が京都に乱入 宇治川で
義経との戦いが

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 1192年頼朝 征夷大将軍となり 鎌倉に幕府を創る
 曾我の里 河津祐泰 蘇我兄弟の父 死亡後 預けられる
 小田原から湯河原より 伊豆半島 韮山で頼朝は関東平家に
蜂起 惨敗 その後真鶴から房総半島に 石橋山の戦い
 敗れた 頼朝 真鶴半島より東京湾を横切り房総半島 安房に
 頼朝 流刑地 伊豆半島 韮山 蛭ヶ小島
 三島と沼津の中間 黄瀬川近く 対面岩
 富士川の戦い 平家と源氏のあった 平家超
 狩宿 頼朝 巻狩場所 蘇我兄弟 仇討ち場所
 清水 江尻城跡

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富士川の戦いで 平家が一方的な逃亡で 源氏の勝利 頼朝
黄瀬川まで引き上げ 奥州平泉から駆け付けた 義経 八幡神社
で対面 頼朝と義経と対面した岩 源平合戦で勝利 平家滅亡した
立役者 義経 何故 頼朝 義経を平泉で自害まで追い込んだか
不思議です


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平家超 1180年に起きた富士川の戦い 源氏と平家が対峙した
場所 水鳥の羽音で平家が戦いせず 平維盛軍 京都まで逃げ帰った
場所


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狩宿の下馬桜 建物 高麗門と長屋は江戸中期の根立

源頼朝が富士の巻刈り(神事祭礼 軍事訓練)本陣が置かれた
頼朝が下馬した場所


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狩宿の下馬桜から車で5分位の場所に 日本3大仇討ちの舞台と
なった 曽我兄弟の舞台となった場所が 白糸の滝付近にあります
曽我兄弟の仇討ち 頼朝との関係 所領争いで 工藤祐経は伯父
伊東祐親は憎しみをいだいていた 伊東祐親の家来が伊東祐親の
嫡男 河津祐秦が弓矢で殺害される 1176年 蘇我兄弟の父親 その後
母親 満江御前は 蘇我祐信と再婚 小田原付近 曽我荘で兄弟は育つ
1193年 鎌倉幕府が出来た翌年 源頼朝は 富士裾野 白糸の滝付近で
盛大な巻刈を開催 工藤祐経も参加 曽我兄弟は工藤の寝床に入り 殺害
兄 祐成は家来に殺害される 弟 時致は頼朝の寝室に入った所 家来に
取り押さえられる その後斬首される
頼朝 北条政子と結婚する前に 父 河津祐秦の親 伊東祐親 平氏妥当で
石橋山の戦いで 大庭景親 伊東祐親共に 源頼朝軍を撃破している
その前には 頼朝は伊豆に流配中 伊東祐親の娘 八重姫と通じ 千鶴丸を
出産 伊東祐親は平家の怒りを恐れ 殺害 富士川の戦いの後 捕らえられ
一時は許されるが その後自害 この様なわけで頼朝も狙われたかも
知れない
頼朝 1198年 相模川 橋供養の帰路 落馬で翌年53歳で死亡
在任中は 身内 北条政子との子供 嫡男 頼家は二代将軍になるが
北条氏と対立 伊豆 修善寺で謹慎するが殺害される 三代将軍になった
実朝 頼朝 次男 頼家の子 公暁に鶴岡八幡宮の階段で暗殺される
長女 大姫は 木曾義仲の嫡男 義高 人質として鎌倉に 大姫と婚約
するが義仲が義経との宇治川の戦いで敗れると 人質 義高は殺害される
婚約者 大姫は病気から快復せず 20歳で死亡
頼朝 兄弟 範頼 義経と源平合戦で戦うが頼朝に謀反の疑いをかけられ
頼家と同じく 伊豆 修善寺で殺害されている 義経も平泉で自害
頼朝 身内の不幸多すぎ 家臣も大部分が死亡 あまりにもの事で
北条時政 政子の父 は鎌倉追放 伊豆 韮山の北条に追放される

頼朝 次男 実朝 三代将軍が暗殺されると 鎌倉幕府は北条政子 父親
時政 初代執権になり 鎌倉幕府の実権を握る
京都皇室より 仮の将軍と入り 体裁を整える 北条執権は 16代 守時まで
鎌倉幕府の最後 群馬 太田市 豪族が 鎌倉を攻め 滅亡
京都に在住していた 足利尊氏 京都 六波羅探訪 京都における北条の
監視機関 尊氏が攻め 六波羅探訪を滅亡 新田と足利は後醍醐天皇に協調
していたが 足利尊氏が反発 新田義貞は福井 越前で死亡
足利尊氏は京都で室町幕府を開く
足利尊氏 新田義貞 血筋は 源頼朝と同じ 河内源氏です

鎌倉 寿福寺 北条政子 三代将軍 実朝の墓
  

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曽我兄弟に仇討ちされた 工藤祐経の墓


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白糸の滝 付近 曽我神社近く 曽我兄弟の墓


201904176 白糸の滝 軽井沢の白糸の滝に似ている
25年前 名古屋時代 名古屋駅発 0泊2日の富士山登山のツアー
家族4人で参加 あまりにも強硬なスケジールの為 8合目でギブアップ
帰りは スバルラインで途中 バスのフロワーから煙 故障の為にバス
の交換の為に タクシーで白糸の滝まで来てほしい その頃 オーム事件が
報道 運転手に頼み サティアンのある 上九一色村経由で やはり建物は
異様でした 裁判 処刑も終わりました それ以来の 白糸の滝です


武田勝頼 甲州攻め 静岡市清水区 江尻城~韮崎 新府城に

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 新府城 完成直後に織田軍が侵入 焼却し 大月 岩殿山城に逃げる
 韮崎市
 静岡県 静岡市清水区江尻城から山梨 韮崎市に抜ける国道52号線
  富士川沿いで身延線も走っている

 古府中 武田家居城 躑躅ヶ崎館
 静岡市清水区 江尻城 1568年 武田 駿河侵攻の前線基地 初代は
  山県昌景 長篠の戦いで戦死 その後穴山信君(梅雪)が城代に
甲斐征伐時 徳川家康に 城を開城甲斐征伐後 戦後 信長がお礼の為に
家康 明智光秀が接待係 で安土城で接待を受ける 信長に勧められ
  京都 堺に 家康一行 大阪 堺を家康と見学時 明智光秀が本能寺の
変を起こす 家康一行は京都に戻るのは危険と考え 伊賀越えで三河
に逃れるが 穴山梅雪は京都に戻る途中 落ち武者狩りにあい死亡
その後 秀吉と光秀は天王山 山崎の戦いで 光秀 滋賀 坂本城に
戻る途中 京都 醍醐寺近くで やはり落ち武者狩りにあい死亡
    

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左側 江尻小学校の場所が 江尻城祉

静岡市清水区 JR清水駅近く 江尻城跡 武田家滅亡時 城主 穴山信君
武田崩壊の原因になる 穴山梅雪 武田より徳川につき徳川軍を甲斐に
侵入許すを
富嶽36景に景駿州江尻がありました    
甲斐武田家20代当主 武田勝頼の悲劇な最後
武田信玄以来 武田家消滅


尾張 桶狭間の戦いで 織田信長が勝利 今川義元死亡 徳川家康と
武田信玄が駿河領を奪い合う 1575年 足利義昭将軍の要請で 武田信玄
西行 遠江 徳川家康領 攻め 天竜川近く 二俣城 陥落 浜松城は攻めず
三方が原方面に 戦いになり 家康軍 敗走
さらに西行途中 信玄 病気に 甲斐に戻る途中死亡
 
信玄の死後 家督は勝頼に 駿河 遠江の国境 信玄でも奪還できなかった
高天神城を勝頼が奪還
1575年 勝頼は家康に寝返った 奥平親子を成敗の為に 長篠城 三河に
徳川 織田連合軍に郊外で攻められ長篠の戦いで武田軍大敗北

1581年 韮崎市に新府城を築城

1582年 勢力の衰えた 織田信長 甲斐征伐にふみきる
武田勝頼 織田信長軍 甲斐に駿河 上野 信州より攻められる
裏切りは 木曾義昌 穴山梅雪 小山田信茂が裏切り 勝頼一行は
天目山で勝頼 北条夫人 信勝は自害 武田家は滅亡


2019041711 静岡市から帰りは 第一東名に 由比から 富士山 鉄道 高速道路が
太平洋に迫り 太平洋からのベスト富士山 有名なさった峠はこの上です
広重の東海道五十三次 由井に描かれています
東海道五十三次之内 由井


2019041712

先日 同期の人が 山梨県北杜市に住宅購入 昔の山仲間 20人位参加
近くの ホテルに宿泊 八ヶ岳近くホテルから 山梨側ホテルからの
富士山 葛飾北斎の富嶽36景 ほとんどが東海道側から 神奈川沖浪裏
は有名


  新しくココログ 記事投降が リニュアルされ 三度目です
以前 niftyに投降していた ホームページ だいふ前に中止に
ホームページ ソフト ホームページビルダーで製作
HTML CSSも良くわかりませんでした

たかが ココログ 新しいのはHTMLの知識が必要 苦しんでいます

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